地方からの中継も楽しい!
トータス松本さんをお迎えして、大阪・ABC朝日放送から生中継!!
名曲ぞろいの『ニッポン人が選ぶ洋楽一発屋ベスト30』に大興奮!!
現在、コンサートツアー中のSMAPのみなさん。話題の『We are SMAP! 2010 SMAP CONCERT TOUR』は、札幌、福岡、名古屋の各公演を終え、9月2日(木)から京セラドーム大阪4daysに突入しました。というわけで、今週のスマステーションは、大阪・ABC朝日放送からの生中継!京セラドームでコンサートを終えたばかりの香取編集長と、東京から駆けつけた大下アナウンサーが、トータス松本さんをゲストに迎えてお送りしました。
今回の特集は『ベストヒットスマステーション ニッポン人が選ぶ洋楽一発屋ベスト30』。"一発屋"という言葉のイメージとは裏腹に、世界中を熱狂させ、音楽シーンを彩ったアーティストたちをピックアップしました。海外のアーティストが日本で大ブレークするきっかけになるひとつのパターンがテレビ番組。ドラマ『男女7人夏物語』の主題歌として石井明美さんが歌ったのは、フィンツィ・コンティーニの『CHA‐CHA‐CHA』(1986年)のカバーでした。このドラマの続編的作品、『男女7人秋物語』でも、森川由加里さんが、カバーガールズの『SHOW ME』をカバーし、これまた大ヒットを記録しましたよね。このほか、1989年に放送された浅野ゆう子さんの主演ドラマ『ハートに火をつけて』の挿入歌に使われたことがきっかけで大ヒットしたジュリア・フォーダムの『ハッピー・エヴァー・アフター』(1989年)、伝説のバラエティー番組『天才・たけしの元気が出るテレビ』の人気企画『ダンス甲子園』のテーマ曲として人気を博したC+Cミュージック・ファクトリーの『エヴリバディ・ダンス・ナウ!』(1991年)や、同番組のもうひとつの人気企画『勇気を出してはじめての告白』のテーマ曲だったボビー・マクファーリンの『ドント・ウォリー・ビー・ハッピー』(1988年)などもランクインしました。そして、SMAPのみなさんに関連したアーティストもランクイン!『SMAP×SMAP』の人気コーナー『ホストマンブルース』で取り上げられたことで大ブレークしたのはオゾンの『恋のマイアヒ』(2005)。これがきっかけで来日した彼らは、『ミュージックステーション』への出演も果たしました。『SMAP×SMAP』では、30位にランクインしたマイケル・フォーチュナティとも共演、ユーロ・ビートの代表的なヒット曲『ギブ・ミー・アップ』(1987年)を披露してくれたのも記憶に新しいところでしょう。稲垣吾郎さんがソロで歌ったこともあるカーディガンズの『カーニヴァル』も、SMAPファンならご存知のはず。編集長と一緒に楽しそうにVTRをご覧になっていたトータスさんは「ラテンものが定期的に出てきてるね。で、必ず日本人がカバーして当ててる(笑)。日本人は踊りが好きなんやなぁ」とおっしゃっていました。
さて、次週9月11日の放送はゲストに妻夫木聡さんをお迎えして、『わけありグルメ・グッズ』&『月イチゴロー』をお送りします。『月イチ』には、稲垣さんも出演している超注目の話題作『十三人の刺客』もラインナップ!果たして稲垣さんの評価は?必見です!!
