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11月24日 森繁通りを散策する


故・森繁久彌さんが、通りの名前になりました。
「照れながらも、喜んでいると思います。」 とおっしゃったのは、二男の建さん。
年を重ねるごとにお父様に似てきている建さんと一緒に、 『森繁通り』を歩いてきました。



18日まで、通りから国民栄誉賞なども見られるようになっていました。


「どこどこの通りが、というわけではなく、 父が歩いたところ全部が、そうなったように感じています。」

なにせ、森繁さんが人気者になる前から96歳まで、 60年間も過ごした場所。
千歳船橋駅北口から自宅跡まで、 とっても広い範囲に、『森繁通り』という名前がつきました。
以前から、地元ではこの名前で呼ばれることがあったそうですが、
今回正式に区から依頼があり、今後は地図にも載ることになるそうです。



明るい黄色の旗で彩られた森繁通り


森繁さんが大好きだったという寿司清さん。



こんなメニューも。


『ひさや巻き』は、
あなごや三つ葉など具沢山で、胡桃がアクセントになったユニークな食感。
癖になる巻き寿司です。
建さん曰く、
「それぞれのお店が『森繁通り』の名前をつけたメニューを出すのも、
商売のためじゃなくて、お客がいらした時にがっかりしないように。
そういう地元なんですよ。」



森繁久彌さんが描いたこんな色紙も。どじょうの子供がかわいい!


寿司清さんが新築の際にいただいた色紙だそうです。
書いてある内容はというと…
「青い空見て どじょっこ泣いた
からすめ 睨んで どじょっこ 泣いた
母さん喰うたは あいつと泣いた」
どじょうの子供が、
お母さんをさらわれて泣いている場面を描いたもののようです。
ちょっと衝撃的な内容だったので、
「どうしてこの詩を?」と質問しましたが、
寿司清さんも一緒に首をかしげていました。
パっと思いついて、その場でスラスラ書かれたそうです。
なんだか切ない内容ですが、その絵からはどこか温もりを感じます。

建さんは、こんなこともおっしゃっていました。
「今までたくさん賞をもらってきたけれど、それは個人のものでした。
この『森繁久弥通り』は、
地元の人と一緒に喜べるから、格別に嬉しい。
今まで様々なことがあったけれど、
今回の『森繁通り』で悼尾を飾ったように感じています。」

たくさんの心温まるエピソードを聞いて、
森繁久彌さんの温かな人柄もさることながら、
森繁さんを取り囲む、周りの方々のぬくもりを感じた1日でした。



寿司清さんからお茶をいただきました。いろんな意味でほっとする温かさでした。
   
 
    
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