山Pの腹筋が欲しい…
超貴重映像満載!
初登場・山下智久さんをゲストにお迎えして、歴代ジャニーズアイドル、ヒットソング・ヒストリーをオンエア!!
「今夜のSmaSTATION!!はジャニーズ事務所の歴史総復習!!もう、たのきんからSMAP…SMAP、SMAP…そしてNEWS!今日は完全保存版です。そして、SmaSTATION!!10周年で初めてのジャニーズの後輩!」。主演映画『あしたのジョー』が公開されたばかりの山下智久さんをゲストにお迎えした今夜は、『超完全保存版ジャニーズの歴史を総復習SP 歴代ジャニーズアイドル ヒットソングヒストリー』をお送りしました。
数々のトップアイドルを輩出し、日本のアイドル界を牽引してきたジャニーズ事務所。高度成長期の1962年に設立された同事務所の活動は、1964年、『ジャニーズ』という4人組グループの誕生から始まりました。あおい輝彦さんも所属していたこのグループは、ジャニーズ事務所創設者のジャニー喜多川社長が監督を務めていた少年野球チームのメンバーから結成されたといわれています。当時、歌って踊るアイドルというものが存在しなかった時代に、ジャニーズは、人気番組だったNHKの歌謡バラエティ『夢であいましょう』に出演し、たちまち注目の的に。その後、1968年にデビューし、70年代初頭に絶大な人気を誇った『フォーリーブス』、1972年にデビューすると同時に大ブレイクし、トップアイドルとなった郷ひろみさんら、時代をリードするアイドルたちを次々と送り出しました。1980年代に入ると、近藤真彦さん、田原俊彦さん、野村義男さんの『たのきん』が一世を風靡。さらに、1982年には『シブがき隊』が、1985年には『少年隊』が、そして1987年には『光GENJI』が続き、日本中を熱狂させました。その勢いは1990年代に入るとさらに加速します。1991年には、歴史に大きな足跡を刻むスーパーグループ『SMAP』が登場!続いて『TOKIO』(1994年)、『V6』(1995年)、『KinKi Kids』(1997年)、『嵐』(1999年)がデビューし、圧倒的な人気を獲得しました。さらに21世紀に入ると、山下さんが最も影響を受けたという滝沢秀明さんが今井翼さんと組んだ『タッキー&翼』(2002年)がデビュー。そして2003年には、山下さんが所属する『NEWS』もデビューを飾ったのです。その後も、関西ジャニーズJr.から初めて全国区に飛び出したユニット『関ジャニ∞』(2004年)、『KAT-TUN』(2006年)が登場。そのKAT-TUNの亀梨和也さんと山下さんの共演ドラマから期間限定ユニット『修二と彰』が誕生。また、山下さんは2006年にソロデビューも果たしました。翌2007年には『Hey! Say! JUMP』が、2010年には『NYC』がそれぞれデビュー。そして今日12日、『Kis-My-Ft2』が2011年5月にデビューすることも発表され、歴史にその名を刻むことになりました。「常にインパクトがあることをやってきたんだな、ということを凄く感じました」と山下さんもおっしゃっていましたが、その歴史は日本のアイドル史、歌謡史そのもの。貴重な映像の数々に、香取編集長も「いますぐ、もう1回最初から見たい!」と大興奮でした。
さて、次週2月19日の放送は、北大路欣也さんをお迎えして『2011年ヒット予測』をお送りします。ご期待ください!
熱狂的な声援のなか、人々の憧れの存在として、ファンを虜にする「アイドル」。そんなニッポンのアイドル界をリードしてきたのがこれまでに、数々のトップアイドルを輩出し、歌謡界に様々な記録を打ちたててきた「ジャニーズ事務所」。所属アーティストがテレビに出ない日はないほど、絶大な人気を誇り、今なおトップを走り続けています。事務所設立からおよそ50年、数々の社会現象までをも引き起こしてきたジャニーズ事務所の歴史を今夜、一挙大公開します!
超完全保存版 ジャニーズの歴史を総復習SP
歴代ジャニーズアイドル ヒットソング ヒストリー
ジャニーズの歴史を語る上でまず、触れなければならないのが、80年代に一世を風靡した「たのきん」の近藤真彦さん、田原俊彦さん、野村義男さんの3人。1979年、ドラマ『3年B組金八先生』に生徒役で出演した3人が大ブレイクを果たし、ジャニーズ躍進の原動力となりました。ここで、そんな3人の代表曲を紹介しましょう!
