前の記事を読む 次の記事を読む  

トップ > パーソナルトップ > プロフィールトップ > エッセイバックナンバー
 
 
6月29日 巨大地震の痕跡を追って!

先日、報道ステーションの取材で、鹿児島県の喜界島や静岡の御前崎を巡っていました。

今、巨大地震の発生が懸念されている場所の一つが、静岡から四国沖に伸びるプレート間の溝、南海トラフです。

この南海トラフで3連動地震が発生した場合、冬の夜中という最悪の想定で30万人規模の方が犠牲になるという試算も出されています。

しかし、実はこの南海トラフの南側には、より深いプレートの溝である琉球海溝が、沖縄の南を通り台湾付近まで伸びています。そしてこの琉球海溝は南海トラフと一つにつながっていると言われています。
今、南海トラフと琉球海溝が連動する超巨大地震の恐れが専門家から指摘されているのです。

私が取材した喜界島は、鹿児島県の奄美大島の東側に位置するサトウキビ栽培を主な産業とする小さな島です。かつては海底にありましたが、度重なる大地震によって珊瑚礁が隆起を繰り返した結果、今の形になりました。



百之台

島で最も標高の高い百之台といわれる高台は、10万年前の巨大地震による隆起で誕生したとみられています。
また、島の海岸線は階段状の地形になっていて、約1700年から2000年間隔で、大地震によって隆起を繰り返した跡が見られます。



珊瑚礁隆起の跡

名古屋大学の古本宗充教授は、この隆起を繰り返した地形(海岸段丘と呼ばれます)の作られた時期に注目しています。
古本教授は、喜界島以外にも高知県の室戸岬や静岡県の御前崎にも同じような海岸段丘があり、しかもそれらの形成された時期が非常に似通っていることに気づきました。



御前崎の海岸段丘

そして、喜界島のすぐ東に延びる琉球海溝から、室戸岬や御前崎までの南海トラフで、ほぼ同じ時期に超巨大地震が起き、それぞれの場所でほぼ同時に海岸線が隆起したのではないかと仮説を立てているのです。

古本教授が、この仮説を立てたきっかけは、2004年のスマトラ沖地震でした。
スマトラ沖地震では、震源はスマトラ島沖からインド洋のアンダマン諸島まで千数百キロに及ぶという巨大なものでした。
そして、この時の震源のプレート境界を、南北を逆転させて日本の地図に重ね合わせると、南海トラフ・琉球海溝のプレート境界に驚くほどピッタリと重なるのです。
スマトラ沖との地殻的な類似性からも、同じ規模の超巨大地震が南海トラフ・琉球海溝でも起きていた可能性は否定できないと、古本教授は考えているのです。

また、琉球海溝は、17世紀以前の地震や津波の記録が太平洋戦争などの影響で焼失し残されていないため、これまでは地震の空白域とも言われていました。
しかし、最新の研究で、琉球海溝でも一部で南海トラフと同じようにプレート間の歪みがたまっていることがわかってきたのです。

沖縄の宮古島では、約2200年から2300年前のもので、その後も数百年間隔で無数に打ち上げられている津波石といわれる巨大な岩が存在することも、東京大学などの調査で明らかになりました。
この琉球海溝から南海トラフまでが連動する可能性についても、もっと調査する必要があると専門家は指摘しているのです。

最悪を想定すると暗澹たる気持ちにもなってくるのですが、東日本大震災を経験した以上は、あらゆる事態を想定しておく必要があります。

津波対策で最も大切なのは言うまでもなく逃げることです。
しかし、周囲に全く高台がない平野が広がる場所も日本には多くあります。
また高齢者や足の不自由な方など、津波が来るまで5分から10分しか猶予がない場所では逃げられない方も現実にいます。

その最後の手段として、今、救命艇が注目を集めています。



救命艇

救命艇は大型の客船などに積まれている物ですが、万が一の際に、津波から逃げ遅れた人用に、こうした救命艇を配備しておくことも実際に検討が始まっています。
具体的な運用は決まっていませんが、エンジンを外して公園などに置いておき、いざという時に乗り込んで津波に流れをまかせます。
そして救命艇に設置されたGPSで、海上などで発見、救助してもらう案などが四国などで検討されているのです。
実際この救命艇には、南海トラフ沿いの約6割の自治体が関心を示しています。

南海トラフの地震はいつ起きてもおかしくありません。
東日本大震災の悲劇を繰り返さないためにも、私たち一人一人が、逃げる、そして生き延びるということを、常に考えて備えておく必要がありますね。

   
 
 
    
前の記事を読む 次の記事を読む  

トップ > パーソナルトップ > プロフィールトップ > エッセイバックナンバー