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Vol. 6 「白球とソフトクリーム」 (2004/09/04)

父と二人で高校野球を観に行った。
新人の頃にアルプススタンドでリポートをして以来、
帰省を兼ねて、毎年必ず甲子園を訪れている。

準決勝の第一試合は、父の故郷の愛媛県・済美高校VS千葉経大附属高校。
「日に焼けそう」
「午前中は寝ていたい…」
消極的な母と妹に代わって、
前日から、冷蔵庫に貼られたバスの時刻表をしきりにチェックしている父。
観戦当日、母が用意してくれた大きな紙袋には、
凍らせたペットボトルと、座席に敷くための小さな座布団と、
父の愛着のあるくたびれたセカンドバッグが入っていた。

3塁側の内野席に座るなり、お酒に弱い父がビールを頼んだ。
受け取ろうと手を伸ばした時、ポロシャツから伸びる細い腕がシミだらけなことに気付く。

6回表。
2点を追う済美の打席は4番のスラッガーで、スタンドもにわかに活気付いた。
それなのに、父は4番打者が放った豪快なホームランの時にトイレに行っていた。
思わず立ち上がって手を叩いても、隣には小さな座布団が置かれているばかり。
あぁ、せっかくの場面なのに。

携帯電話が鳴った。
「こんな時に…」着信相手は父だった。

「もしもし?」
「祐子、ソフトクリーム食べる?」

トイレから戻る途中、売店で、私の大好きなソフトクリームを見つけたのだろう。
くたびれたセカンドバッグから、小銭入れと携帯電話を取り出したのだろう。

ふと、アテネ五輪での浜口親子のことを思い出した。
レスリング女子72キロ級銅メダリストの浜口京子選手と、父親のアニマル浜口さん。
担当している早朝番組「やじうまプラス」での生中継のインタビューで、
同い年である京子さんに、どうしても聞きたいことがあった。

「京子さん、お父さんに何とおっしゃりたいですか」
「ありがとう、ただ一言です」
打撲した右目を腫らしたまま、彼女は微笑んだ。

周りは笑う。
父の熱い声援や物言いを。
周りは制す。
試合後も、審判に対して猛抗議する父を。
でも、誰に何が言えるだろうか。
たとえ世界を敵に回しても、父は娘を愛していて、娘は父を尊敬している。

6回裏。
父が戻ってきた。

「ねえねえ、さっき鵜久森君がホームラン打ったよ」
「おっ、そうか!」

劇的な瞬間を見られなかった父よりも、咄嗟にソフトクリームを断ってしまった自分が悔しい。
比べものにならないくらい小さな話だが。
私も、ありがとうと言えばよかった。


(「日刊ゲンダイ」9月4日発刊)
   
 
 
    
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