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4月11日 てら散歩  「東海道五十三次」広重のあの絵の場所を訪ねる


33 二川



二川(安藤広重)   
 
愛知・静岡県境(湖西市白須賀)

絵のタイトルは「猿ヶ番場」
白須賀宿と二川宿の間、ちょうど遠江国(今の静岡県)と三河国(今の愛知県)の境にあたる地域です。左側には「名物 かし八(柏)餅」の看板がかけられている茶屋。中央には3人の女旅芸人。あとは一面何もない野原のようです。



今は田んぼが広がっている
 
国境になる境川

実は、ここの名物には逸話があります。
1590年(天正18年)豊臣秀吉が天下統一、小田原攻めに向かう途中、このあたりの茶屋で休憩した時、名物の柏餅が出てきました。「何という菓子か?」と尋ねると「かしわもち」と言う答えが返ってきましたが、秀吉はこれを「勝和餅(かちわもち)」と聞き間違えました。結局、戦に勝利したことで、その後秀吉がこの茶屋の【猿に似た老婆】(他人のこと言えないと思うのですが…)に褒美を与えました。そのことから【猿がばんば】の茶屋→【猿ヶ番場】の茶屋になったそうな…



史跡 二川宿本陣
 
現在は資料館になっている


34 吉田



吉田(安藤広重) 
 
豊川と吉田城(豊橋市今橋町)

絵のタイトルは「豊川橋」
正面に流れる豊川、右側の吉田城には足場が組まれ、壁塗り作業をしている職人と足場の木につかまって左側の橋を渡っていく大名行列を眺める者の姿も…
ややこしいのは、この橋は当時「吉田大橋」と呼ばれていて、途中架け替えられたときに「豊橋(とよばし)」に呼び名が変わって今に至っています。現在は県道496号の橋。ちなみに、豊橋市(とよはしし)の名前の由来です。



現在の「豊橋」

更にややこしいのは、上の広重の絵の右の写真に写っている橋は、現在の「吉田大橋」で、国道1号の橋。「豊橋(とよばし)」より上流に架かっている橋です。
更に更にややこしいのは、「豊川橋(とよがわはし)」は豊川の最下流、現在、三河湾に一番近いところに架かっている国道23号豊橋バイパスの橋です。 あ〜ややこしや〜 お分かりいただけましたか?

吉田城は今は豊橋公園になっていて、昭和29年に復興された鉄櫓が建っています。実は豊橋市役所東館の13階展望フロアから、ちょうど広重の絵の構図に似た写真が撮れたのです。



吉田城(復興された隅櫓・鉄櫓)
 
豊橋市役所 東館


吉田宿本陣跡…今は鰻屋に


35 御油



御油(安藤広重)
 
御油(豊川市御油町)

絵のタイトルは「旅人留女」
道の真ん中で旅人を旅籠に引きずり込もうとする客引きの女の姿、かなり強引かつ強烈!



御油の松並木
 
昭和19年に国指定の天然記念物に…


36 赤坂



赤坂(安藤広重)
 
旅籠 大橋屋(豊川市赤坂町)

絵のタイトルは「旅舎招婦図」
旅籠の中の様子が細かく描かれています。右の部屋には化粧をする女性、左の部屋にはお膳を運ぶ女性の姿…既にゴロンと横になっている客、風呂上がりの客も見えます。



豊川市指定建造物 旅籠 大橋屋
 
ここは広重の絵のモデル


37 藤川



藤川(安藤広重)
 
藤川宿 東棒鼻跡(岡崎市市場町)

絵のタイトルは「棒鼻ノ図」
棒鼻(ぼうばな)とは宿の出入口、境界に立っている棒杭のことで、絵の中央にあります。「八朔(はっさく)御馬 献上」(毎年八月朔日=旧暦8月1日 朝廷に馬を献上)する幕府の一行が入ってくる様子が描かれています。



平成元年に再現
 
藤川宿の傍示杭
   
 
    
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