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Vol.19 (2006/08/11)  映画「紙屋悦子の青春」

2006年7月28日号
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萩野志保子 『紙屋悦子の青春』 を鑑賞
―「登場人物たちと記憶を“共有”できる映画」
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1945年年8月15日。
その日から61年目の終戦記念日を前に、
2006年8月12日、『紙屋悦子の青春』は公開となります。

太平洋戦争末期の日本家庭の日常生活を描いた『紙屋悦子の青春』。
主に昭和二十年三月末から四月にかけての数日間が描かれる。
観るものは当然、数ヶ月後に敗戦を迎えることを知っている。
だからこそ、そこに描かれる「普通の生活」は、
観るものに特別な思いを同時に横たわらせる。
戦争という「普通でないこと」が起きている中での「普通の生活」。
普通である一瞬が、
普通に続かないかもしれない覚悟と隣り合わせであると、
噛み締めながら見つめることになる。
一瞬一瞬が、とても貴重だ。

「いわゆる反戦もの?」などという
おおまかなイメージをあてがうことは、この映画にそぐわない。
戦争といえば、前に何度も見たことがあるような映画だろうとか、
酷いのは気分じゃないとか、
教科書的なお仕着せなら言われなくてもわかってるとか、
戦争の映画というものに何かしらイメージを持ってしまっているとしたら、
この映画を是非味わってみてほしい。
きっと、貴重な体験ができる。

「その時代」がどういうものだったのか。
彼らの日常生活は一見して朗らかだ。
舞台は鹿児島県米ノ津町の紙屋家。普通の民家である。
紙屋家の暮らしは質素ではあるが、
はっとさせられるほどに、大きくは現代と違わない。
大都市は空襲で壊滅的な打撃を受け悲惨な状況であったはずのこの頃、
田舎の暮らしとはこういう雰囲気だったのかと、
ある程度平和な営みに少しの驚きをもって、観た。

紙屋安忠(小林薫)、その妻ふさ(本上まなみ)と、
安忠の妹でふさと同級生だった悦子(原田知世)の、
紙屋家の暮らしの風情はとても微笑ましい。
ふさが夫と義妹の帰宅に合わせて食事の仕度をする様子、
配給の高菜や少し酸っぱくなってしまったサツマイモを囲む三人の食卓、
他愛ない口喧嘩、
一家の会話には、思わず微笑してしまう可愛らしさやユニークさがある。

印象的なのは、
こうした日々の営みが、非常にリアリティをもって
描かれているに違いないのにもかかわらず、
同時に、どこかファンタジックに。そう、幻想的に感じるということ。
矛盾しているようであるが、
映画全編が、年老いた悦子と夫の回想で構成されているからこその
独特のこの雰囲気が、
紙屋家の「その時代」を、より印象的に、
忘れられない「画」として記憶に刻むものになっていると感じる。

現代の、年老いた悦子に年老いた夫の回想。
そう。観客は、悦子とその夫が長く連れ添ったことを知っている。
知っている上で、二人のお見合いの様子を、
二人と一緒に回顧することになる。

二人の馴れ初めは、お見合い。
悦子は、海軍士官の明石少尉(松岡俊介)の紹介で、
永与少尉(永瀬正敏)と見合いをし、結婚をする。
お見合いして結婚。いたって「普通」の馴れ初めに聞こえる。
ところが、この見合いには「普通でない」事情があった。

悦子は、明石少尉に好意を持っていた。
そしておそらく明石少尉も、悦子を秘かに思っている。
なのになぜ、明石少尉はわざわざ、
悦子を自分の親友と結婚させようとするのか。

後に少しずつわかってくる「普通でない」事情。

明石少尉は、特攻に出撃することが予定されているのである。

悦子やふさが笑顔を見せれば見せるほど、
清々しければ清々しいほど、
観るものは涙がこみ上げてくる。
軍人としての永与少尉と明石少尉の佇まいや会話が朴訥であればあるほど、
真意に手を伸ばしても触れられないもどかしさで、
いてもたってもいられないほど切なくなる。

登場人物ひとりひとりに感情移入させられる『紙屋悦子の青春』。
鑑賞したというよりも、登場人物たちと
記憶を共有したような気持ちにさせられる。

黒木和雄監督の、全編に渡ってカット割りを徹底して少なくし、
俳優たちの長台詞で見せるという演出術が昇華した映画。
登場人物に感情移入しながら、
同時に、その演出と、それに応えた俳優陣の演技に感心させられてしまう。
最長のシーンでは、台本11ページ、
時間にして7分強がノーカットで展開する。
単なる長台詞ではない。
鹿児島弁、博多弁など、それぞれの役柄の出身地に合わせた
方言での「自然な」掛け合いである。
こうした方言での会話がどれだけ趣きを深くしていることか。
演出し尽された「自然」。
監督、カメラ、照明、俳優、皆がプロフェッショナルでなくては叶わない、
圧倒的な映画力に満ちている。

今年4月12日、黒木和雄監督は永眠された。
心よりご冥福をお祈りいたします。

♪作品データ♪
『紙屋悦子の青春』
原作: 松田正隆
監督: 黒木和雄
脚本: 黒木和雄、山田英樹
出演: 原田知世永瀬正敏松岡俊介本上まなみ小林 薫
配給: パル企画/2006/日本
※8/12(土)公開岩波ホールほか全国ロードショー
『紙屋悦子の青春』公式サイト
http://www.pal-ep.com/kamietsu/

   
 
    
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