"マッチ"こと近藤真彦さんは、1980年12月に「スニーカーぶる〜す」でデビュー。3人が主演した映画『青春グラフィティ スニーカーぶる〜す』の主題歌でもあったこの曲は、デビューシングルにおいてオリコン史上初の初登場1位を記録、売り上げも100万枚を突破し、ジャニーズ事務所初となるミリオンヒットとなったのです。華々しいデビューを飾ったマッチは、以降もヒット曲を連発。「ギンギラギンにさりげなく」は、第23回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。ちなみに、この曲を作詞した伊達歩とは、直木賞作家の伊集院静氏のことです。また、「ふられてBANZAI」、「ハイティーン☆ブギ」を作曲したのは、当時29歳だった山下達郎さんです。同名タイトルの映画もヒット、マッチの代表曲のひとつである「ブルージーンズ・メモリー」では、歌の途中に「さよならなんて言えないよ。バカヤロー!」というインパクト絶大のセリフが入ることも話題となり、「ケジメなさい」では、個性的な振り付けが話題になりました。さらに、「愚か者」では、ジャニーズ事務所初の日本レコード大賞も受賞しています。デビュー30年を超え、現在も精力的にライブ活動も行っている近藤真彦さんは、ジャニーズ事務所の後輩の誰もが憧れる存在です。
"トシちゃん"こと田原俊彦さんは、マッチのデビューの6ヵ月前、たのきんの先陣をきって「哀愁でいと」でデビュー。同年デビューしたマッチや松田聖子さんらとともに、80年代初頭のアイドル界を爆発的に盛り上げました。そんなトシちゃんのヒット曲には、「ハッとして!Good」、「恋=Do!」、「悲しみ2ヤング」、「君に薔薇薔薇…という感じ」、「原宿キッス」、「NINJIN娘」などがあります。そして、デビューから8年、27歳のトシちゃんがリリースした33枚目のシングル「抱きしめてTONIGHT」は、自身が主演のテレビドラマ『教師びんびん物語』のテーマソングにも使用され大ヒット。さらに、『教師びんびん物語II』のテーマ曲「ごめんよ涙」もヒットを記録しました。
そして、たのきんで3番目のレコードデビューとなったのが、"ヨッちゃん"こと野村義男さん。彼のデビューはソロではなく「The Good-Bye(ザ・グッバイ)」というバンドでした。83年に「気まぐれONE WAY BOY」でデビューし、日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。4枚目のシングル「YOU惑 MAY惑」をリリース以降は、バンドメンバーが曲作りを行うようになり、その音楽性が高く評価されました。そんなヨッちゃんは、今では日本を代表するギタリストに。マッチの30周年コンサートに駆けつけ、華麗なテクニックを披露しファンをわかせました。
たのきんの大ブレイクで80年代初頭に一躍その名を世に知らしめたジャニーズ事務所ですが、その設立は1962年に遡ります。当時は日本が高度成長に沸き立っていた時代。事務所の活動は、1964年、「ジャニーズ」という4人組グループの誕生から始まりました。あおい輝彦さんも所属していたこのグループは、ジャニーズ事務所の創設者のジャニー喜多川社長が監督を務めていた少年野球チームのメンバーから結成されたといわれています。当時、歌って踊るアイドルというものが存在しなかった時代にジャニーズは、当時の人気番組NHKの歌謡バラエティ「夢であいましょう」に出演し、たちまち注目の的に。この4人から、ジャニーズ事務所の歴史がスタートしたのです。その後、1968年にデビューし70年代初頭に絶大な人気を誇ったのが「フォーリーブス」です。当時、人気のバロメーターだったブロマイドの売上げが男性歌手トップを記録し、甘いマスクと華麗なダンスは多くの女性たちを熱狂させました。そのフォーリーブスの代表曲「ブルドッグ」は、ゴムバンドを使った個性的なダンスと、インパクトの強い歌詞で注目を集めました。そして、72年、フォーリーブスの弟分としてデビューしたのが、郷ひろみさんです。当時、17歳だった郷さんは、中性的でどこか哀愁を感じさせるルックスが人気を集め、たちまち大ブレイク。西城秀樹さん、野口五郎さんとともに新御三家と呼ばれ、時代を代表するスターへと成長していきます。また、75年にデビューしたのが、"JJS"こと「JOHNNY'S ジュニア・スペシャル」というアイドルグループ。