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10月20日 日々のかほり

シロクマに呼び止められた、そんな気がしたのです。

杉本博司写真展「時間の終わり」。シロクマの大きなシロクロ写真のポスターが貼ってありました。
遠い北極から時空を飛び越えて、六本木ヒルズの人ごみの中で佇んでいる様子は、
せかせかと会社に向かう私の足を止めるには十分すぎる不思議な存在感で、
そのまま森タワー(六本木ヒルズの54階建てのビル)にある森美術館へと吸い寄せられてしまったのでした。

さて、問題のシロクマ。
びっくりしたのは本物ではなかったこと!
一体あの存在感は?と我が目を疑ったのは、写真ではなくその横に書かれている説明書き。
物や風景にとどまる「時間」を写真によって記録するという、独特の手法で国際的に高い評価を受けている杉本博司氏。
シロクマを始めとする原始時代の写真の数々は、実は自然史博物館の模型を写した「ジオラマ」シリーズなのでした。
照明に工夫を凝らし絶妙なフレーミングをした白黒写真。
照明によって命が与えられ、原始から現代へと時間を飛び越えているかのような錯覚。これらの写真にあるのは、報道写真などの決定的瞬間ではなく、「非決定的な」瞬間。写真が時間を持つなんて。

半年ほど前、不思議な写真を見たのを思い出しました。
それは「針穴写真」。
空き缶に針で0.3ミリほどの小さな穴を開け、長い露光時間で撮るため、近くも遠くもピントが合い、動くものは消えてしまう。
その白昼夢のような写真を見たとき、時間の「ゆらぎ」を感じたのです。
そうだ!写真だ!と急に勢いづき、その針穴写真とやらをやってみることにしたのです。「簡単な針穴写真キット」なるものを購入し、説明書通り組み立てたら出来上がり。フィルムを入れたら、にわかカメラマンも出来上がり。

手始めにまずは動かないものを。
バリで買った錫の象や北海道土産のコロボックルなど。
次は、風になびくカーテンや本を読む夫などちょっと動きのあるもの。
日陰かひなたかで露光時間も違うようで、カメラをセットしたら大体5分から10分ほどは置きっぱなし。
その間にパスタを茹でたり、洗濯物をたたんだりしていたら、すっかり忘れて15分経っていたり。そんなイージーさも味なのさ、と初心者の勝手な解釈。
はいチーズのかけ声で笑顔を作る必要も無く、むしろ5分という長い時間においては瞬間の気合いなんて意味をなさなくなってしまう。無理をせず、時の流れに委ねる大らかさ。

そんなこんなで、初めての針穴写真12枚。
いつも現像に出すお店では、出来上がりまで1時間だからあっという間に出来る、なんて思っていたら「このフィルムですと3日かかります」との返事。
えぇー。写真の現像にそんなにかかるなんて思いもしなかった・・・。
ちょっと呆然とした私の目に「デジカメプリントは9分」との貼り紙が憎らしい。
普段はデジカメ派の私。すぐ撮れてすぐ見られる便利さに慣れているけれど、時には、写真に時間の重しをのせてみるのもいいのかも。
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2005年10月8日読売新聞夕刊に掲載
   
 
    
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