1995年
デビューから10年余り走り続けてきたマドンナは、ここに来て何か大きな変化が必要と感じるようになります。そして、これまでの音楽性とは一線を画すアルバムを発表。自身2作目のベストアルバム「SOMETHING TO REMEMBER(邦題:ベスト・オブ・マドンナ〜バラード・コレクション)」です。収録曲14曲、すべてがバラードというこのアルバムの制作意図を、「ここ10年、私のキャリアについて非常に多くの論議が交わさたため、私の音楽にはほとんど関心が寄せられていません。歌は忘れられたも同然となっています」とジャケットに記しています。それまで築き上げてきたセクシーでポップなイメージを捨て去るように、全編バラードによるアルバム発表に踏み切ったのです。さらに、この年、女優としても大きな転機を迎えることとなります。映画『エビータ』との出合いです。ブロードウェイミュージカル「エビータ」の映画化が決定した時、マドンナは自分こそが主役エバ・ペロンにふさわしいと信じて疑いませんでした。当初、その候補には、メリル・ストリープ、ベット・ミドラー、オリビア・ニュートンジョン、ミッシェル・ファイファー、マライア・キャリー、グロリア・エスティファンと錚々たるメンバーが名を連ねていて、監督のアラン・パーカーもキャスティングに頭を悩ませていました。そこでマドンナは、自分こそがエビータ役にふさわしい女優であると便箋、実に4枚もの手紙をしたため、パーカー監督のもとへ送りつけたのです。そのなかで彼女は、音楽活動を完全に休止し、映画のために全てのスケジュールを空けることを誓い、さらにこう記しました。「あなたがチャンスさえくれれば、私は必ず、人の心を打つような歌と踊りと演技をします」と。マドンナはなぜ、それほどまでにエバ・ペロン(通称、エビータ)役にこだわったのでしょうか? それは、私生児として貧しい家に生まれるも、持ち前の美貌で権力をもつ男に近づき女優という仕事を得、やがて大統領夫人となり、ついには初の女性副大統領にまでなったエビータという女性の生い立ちが、マドンナ自身が歩んできたサクセス・ストーリーと似通っていたからなのです。マドンナの強い意志を受け、パーカー監督は名だたる名女優を押しのけ彼女をエビータ役に大抜擢します。しかし、マドンナを待ち受けていたのは、想像もしない苦難だったのです。