前の記事を読む 次の記事を読む  

トップ > パーソナルトップ > プロフィールトップ > エッセイバックナンバー
 
 
3月21日 てら散歩  「東海道五十三次」広重のあの絵の場所を訪ねる


24 金谷



金谷(安藤広重)    
 
大井川橋(島田市金谷東)

島田の川越遺跡から県道381号を通って川を渡りきる少し手前で振り向いて撮ったのが右上の写真。何となく背景の山の形が広重の作品と似ていました。でも、左上の絵の中、山裾に描かれている集落が金谷宿だそうなので、実際は振り向かないで前を見た方が正しい構図になります。
前回の「島田」と同じく、まるでアリの行列のように小さく大名行列を描き、大井川を越すのがいかに大変かを強調しています。



島田宿側から見ると…
 
金谷宿川越し場跡解説


25 日坂



日坂(安藤広重)   
 
小夜の中山(掛川市左夜鹿)

「日坂」のタイトルは「佐夜中山」この絵が描かれた場所のこと。現在は「小夜の中山」と言われています。そして細い道の真ん中にある大きな石が伝説の「夜泣き石」です。



旅人も夜泣き石にビックリ!

曲亭馬琴の「石言遺響」に書かれたり、色々なストーリーに広がっていますが、大まかに言うと…

【小夜の中山 夜泣き石伝説】
一人の身重の女性が山賊に襲われ斬り殺されてしまいました。お腹の中の赤ちゃんは無事で、何と傷口から生まれましたが虫の息。子供を想う母親の魂が近くにあった丸い石に乗り移り、助けを求めるようにその石から夜ごとに泣き声が聞こえてきました。近くの寺の和尚さんがその声に気づき、赤ちゃんを発見し、保護したということです。
その子はやがて大きくなって刀の研ぎ師に…。
そこにやってきたある男の刀の刃こぼれについて尋ねたところ
「今から10数年前、小夜の中山で妊婦を切り捨てた時に石にあたった」
そこで母の仇、恨み晴らしたー!!というお話。

国道1号沿いの「名物子育飴 ドライブイン 小泉屋」(1751年・宝暦元年創業)横の石段を上った所に祀られていました。子育飴とは、お乳がなくて困った和尚さんが水飴を作ったことに由来しているそうです。



今も保存されていた!夜泣き石
 
けっこう大きい!


「南無阿弥陀」と書いてある?

石には字が彫られていましたが、伝説を聞いた弘法大師が指で刻んだという話もあります。



茶畑が広がる小夜の中山
 
広重「日坂」の碑


26 掛川



掛川(安藤広重)   
 
大池橋(掛川市二瀬川)

広重の絵のタイトルは「秋葉山遠望」
掛川の大池橋から見える秋葉山(あきはさん)【赤石山脈最南端・天竜川の上流にある山】を右側に、秋葉山本宮秋葉神社(あきはじんじゃ)詣をする旅人と僧侶が橋の上ですれ違う様を描いています。実際にはここから絵の様に山は見えませんが、もともとこの橋を渡ったところに大きな鳥居が建っていて、ここは東海道から秋葉街道が分岐する場所だそうです。
凧が揚がっていたり、糸が切れて飛んでいってしまっていたり…これはこの地方に伝わる【横須賀凧】でしょうか?


27 袋井



袋井(安藤広重)  
 
天橋(袋井市袋井)

当時の袋井の東の宿入口はとってものどかな風景です。大きな木の前に出茶屋が店を出している。枝に長い紐でやかんがぶらさがっていて、店の女性が火を見ている一方、駕篭かきが煙草に火をつけている。かまどからは白い煙がモクモクと昇っている。奥には田園が広がっていますが、現在は右上のように住宅地です。



ボランティア運営の「東海道どまん中茶屋」


東本陣跡 
 
袋井宿案内板
   
 
    
前の記事を読む 次の記事を読む  

トップ > パーソナルトップ > プロフィールトップ > エッセイバックナンバー