当時、ブームとなっていた「ベルサイユのばら」をモチーフにした曲でデビュー。王子様的ないでたちが、女の子たちの憧れとなりました。さらに、同75年、当時12歳の曽我泰久さん、13歳の松原秀樹さんが組んだ「リトル・ギャング」が、ジャニーズ事務所初のデュオとしてデビュー。美しい歌声で人気を博しますが、声変わりが理由で約1年で解散してしまいました。ちなみに、曽我さんはその後、野村義男さんと「The Good-Bye」を結成し活躍しました。77年には、股下93センチという抜群のプロポーションで、ブロマイドの売り上げが2年連続1位となるほどの人気を誇った川崎麻世さんが「青いシンボル」でデビューしました。こうして先輩方が築いた礎をもとに、ジャニーズ事務所は時代をリードするアイドルたちを次々と送り出しました。
シブがき隊、少年隊、光GENJIがデビュー
80年代にたのきんが一世を風靡したあと、さらにジャニーズ事務所の歴史に大きく名を残すアイドルグループが続々と誕生します。そのひとつが、82年にデビューした「シブがき隊」です。メンバーは、"フックン"こと布川敏和さん、"ヤックン"こと薬丸裕英さん、"モックン"こと本木雅弘さん。3人はデビュー前から『3年B組金八先生』の続編的なドラマ『2年B組仙八先生』に出演し人気を集めていました。その後、雑誌「セブンティーン」誌上で3人のユニット名の公募が行われ、「渋いガキ」という意味からシブがき隊と命名されました。アイドル全盛期に華々しくデビューを飾った彼らも、数多くのヒット曲を生み出しています。そんな「シブがき隊」の楽曲は、「100%…SOかもね!」「処女的衝撃!(ヴァージンショック)」「Zokkon命(LOVE)」「月光淑女!(ムーン・ビーナス)」など、日本語とアルファベットが入り混じる斬新なタイトルでも注目を集めました。そして、86年には名曲「スシ食いねェ!」をリリース。ユニークな歌詞、キャッチーなメロディーが話題となり彼らの代表曲になりました。ちなみに、この曲には「Oh!SUSHI」という英語版も存在します。続いての80年代デビューのビッグアイドルグループといえば、"ニッキ"こと錦織一清さん、"カッちゃん"こと植草克秀さん、"ヒガシ"こと東山紀之さんが組んだ「少年隊」です。少年隊は、85年に「仮面舞踏会」でデビュー。その完成度の高いダンスと歌唱力で一躍トップアイドルに!曲の最後には3人そろって華麗なバック転を披露しました。2ndシングル「デカメロン伝説」は、秋元康氏が作詞を手がけたユニークな歌詞が話題に。「少年隊」を代表する名バラード「君だけに」では、指を鳴らすイントロの振り付けが当時大流行。さらに、「ABC」では少年隊のキレのあるダンスが注目を集めました。87年には、日本中を大熱狂させたアイドルグループ「光GENJI」がデビュー。平均年齢15.9歳の7人組が、ローラースケートで走りながら歌うという、新時代のアイドルとして瞬く間に脚光を浴びた彼ら。町のスポーツ店ではローラースケートが飛ぶように売れ、全国的なブームとなるほどでした。そんな彼らのデビュー曲「STAR LIGHT」は、作詞をCHAGE&ASKAのASKAさん、作曲をASKAさん、CHAGEさんが担当しました。続く2ndシングル「ガラスの十代」、彼ら最大のヒット曲となる「パラダイス銀河」は、作詞・作曲をASKAさんが手がけました。ちなみに「ガラスの十代」で話題となったのが、歌の途中に衣装を脱ぎ捨てG短パン一枚になる演出。ローラースケート同様このG短パンも当時、飛ぶように売れました。彼らは、「STAR LIGHT」から「荒野のメガロポリス」まで8作品連続でオリコン1位の大ヒットを記録。88年の年間シングルチャートでは、ベスト3を独占するという快挙を成し遂げ、その人気は社会現象とされました。そんな彼らのバックダンサーのなかには、SMAPのメンバーの姿もありました。80年代最後にデビューしたのが、ロックを売りにした4人組バンド「男闘呼組」でした。88年「DAYBREAK」のデビューから4枚続けてオリコン1位を獲得。女性ファンが熱狂したのはもちろん、骨太なロックを響かせる姿に、男性ファンも多くいました。90年にデビューしたのは、演歌をポップにリメイクした「忍者」。美空ひばりさんの「お祭りマンボ」のリメイクで話題を集めた6人組は、その名の通り、忍者のような身軽さで華麗なダンスを披露しました。
スーパーグループ SMAP誕生!
