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6/2   オーストラリア編(1) 「Aリーグ発足の意義」
 
  Reported by 吉野真治


今回、「サンデープロジェクト」のW杯企画のリポーターとして、日本の対戦相手であるオーストラリアとクロアチアに取材に行ってきました。
その模様を、リポート形式で複数回に渡ってお伝えします。
まずは日本の初戦の相手である、オーストラリアからです。

オーストラリア編(1)「Aリーグ発足の意義」
皆さんはオーストラリアのスポーツと聞くと、何を思い浮かべるでしょうか?
大概の人はこう答えます。
「ラグビー、水泳、クリケット。」
つまり、そこに、「サッカー」という答えはほとんどありません。
実際に、オーストラリアでは「サッカー」は長い間、マイナースポーツでした。

オーストラリアでは3種類のラグビー(オージールール、ラグビーユニオン、ラグビールール)とクリケットが4大メジャースポーツと呼ばれ、「サッカー」は競技人口こそ多いものの、人気のあるプロスポーツとはほど遠い存在でした。
ところが、近年、そのオーストラリアのサッカーに「革命」が起きました。
そして、その「革命」は豪政府主導の国家プロジェクトと呼ぶにふさわしいものでした。
今回のリポートではその「革命」の中身をお伝えします。

「革命」を構成する要素として、まず第一に挙げられるのが、「Aリーグ」の発足です。
「Aリーグ」とはオーストラリアリーグの略称で、オーストラリアサッカー初の国内におけるプロサッカーリーグを指します。
この「Aリーグ」は去年、発足したばかりのプロサッカーリーグで、8つのチームで構成(ニュージーランドに1つのチーム)されています。
このAリーグが発足するまえのオーストラリアにはナショナルサッカーリーグ(以下、NSL)というセミプロリーグしか存在しませんでした。


NSLの名門:シドニーユナイテッドのスタジアム

そして、このNSLは多くの問題を抱えていました。
問題の一つが、財政的な破綻です。
1970年代から2004年までの間に、NSLの累積赤字は約400億円に上るものになっていました。そして、毎年、政府からNSLに対して支給される税金の使い道も不透明な状況が続きました。
政府としても、巨額の財政赤字に陥っていたNSLは改革の対象だったのです。

さらに、NSLを構成するチームのほとんどが、オーストラリアに移住してきた移民達のチームであったことも大きな問題でした。
試合では民族間の代理戦争ともいえるサポーター同士の衝突が頻繁に起きました。
例えば、クロアチア系移民のチームである「シドニーユナイテッド」と、ギリシャ系移民のチーム「シャークス」の試合では、クロアチア系移民とギリシャ系移民がぶつかり合うわけです。

NSLの試合に駆けつけるクロアチア系移民のサポーター

そのような民族色の強いチーム同士によるリーグ戦に、「オージー」の人々は興味を示さず、オーストラリアにおける「サッカー」のイメージは暴力的で民族色の強いスポーツというレッテルを貼られていました。
NSLが創設された1970年代から「Aリーグ」が発足するまで、オーストラリアのサッカーを担っていたのは欧州各地から移住してきた移民達であり、そこに「オージー」の人々が入る「隙」はありませんでした。

この豪サッカーの悲惨な状況を変えるために、ついに政府が動きました。
ハワード首相が直々にオーストラリアサッカーの建て直しをある人物に懇願したのです。
その人物こそ、オーストラリア有数の資産家にして国内最大手のデパートの経営者でもあるフランク・ロウイでした。
政府の意向をうけ、サッカー協会も2003年にフランク・ロウイを会長に選出し、そのフランク・ロウイ会長の下、オーストラリアサッカー界の改革を進めることになりました。
そして、問題を抱えていたNSLを清算し、2005年に立ち上げたのが「Aリーグ」です。
ですから、「Aリーグ」はNSLが抱えていた問題点を全てクリアにした新リーグでなければならなかったわけです。
Aリーグは1都市1チームを原則とし、民族色の強いチームは排除され、暴力的なイメージを一新しました。
(Aリーグに入れなかったNSLのチームは規模縮小を余儀なくされましたが、現在もAリーグとは異なる独自のリーグ戦を開催しています。)

イタリア系移民のチーム:マルコーニのクラブハウス

クラブハウスの中にはスロットマシーンやレストランがあり、移民達のコミュニティの場としての機能もある。
シドニー市民はシドニーFCを応援し、メルボルン市民はメルボルンのチームを応援するという、「地域性」をコンセプトに新しいチームがトップダウン方式で創設されました。

10数年前の日本と同じように、プロリーグを発足させることで、「サッカー」のイメージを変え、マイナースポーツからの脱却を目指し始めたわけです。

このように、豪政府、豪サッカー協会がタッグを組んで立ち上げた「Aリーグ」は、
オーストラリア「サッカー」のイメージを刷新することに成功しました。
そして同時に、「サッカー」不毛の地において「サッカー」がメジャースポーツになる土壌を築くことに成功したのです。

そして、初年度の観客動員について、シドニーFC関係者はこのように答えてくれました。
Q. 初年度のシドニーFCの観客動員数は、目標に達したのですか?
A. Aリーグ全体で平均観客動員数1万人という数字を記録しました。
ほぼぴったりですが目標は達成です。
シドニーFCの平均動員数はもう少し高く1万5千人です。
これは他のスポーツも含めてシドニーでは素晴らしい数字です。
長年夢だった話を2004年11月からこの「シドニーFC」という名前でスタートして2005年の5月から試合を始めAリーグの大会が8月から始まりました。
実質1年も無いくらいの短い期間、短い助走距離でシドニーFCというブランドの名前を広げ、1万五千人という数字に達したのだから素晴らしい結果だといえます。

そして、この「Aリーグ」の発足は、オーストラリアサッカー界に起きた「革命」の一つにしか過ぎませんでした。


オーストラリアサッカー協会の受付:Aリーグのエンブレムが飾られている

オーストラリア編(2)へ >>
 

今回のロケの模様は
6月11日、6月18日の「サンデープロジェクト」
で放送されます。 是非、ご覧になって下さい。





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