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Vol.85 「お弁当」(2009/08/31)

中学一年の時だったと思う。
その日は遠足だった。
あろうことか、朝から母と諍いになり、
むくれながら初めて一人でお弁当を作った。
油の量も温度も分からぬままとんかつを揚げ、ご飯にぺたぺたと海苔を敷く。
芝生の上で真黒なとんかつをかじると中はまだ桃色で、
慌てて形のない卵焼きを頬張った。
見栄えの悪さよりも、
お弁当を当然の日常と認識していた自分が情けなかった。

朝早く、色とりどりの品々を作って詰めるのは、至難の業である。
20年近く経った今、お弁当作りを始めてみて改めて思う。
とはいえ、毎日ではなく、週に二日のペース。
懐かしいアルミの弁当箱を、偶然目にしたのがきっかけだった。
さて、いつまで続くことやら。
夫も私も口にこそしなかったが、
幸いにも継続しているのは、箱がやや小ぶりだったせいかもしれない。
間取りに例えるなら、うなぎの寝床のような1DK。
ご飯を半合ほど詰めたら、残りのおかずはせいぜい二品ほどなので、
レパートリーが少ない身としては有難い。
かぼちゃのサラダ、小松菜のお浸し、豚の角煮…。
彩りに欠ける日は、ご飯の上の梅干しできりりと締める。
炊込みご飯はそれだけでおかずも兼ねるし、
いんげんやほうれん草の胡麻和えは、手軽に作れて日持ちもする。
夕飯は、翌日のお弁当を前提に考えるようになった。

毎週水曜日は、スーパーに出かける。
お弁当作りの初心者の味方、冷凍食品の特売日だ。
海老フライ、メンチカツ。
ふいに、真黒で生煮えのとんかつが脳裏に浮かぶ。
母は、あの朝の出来事を覚えているだろうか。
チーズカツ、ビーフコロッケ。
だって、便利だもの。自分に言い聞かせながら、手を伸ばす。
でも、いつかは…。かごに入れ、戻し、また入れて、レジに向かう。
いつかは、衣をつけてからりと揚げてみたいけれど。
袋の中身がとけないよう、早足で坂を下る。辺りは思いのほか涼やかだった。
青白い夕闇。弱火にかけられたように、ことこと暮れていく。


ある日のお弁当
切干大根の煮物、ほうれん草の胡麻和え、一口カツ、焼き豚炒飯
…あ、プチトマトを忘れました!


(「日刊ゲンダイ 週末版」8月31日発刊)
   
 
 
    
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