そして、91年、ジャニーズ事務所設立から29年目、その歴史に新たなる大きな足跡を刻むスーパーグループが誕生します。「Can't Stop!!-LOVING-」でデビューした「SMAP」です。ちなみに、SMAPのSはSports、MはMusic、AはAssemble、PはPeopleの頭文字です。デビュー以前から注目度が高かった彼らは、デビュー前にもかかわらず、その年の元日、日本武道館において1日3回公演を実施し、全て満員という快挙を成し遂げます。このとき、香取さんは練習中に負ったケガのため、松葉杖をついて登場しました。そんなSMAPのヒットソングといえば、「HeyHeyおおきに毎度あり」「がんばりましょう」「青いイナズマ」「SHAKE」「ダイナマイト」「夜空ノムコウ」など多数。なかでも、2003年、ジャニーズ事務所史上最大のヒットを記録し、日本を代表する曲となったのが「世界に一つだけの花」です。その売り上げは、258万枚を記録、まさに全国民に支持される大ヒットソングとなり、2006年には音楽の教科書にも採用されました。また、デビュー当時から続けているコンサートでは、昨年、観客動員数がなんと 累計1000万人を突破するという偉業を達成しました。
SMAPのデビューから3年後、1994年に「LOVE YOU ONLY」でデビューしたのが男闘呼組以来のロックバンド「TOKIO」です。SMAPがレギュラー出演していたバラエティ番組「アイドル共和国」の企画から誕生した「TOKIOバンド」が元となり結成されました。翌95年には「MUSIC FOR THE PEOPLE」でV6がデビュー。光GENJIのバックダンサーも務めていた平家派出身の3人の「20th Century」と年少組の3人「Coming Century」の6人組ユニットです。そして、97年にはジャニーズ初の関西弁アイドルデュオ「KinKi Kids」が、「硝子の少年」でデビュー。彼らはデビュー以降、シングルの売り上げが30枚連続初登場1位を記録。この記録は、ギネスブックにも登録され、現在もなお更新中です。ちなみに彼らの7枚目のシングル「フラワー」では、ジャニーズジュニア時代の山下智久さんもバックダンサーとして参加していました。1999年、「A・RA・SHI」で20世紀最後のデビューを飾ったのは「嵐」です。デビュー会見はハワイの豪華客船上で行われ話題となりましたが、メンバーには直前まで内容が知らされていなかったと言います。そして、2002年にデビューしたのがジャニーズジュニア時代から特に人気の高かった滝沢秀明さん、今井翼さんが20歳を迎え組んだユニット「タッキー&翼」です。2ndシングル「夢物語」がオリコン1位を獲得する大ヒットとなりました。03年には、山下智久さんも所属する「NEWS」が「NEWSニッポン」でデビュー!そんなNEWSは、これまで出したシングル、アルバムのすべてがオリコン1位を記録。07年にリリースした「weeeek」は、人気バンドGReeeeNが作詞作曲を担当したことも話題となりました。04年にデビューを果たしたのは関西を拠点に活動していた「関西ジャニーズJr.」から初めて全国区に飛び出したユニット「関ジャニ∞」。メンバーは全員関西出身で、錦戸亮さんはNEWSと掛け持ちで活動しています。06年、結成から5年を経て待望のデビューを果たした「KAT-TUN」。デビューシングル「REAL FACE」は、作詞をスガシカオさん、作曲をB'zの松本孝弘さんが手がけるということも話題となり、06年度の年間売り上げ第1位を記録しました。そんななかKAT-TUNの亀梨和也さんと山下智久さんの共演ドラマから生まれた期間限定ユニットが「修二と彰」。唯一のシングルとなった「青春アミーゴ」は大ヒットを記録しました。さらに山下さんはソロ名義で「抱いてセニョリータ」をリリース。ソロデビュー曲も大ヒットとなりました。