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10月4日 台風14号が過ぎた4日後、宮崎に帰ってきました。

9月10日(土)、総選挙前日。
世の中は選挙モード一色、でも、この町は違いました。

大型の台風14号が九州・中国地方を襲ったのは、9月5日〜6日でした。
「長かった」「家が揺れた」「今回の台風は本当に怖かった」
以前から台風の通り道となっている宮崎。
台風に慣れているはずの宮崎の人でさえ、今回の台風は今までになく怖かったといいます。

ニュースで流れる、見たこともない故郷の姿。

いてもたってもいられなくなって、
台風の直撃から4日後、
やじプラが終わってすぐに、18年間生活してきた宮崎に帰ってきました。

元に戻るのは数ヶ月先になりそう。
 
黒板の文字が途中から消えています。
 
1m50cmの高さまで水が来ていました。

選挙カーが通っていくその脇で、給水活動をする人たち。
避難所になっている体育館で投票が行われる…というケースも。

市内にある実家は、浸水は免れたものの、断水中。
大きなポリバケツを持って給水車に水をもらいに行くのが日課。
食器はなるべく紙の皿を使い、トイレは1回ごとにタンクに水を足し、
お風呂はなるべく公衆浴場を利用します。
雨が降れども、水は出ない…
(断水していた二千世帯でも、9月24日から18日ぶりに、
蛇口をひねると水が出るようになりました。
 ただ、夜間断水は、市内全域で継続中です。)

台地に住むある人は、
台風が過ぎてほっとして家を出てみると、
丘を下った辺りが一面、池のようになっていて驚いたそうです。
宮崎の中心を流れる大淀川は、
あと数十センチというところで溢れるのを免れました。
しかし、水を受けとめきれなくなった大淀川の代わりに、
上流にある大谷川が犠牲になり、決壊しました。
大谷川流域の地区は、床上浸水。
ある人は、「逃げようと外に出たら足がつかなくなっていて、ボートで避難した」そうです。
畳、冷蔵庫、家具や電化製品が全てダメに。
 
町の至るところで・・・
 
部屋では、息子さんが湿った床をはいでいました。
 

家財道具がすべて使い物にならなくなっています。

 
中にはこんな思い出のものまでゴミに・・・ テレビも収集車に飲み込まれていきます。
 

娘さんが使っていたというピアノは、水の力で横倒しに。


私が行った日、全ての家の前には家財道具の山ができていて、
水を吸ってずっしりと重くなった畳や、泥まみれの電化製品などを、
収集車やトラックが集めていました。
「もう引っ越したい…」
ガランとした泥まみれの部屋で、ある人は苦笑いを浮かべながらそう言っていました。

私の前にあるのは病院の駐車場。.

 

病院の1階も水浸しになりました。

 

そんな中、ボランティアの姿も。


何のニュースでも言えることだけれど、
テレビで伝えられないものってたくさんあるなぁ、と痛感します。
実際に行ってみると、思っていた以上に広い範囲で、
大勢の人たちが被害を受け、
黙々と、元の生活に近づこうと、作業を続けていました。
マスコミに取り上げられたところにはボランティアが大勢行き、
それ以外の地区では不足している…なんて状態もあったようです。

そして先週末、今度は取材で、再度、宮崎に戻ってきました。

「ここは安全だと思っていた」
山沿いにあって土砂に飲み込まれた村のある人は、
避難しなかった理由をそう言っていました。

美しい渓流を臨むある村では、増水した川の水が全てを奪い去っていきました。
川沿いに並ぶ商店街は、土ぼこりで白っぽく、どの店も、
ドアや壁や柱や室内にあったはずのものまで全て消えて、ガランとしていました。
電灯は曲がり、ある一軒は跡形もなく消え、橋の欄干は外れていました。
勢いのある水、濁流の威力は、本当に恐ろしい。

台風から3週間経った今も、
あまりに多くの地点で、道路が陥没し、橋が流され、家が壊れたままになっています。

台風もそうですが、
世界で、ハリケーンが大型化したり、洪水が何日も続いたり、
生き物が大量発生したり、地球が悲鳴を上げている気がします。

この台風が東京に来たらどうなってしまうんだろうと、ふと思います。
   
 
    
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