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Vol.13 (2005/08/25)  映画「モディリアーニ〜真実の愛〜」

テレ朝コンプリート「女子アナ試写室」から転載です。


『モディリアーニModigliani〜真実の愛〜』

あの、画家モディリアーニの、生涯を描いた映画である。
かといって単なる伝記ではない、モディリアーニの「物語」だ。

1919年。
第一次大戦後のパリ、モンパルナス。
世界中から若い芸術家達が集まって来ていた、
「ベル・エポック((古き)良き時代)」後期のパリだ。
夜ごと彼らはカフェに集まり、才能をぶつけ議論を交わし、互いを刺激し合っていた。
絵の売れないモディリアーニ。既に「成功」していたピカソ。
ライバルという言葉では生易しすぎる、切るように意識し合う二人。

芸術文化息づく20世紀初頭のパリにすっかり連れて行かれる頃、
モディリアーニとジャンヌの恋が始まる。
ところが、「恋」は違う。
二人は極限の愛の関係を築く。
「この人がいなければ生きていけない」という思いを強烈に意識させられる、
余地のない、限度いっぱいの、ぎりぎりの攻撃的な愛。
自身の情熱を原動力に、言ってみればそれ以外には目もくれず突き進んでいくモディリアーニの生き様はすべてにおいて極限だ。
ピカソとの争い、ユトリロとの友情、作品への情熱も、激しく熱い情熱に満ちている。
相容れないものへの妥協の無さ、心を向ける者への愛情の深さ、どれも強烈だ。
限度いっぱいの危うさに満ちていて、哀しく愛おしい。

画家モディリアーニの作品は、広く知られているとおり、殆どが人物像だ。
卵形の輪郭
細長い首
瞳のない目
独特のデフォルメをされた細面の人物たちは、
皆一様に静かに佇み、哀愁を帯びている。

私が始めてモディリアーニの絵画に出会ったのは4歳か5歳の頃だ。
母親が画集好きで、画家の全集が絵本代わりになっていたと言えば聞こえがいいが、実際早くから出会うと、単にいわゆる雛鳥の刷り込みのようなもので、自然に覚えてしまって刻印のように忘れないものなのだ。
だから実は、私にとっては未だに「モディリアーニ」は「もじりあに、もじりあに」である。
そこから更に「もじりあに」と切っても切れなくなるのは、
三鷹と吉祥寺の間にある夫妻のアトリエに、そこには5歳から9歳くらいまで(引っ越しで別の絵画教室へと移る)週に一度絵を習いに通っていたことが大きく起因する。
大人になってから交流があるわけでもないから別れて既に二十年以上も経っているのに、モジリアニを見ると「橘先生」と名前がぽこっと現れてくる。
子供心に綺麗な名字だなと思ったことや、涼しい切れ長の目にショートカットとサブリナパンツという出で立ちが自分の周りにいる大人の女性と少し違って特別だったことも。
前置きばかりが長くなったが、橘先生は、5歳の私にモジリアニの模写を命じた。
まだ何もよくわからない子供の頃から色々教えるのは好ましくない、という考え方もあるのかもしれないが、私の場合、この橘先生のアトリエでの刷り込まれ経験は、今にして思っても得て良かったことばかりだ。

もじりあにの絵をじっと見る。
細長いのに丸味があって「目のたまがない」ふしぎな絵。目の中はエメラルドグリーン。

絵の具を混ぜて、決して青み寄りでなく黄み寄りのエメラルドグリーンをこしらえる。

かべも目の中と同じようなエメラルドグリーンだ。
だけど、少し青が強い。
だけどはしっこのほうにいくと黄色っぽくなる。

青み寄りのエメラルドグリーンから角の端の方だけ黄色を足していく。

いすは木。

というのが最初に刷り込まれた5歳の私の「もじりあに」だ。
そんな子供の頃の記憶を、何を詳細に。嘘っぱちだ。
と言う人もいるかもしれないが、
「初めて初めてに出会う初めて」という刷り込み現象は本当にある。
黄み寄りと青み寄りの、それも黄緑・青緑ではなく乳白色を加えることが必須のエメラルドグリーンを、意識してこしらえた私の初めてが、モジリアニの模写だったのだ。
自分の好きな色どうこうではなく、模写だから、出来るだけ本物と同じ色を真似してつくらなくてはいけない。だからこそ余計に刷り込まれたのだろうと思う。

その後もセザンヌやロートレックなど色々な模写をしたが、
先につながるきっけかけはやはりモジリアニだ。
このとき感じた黄み寄りのエメラルドグリーンは、小学校に入る頃には、「絵を描くときの遠い空は、青じゃなくて、黄土色と乳白色に青のバランス。」と思うようになったことにつながっている。

映画『モディリアーニ』の中で、彼は最後に目の中に瞳を描く。
そのドラマを目の当たりにした時、
「遠い国もじりあにのふしぎな目」という幼少の記憶再生と、
スクリーンの中の「目の前に生きている生々しい男モディリアーニ」がクロスして、
混乱した時空の中で胸を掴まれ堪らない気持ちになってしまった。

イタリア・トスカーナ地方出身のモディリアーニを、ゴッドファーザーPartVのアンディガルシアが演じる。
そして最愛のジャンヌを演じるエルザ・ジルベルスタインは、モディリアーニの絵の風情そのままの女性だ。静かに激しく、哀しい美しさを放つ。

◆近況報告◆

「睡眠を貪るにも程がある!」
あ、これ自分に言っています。
最近拍車がかかっているんです、眠り加減の。
例えば二日休みがあったら、脚色ゼロで本当にひたすら寝ています。
こわいくらい寝ています。
二日間だと、さすがに時々起きて、食べたりトイレに行ったり猫に餌をやったりくらいはしますが、
それもしないで一目も(?)覚めないで連続睡眠していたこれまでの最長は、24時間です。
翌日休みだと思って目覚ましかけず未明に床についたのですが、
目覚めたら、一日またいで出勤日の早朝になっていました。
危ないところでした。こわいよー
   
 
    
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