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東京今昔物語

2019429日(月)

「オリンピックで変わる街」

東京2020オリンピック・パラリンピックのメイン会場である新国立競技場は、今年11月末に完成予定です。
1964(昭和39)年に東京オリンピックが行われた時も、国立競技場はオリンピック開催に向けスタンド増設や聖火台移設など、大幅な改修工事が行われました。
競技場の近くで1950(昭和25)年から営業を続けるクリーニング店の島田清代美さん。東京オリンピック当時は17歳でした。東京オリンピックのため道路などが整備され、街が変貌する様子をつぶさに見てきました。
島田さんの家のすぐ側にあった川は埋め立てられ外苑西通りとなりました。世界各国から来る記者のために建てられた宿泊施設はオリンピック後、高級アパートになり、島田さんはそこに住んでいた子どもとよく遊んでいたそうです。
そして現在、2人の孫の祖母となった島田さんは、2度目のオリンピックを迎えようとしています。息子夫婦と孫との観戦が楽しみだそうです。
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2019430日(火)

「親子2代の東京タワー」

去年、来場者が1億8000万人を超えた東京タワー。開業したのは1958(昭和33)年で、当時、世界一の高さを誇り、展望台は大変な賑わいでした。
東京タワーのふもとにある「フォトサービス・マツナガ」は親子2代に渡って東京タワーを撮影し続けている写真館です。
今は亡き父・松永寿郎さんは建設中から撮り始め、完成直前には地上250m地点で3人の職人を撮影しています。
娘・みどりさんが東京タワーを撮影し始めたのは、1989年元日の最初のライトアップ。零時の時報と同時にオレンジのライトが点灯され感動を覚えたそうです。
みどりさんにとって親子2代で撮影してきた東京タワーは、一緒に過ごす弟のような存在で、今後も撮り続けていきたいそうです。
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201951日(水)

「銀座 時代と未来」

高級ブランド店や高級飲食店が立ち並び、老舗も数多く残る銀座。常に日本の最先端をゆく街です。
銀座で生まれ育った老舗「銀座大黒屋」の7代目安西章次さんと銀座の歴史を振り返ります。1964(昭和39)年頃、みゆき通りを闊歩する“みゆき族”が登場しました。安西さんもコットンパンツなどのアイビールックで歩いていたそうです。
銀座通りから都電が消えたのが1967(昭和42)年。1970(昭和45)年には都内で初の歩行者天国に23万人が訪れました。
そして現在、海外からも多くの人が集まる銀座通りは、東京2020大会に向けてカツラ並木になりました。
銀座は新しいものを追いかけるだけではなく、時代に合わせて変化し、50年、100年先を見据える街だと安西さんは語ります。
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201952日(木)

「変わりゆく高輪」

2020年春に開業する高輪ゲートウェイ駅。現在、駅の建設が進む高輪は、第一京浜と桜田通りに挟まれ都心でも有数の住宅地です。変化していく街を記録しようと、港区では昔や今の写真を区民の協力によって集め「高輪今昔物語」と題し、ホームページで公開しています。
収集を行うメンバーの片桐義雄さんに、第一京浜の高輪歩道橋から撮影した写真を見せてもらいました。1967(昭和42)年、都電品川線が最後に走った日に撮影した写真です。まだ高いビルは周辺に無く、東京タワーがそびえ立つように見えます。
「高輪今昔物語」では年に一度メンバーが高輪地区を案内し、知られざる魅力を掘り起こし写真撮影を楽しむツアーも行っています。撮影された写真は後世に残す地域史料になるそうです。片桐さんは変わって行く景色を記録して先々の人に知ってもらいたいと話します。
区民参画事業「高輪今昔物語」
電話:03-5421-7123
(高輪地区総合支所協働推進課地区政策担当)
HP:https://www.city.minato.tokyo.jp/takanawakyoudou/digital-archive/index_takanawakonjyakumonogatari.html
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201953日(金)

「渋谷 時代と交差点」

1回に3,000人が行き交うという渋谷駅前のスクランブル交差点。渋谷で生まれ育ち、渋谷を撮り続けているカメラマンの佐藤豊さんにスクランブル交差点から見た渋谷の変貌を教えてもらいました。
1951(昭和26)年頃は都電が走り、東横百貨店と玉電ビルを結ぶ空中ケーブルカー「ひばり」が運行していました。
交差点にスクランブル方式が導入されたのは1974(昭和49)年のことです。その後1979(昭和54)年に、ファッションビル「109」が開業し、90年代後半にギャル文化・流行の発信基地と言われるようになりました。
2000年代に入るとスクランブル交差点は若者が集まる場所となっていきます。その始まりが、2002FIFAワールドカップの時。近年はSNSで一般の人も発信できるようになり、スクランブル交差点でのイベントの話題が一気に拡散されるようになりました。スクランブル交差点はステージとして発信する場所だと佐藤さんはいいます。
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