07年にデビューしたのは、メンバー全員が平成生まれの10人組「Hey! Say! JUMP」です。そのなかの岡本圭人さんは、男闘呼組の岡本健一さんを父親にもつジャニーズアイドル2世。ついに、親子2代でのジャニーズアイドルが誕生しました。そして、年表の一番新しい場所に名前が刻まれるのが、2010年デビューの「NYC」です。ユニット名は、メンバーの中山優馬さんのN、山田涼介さんのY、知念侑李さんのCから取ったもの。現在、全員が17歳というNYCのデビュー曲「勇気100%」は、かつて光GENJIが歌った曲のカバーです。日本を常に元気づけてきた、ジャニーズのアイドルたち。今後はどのようなアイドルが誕生し、歴史を刻んで行くのでしょうか。
歴史を感じさせず、歴史あり
スマステーションも早いもので10周年。10年ひと昔、なんて言葉もありますが…というわけで今週の格言です。「SMAPの映像を見ながら、『結構、年表の上の方にいる人たちなんだな…』っていうことを思い…。大下さんも、『改めて、香取さんはそういう人だったんだ、と思いました』って言ってましたけど、自分でもあんまり見ることがないし、それこそ毎週土曜日は車でテレ朝周辺を走り…というのはもう日々の生活なのでそんなことはあまり感じてないんですけど、こんな風に改めてコンサートの映像とかを見ると、『スゲーな、この人たち!』って思ったりもして(笑)。歴史を感じさせず、ふとこういうときだけ感じさせる…ずるい技だな、と(笑)。またこんな機会があったときに、『へぇ〜、SMAP、カッコいいな』って思ってもらえるような幅の広さで、いろんなことをやっていきたいな、と改めて思いました。いまでも、光GENJIのみなさんのことを考えると、ちょっと緊張…っていう思い出ばかりじゃないんですけど、何だか胸がそわそわ、ぞわぞわするんです。その感じが、山PにとってはKinKi Kidsにあるのか、って思うと…。Kinkiのふたりは、一番近い存在で、『光一、剛、元気?』みたいな感じなんです。そんな風に考えると、何だかよくわからなくなってきたりもして…。また、今日をきっかけに、後輩はもちろん、先輩の方々もスマステーションに遊びに来てほしいな、と思います!」。
山下智久さん
僕はちょい役でいいので、いつか香取さんと共演してみたいです!
今日は、山下さんをゲストにお迎えしての「ジャニーズヒストリー」特集でした。初登場でしたが、いかがでしたか?
すごく楽しかったです!僕も知らないジャニーズ事務所の一面がいろいろと見られて勉強になりました。全般通じて、やっぱり衣装のインパクトがすごかったですね。それぞれの時代は感じますけど、そのなかでも、いつも新しいものを追及してきたんだなって。今後、自分のコンサートとかでもいかせそうなヒントもありましたので、学べたな、とも思いました(笑)。1時間もあっという間で、VTR見てたら終わっちゃった、って感じでした。すごい集中して見ちゃいました。
それにしても、ジャニーズ事務所にはスターが多いですね。
歴史ある事務所なんだな、って思いました。平成生まれのコたちも出てきているので、僕も、もっと頑張らなきゃ、ですね(笑)。
香取さんとの2ショットも新鮮でした。
やっぱり不思議な感じでしたね。香取さんは、以前から音楽はもちろんですが、俳優さんとしてすごく好きな方だったんです。映画もドラマもかなり見ていますし。いつか、僕はちょい役でもいいので出させてもらって共演できたらいいな、と思っています。
山下さんにとってSMAPは、どんな存在ですか?
同じ事務所なのに、ちょっと遠いところにいる方々っていう感じですね(笑)。「SMAP×SMAP」に出演させていただいたことはありますが、ほとんど、お会いする機会がないので、"先輩"というよりテレビのなかの"スター"っていう感覚のほうが近いかな。
さて、絶賛公開中の主演映画『あしたのジョー』は、女性からも「泣ける」と評判です。改めてメッセージをお願いできますか?
