今週のテーマ

歴記ある建築を求めて

2008年 1月14日(月) 放送分


昔日の伯爵家

まず最初に訪れるのは、小笠原伯爵邸。昭和初期に小笠原長幹伯爵の邸宅として建てられたスパニッシュ様式の館です。現在は、邸内にレストランも設けられおり、レストランのランチかディナーを予約した方に限り邸宅内を見学することができます。

新宿区にある小笠原伯爵邸。九州小倉(こくら)藩を治める大名の家柄だった小笠原家。その第30代目当主、長幹(ながよし)伯爵の邸宅として昭和2年に建てられました。戦後、一時連合軍によって使われた後、児童相談所として利用されていましたが、現在は修復工事を経て、スペイン料理のレストランとして甦りました。伯爵邸の名にふさわしく、あのミシュランでも星つきレストランとして評価されています。この邸宅の最大の見所が喫煙室。ヨーロッパのタバコや葉巻がトルコ、エジプトから入ってきたことから当時、西洋風の邸宅を建てるときは喫煙室をイスラム風にするのが習わしだったそうです


  





2008年 1月15日(火) 放送分


巨匠の傑作

本日、訪れるのは自由学園明日館。旧帝国ホテルをはじめ、数々の名建築を手がけてきた20世紀を代表する巨匠・建築家フランク・ロイド・ライトの手によって設計されました。館内の見学情報、ライトこだわりのデザインを紹介します。

こちらの建物は大正10年、キリスト教精神に基づき女学校として建てられた自由学園明日館(みょうにちかん)。創立者の羽仁吉一はジャーナリスト、妻もと子は日本初の女性新聞記者。知識の詰め込みではなく、生活と結びついた新しい教育を実現するために夫妻でこの学校を設立しました。明日館でもっとも広いスペースを占める食堂。工事現場を見たライトは、食卓の空間をより華やかに演出するために設計段階ではなかった照明器具を追加でデザインしました。








2008年 1月16日(水) 放送分



薫る早稲田文化

本日、最初に訪れるのは早稲田のシンボル大隈講堂。講堂の特徴を建築学科教授の方の話を交え紹介します。次に旧図書館(早稲田大学2号館)を訪れ 會津八一記念博物館 をご紹介します。

早稲大学創立者、大隈重信が亡くなると、かれの悲願であった大講堂が建設されることになりました。昭和2年、建築学科の教授たちの設計により完成したのが、大隈講堂だったのです。この時計の塔の高さは125尺、およそ38メートルあります。125尺には理由があります。創立者の大隈重信が生前から人間はちゃんと生きれば125年生きられると、125年寿命説というのを唱えていたのです。19万枚のタイル一つ一つにつけられた溝が作り出す陰影。さらに色違いの粘土をまぜたタイルの濃淡によって奥行きのある講堂の色が生まれました。







2008年 1月17日(木) 放送分

厳かに煌く空間

東京のカトリック教会でも有数の歴史をもつカトリック神田教会。明治7年に創建され、関東大震災後の昭和3年に現在の教会が完成しました。本日は教会内の聖堂、見学情報また教会の歴史などを紹介します。

明治7年に創設されたカトリック神田教会。東京のカトリック教会でも有数の歴史を持ちます。明治時代、旗本屋敷跡に建てられた教会は大火事で焼失。その後、大正時代に建てられた教会は関東大震災で失われました。2度の災難に逢ってきた神田教会。そのため、再建の際、シェレル神父は火事、地震に強い鉄筋コンクリートで教会を作るように指示しました。昭和3年、現在の教会が完成。大正時代の教会の面影をその屋根の模様にみることができます。天井は半円アーチ型。天井を支える12本の柱はキリストの弟子である12使徒を表しています。80年間、信者たちを見守り続けた神田教会。その歴史的価値が認められて登録有形文化財に指定されています。






                                                                                                                                                                                               

2008年 1月18日(金) 放送分



アートでよみがえった江戸の藏

浅草にあるカフェ「ギャラリー・エフ」本日はこのカフェの奥にたたずむ江戸時代から現存する蔵が舞台。江戸時代末期に建てられ、一時は取り壊される寸前でしたが、ボランティアで参加した200人以上の協力によりアートギャラリーとして生まれ変わりました。

浅草、雷門にほど近い場所にあるギャラリーエフ。一見すると2階立ての普通の建物ですが…その奥には、140年前の江戸時代の蔵が残っているのです。1960年代、蔵を買い取ったオーナーが隣接して事務所を建設したため、今のような形になりました現在はカフェとなった店の奥にたたずむ蔵。登録有形文化財に登録され、見学することもできます。蔵は一時オーナーの事情で取り壊される寸前でした。しかし、専門家の調査で貴重な蔵であることが判明し、残される事になったのです。柱には「慶應四戊辰年(けいおうよん、ぼしんのとし)」の文字が残っていました。江戸時代最後の年、戊辰戦争が行われた年でもあります。











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