28 見附
広重の「見附」は、「天竜川」池田の渡し。 池田の渡船関係者が、武田軍が攻めて来た時に徳川家康に味方したことから、今から約440年前の1573年天竜川渡船権のお墨付きをもらいました。 1878年(明治11年)に木の橋が完成するまで、「池田の渡し」は東西交通の役割を担ってきました。
29 浜松
広重の「濱松」は、「冬枯ノ図」 大きな木の根元で焚き火をして暖をとっている人々の姿。遠くに浜松城、右手にざざんざの松(室町6代将軍足利義教がこの松の下で宴を開き「浜松の音はざざんざ」【ざざんざ=風が松に吹く音】と謡ったそうです)も見えています。現在は、この絵とうってかわって大都会。
30 舞坂
広重の「舞坂」のタイトルは「今切真景」 今切とは、遠州灘と浜名湖を結ぶ水路・今切口(いまぎれぐち)のこと。今から約510年前室町時代の1498年(明応7年)に起きたM8.9の大地震によって、砂州が決壊して出来上がったと言われています。「今(最近)切れた」から今切と言うようになったそうです。この地震は、東日本大震災以降特に注目される東海・東南海・南海の三連動地震だったのではと見られていて、きっとこの時も大津波がこの辺りだけではなく、太平洋沿岸を広い範囲で襲ったことでしょう。それ以降、浜名湖では渡し船による東西の往来が始まりました。
31 新居
今切の渡しの船着き場の先に「新居の関所」がありました。東海道は、東に箱根の関所、西に新居の関所で、「入り鉄砲と出女」つまり幕府が江戸に武器が持ち込まれないように、大名の家族の女性が江戸から勝手に出て行かないように厳しいチェックをしました。現在、新居関所は全国で唯一現存する関所建物として、保存・公開されています。
32 白須賀
潮見坂(汐見阪)を登ったところに白須賀の宿がありました。でももともとは坂の下の海沿いにあったそうです。しかし1707年(宝永4年)の宝永地震の大津波で壊滅、その後高台に移転しました。宝永地震も三連動地震だったようですが、東海道をたどると日本の地震の歴史が数々刻まれていることを改めて実感します。歴史に学ばなければなりません。