自分たちが本当に一生懸命作った作品を「面白い」と見ていただけるのが、何より嬉しいです。(映画のなかの)丹下段平(香川照之)のセリフに、「今日を死に物狂いで生きてこそ、明日が来るんだ」というのがあるんですが、この映画をやってみて今、本当にその通りだなって思っています。見てくださる方に、そんな思いが少しでも届けば、作品を作った意味があるのかな、と思っています。
山下智久主演
映画「あしたのジョー」
公開中
やっぱりSMAPは芸能史に燦然と輝く大スターなんだ!
今日の「ジャニーズヒストリー」は、本当に永久保存版でしたね。でも、1時間ではちょっと物足りないように思いました。もっともっと、見ていたかったです!たのきんブームがジャストな私は、毎週ベストテン番組を楽しみに見ていましたし、姉と一緒にリクエストはがきを書いたりもしました。たのきんのなかでも、私のお気に入りはマッチさん。今日、改めて映像を見ても、かっこいいなぁ、とうっとりしてしまいました(笑)。マッチさんといえば、入社10年目頃に、取材する機会が巡ってきたのですが、ドキドキして前日眠れなかったのを今もよく覚えています。それくらい、思春期の記憶は鮮烈なんでしょうね。それにしても、ジャニーズのアイドルのみなさんの歴史は、ホント、輝かしいですね。そんななかでも、やっぱりSMAPは芸能史に燦然と輝く大スターなんだってことを、再、再、再認識しました!重々わかっていたことですが、やっぱりすごい方々なんだと痛感しました。そんなSMAPの香取さんと後輩の山下智久さんの2ショットは、新鮮で素敵でした。以前から香取さんが「山Pはいいよ」とおっしゃっていた意味が今日、よくわかりました。お若いのにとても落ち着いていらして、大人の雰囲気のある方なんですね。主演作の『あしたのジョー』も、本当に素晴らしかった。泣けました!ボクシングのシーンもリアルで圧倒されますが、それだけじゃない、血の通った人間ドラマとしても、感動しました。山下さんと香取さんは、俳優さんとしても相性がよいように思えますので、いつか共演作も見てみたい、と密かに思いました。
歴史の中で、山Pとボクの差にビックリしました!
◆面白かったです!なかなか見たことがない感じで…VTRを見ていて、そう言えばこういうの見たことないな、って思いました。歌番組とかでやるくらい…といっても、ひとつの会社をフィーチャーしてやる、っていうこともあんまりないですよね。となれば、いろいろな企画、特集で組み立てられているスマステーションならではの企画だと思いますし、ちょうど山下くんが番組10周年にして初のジャニーズ後輩ゲストとして来てくれて、っていうタイミングで…。きっとボクだけじゃなく、見てくれた視聴者の方たちも保存版として、楽しんでくれたんじゃないかな、って思います。
◆面白かったのは、歴史の中で山Pとボクとの差!それもビックリしましたね。なんか、大人じゃないですか、山下くんって。落ち着きあるカッコいい20代の男、っていう感じで。大人のカッコ良さを感じるわけですよ。その彼が、ボクが「ああ、懐かしい…」って言ったときにまだ生まれてない感じとか(笑)。「タッキーに影響を受けた」なんて衝撃的ですよ!タッキーと山Pは、ボクの中で、会えたときに「うわ、タッキー!」「ああ、山P!元気?」って言いたい感じのふたりなんですよ。まあ、ほぼファンですよね(笑)。そのふたりの間で、先輩・後輩関係があるっていうのもヘンな感じというか…。
◆その歴史にこれから先も続いていく人たちがいて…。NYCまで紹介したと思ったら、今日、Kis-My-Ft2がデビューする、っていうことが発表されて。イコールあの年表に新たに名前が刻まれる…改めて凄いな、って思いました。自分たちのときとかはもう無我夢中でしたけど、それ以降の後輩たちのデビューのときは、「あ、あの子、入ったんだ?」「CD出すんだ?」みたいな感じだったんですけど、今日の特集を見た上での発表だったんで、ホントにスゲーことなんだな、って思いました。まだデビューしてない後輩たちとかも、もう今日の放送を見てくれていたら、「あっ!」って思ったんじゃないかな?「あ、Kis-My-Ft2デビューするんだ!」って。みんな、その次に名前を刻みたいと思っているはずだし…。
◆今日のVTR、終わってすぐにもう1回見たかったですし、もっとほかの映像も見てみたかったです!