その時代の流行に乗ったナンバーを発信し、一躍、注目を集めるアーティストたち。しかし、そこからヒット曲を連発するのは難しく、悲しくも"一発屋"に終ってしまうことも。スマステーションでは、洋楽部門のそんな"一発屋"の名曲をアンケートによってランキング!今、聴き直してもいい曲ばかりですから、チェックしてみてくださいね。
ベストヒットスマステーション
ニッポン人が選ぶ洋楽一発屋 ベスト30
第30位 マイケル・フォーチュナティ 「ギブ・ミー・アップ」(1987年)
1987年、ユーロビートが全盛期! 当時バブル景気に沸いていた日本でも、ノリノリのダンスナンバーであるユーロビートが全盛期を迎え、ディスコでかかりまくっていました。さらに、アイドルデュオのBaBeがこの曲をカバーし、大ヒットを記録。この曲は、ヨーロッパ各国でも1位を記録するなど、彼は80年代を代表するユーロビートシンガーなのです。今年に入って、「SMAP×SMAP」でSMAPと共演し、この曲を披露しました。
第29位 リセット・メレンデス 「グッディ・グッディ」(1994年)
この曲が日本で急にブレイクしたのは、"空耳"が要因とも言われています。タイトルにもなっている、「グッディ・グッディ」が「グリグリ」に、歌詞にある「piece of my〜」が「ピザまん」に聞こえると話題になり、FMラジオを中心にヘビーローテーションされ、全米チャートでは最高53位止まりであったこの曲が、日本では30万枚以上を売り上げるヒットを記録したのです。
第28位 フィンツィ・コンティーニ 「CHA‐CHA‐CHA」(1986年)
87年の大ヒットドラマ「男女7人夏物語」の主題歌に、新人歌手・石井明美が歌ったこの曲のカバーが抜擢。キャッチーなメロディがドラマにマッチし人気を集め、オリコン年間シングルチャートで第1位を獲得しました。そのオリジナル曲ということで、様々なところで取り上げられブレイクしたこのグループ。ちなみに、ドラマの続編「男女7人秋物語」では、森川由加里が、カバーガールズの「SHOW ME」をカバーし、これまた大ヒットしました。
第27位 レイ・パーカーJr. 「ゴーストバスターズ」(1984年)
1985年、国内年間興行収入ランキング第1位を記録した映画『ゴーストバスターズ』の主題歌。曲中の、印象的なベースラインと陽気な掛け声で人気を博し、映画同様大ヒット。レイ・パーカーJr.は、90年代以降、音楽プロデューサーとして活躍。昨年3月には、この曲のリミックスが入ったアルバムその名も「チャートバスターズ」をリリースしました。
第26位 スマイル.dk 「バタフライ」(1998年)
日本が生んだ大人気の音楽ゲーム「ダンスダンスレボリューション」。曲に合わせてステップを踏むという体感型ゲームで、当時爆発的な人気を誇りました。そのなかで使用されていたのがこの曲。テンポのよさに加え、日本人の耳に馴染みやすいフレーズで、女子高校生を中心に大ブレイクしました。
第25位 ジュリア・フォーダム 「ハッピー・エヴァー・アフター」(1989年)
空前のトレンディドラマブームだった80年代後半。89年放送の浅野ゆう子主演ドラマ「ハートに火をつけて」の挿入歌に、この曲が使われると、問い合わせが殺到。透き通るような甘い歌声が、ヒーリング効果を持つと話題となりました。現在、ジュリア・フォーダムは48歳となっていますが、今も変わらぬ美貌を保ち、シンガーソングライターとしてカリフォルニアを中心に活躍しています。
第24位 カジャグーグー 「君はToo Shy」(1983年)
80年代前半に起こった洋楽ブーム。MTVの誕生がきっかけで観て楽しむ要素が加わり、マイケル・ジャクソンやマドンナなどのPVが次々に日本上陸。ヨーロッパからは、デュラン・デュランやカルチャー・クラブといったファッション性豊かなアーティストが多く、なかでも強烈なインパクトを残したのが、ボーカルのリマールを中心とした色男5人組のカジャグーグーでした。その後、リマールはソロとしてあの世界的ヒット映画『ネバーエンディング・ストーリー』の主題歌を担当し、大ヒットを記録しています。
第23位 リッキー・マーティン 「リヴィン・ラ・ヴィダ・ロカ」(1999年)
この曲は、郷ひろみさんが「GOLDFINGER '99」のタイトルでカバーし独特の振り付けと、"アチチ"と変えられた印象的な歌詞が話題となり大ヒット。実は、このラテンの要素を取り入れたアッパーなダンスチューンは、全世界で1700万枚という驚異のセールスを記録したビッグヒットソングなのです。
第22位 C+Cミュージック・ファクトリー 「エヴリバディ・ダンス・ナウ!」(1991年)
今や伝説となっている番組「天才・たけしの元気が出るテレビ」のワンコーナー「ダンス甲子園」のテーマソングに、この曲が起用。当時のダンスブームの波に乗り、この曲が入ったアルバムは日本だけで25万枚のセールスを記録。ユーロビート全盛だった日本のダンスフロアに、ヒップホップというニュージャンルを本格的に持ち込んだのが実は彼らなのです。
第21位 ダイアナ・キング 「シャイ・ガイ」(1995年)
95年に公開され日本でも大ヒットを記録した、ウィル・スミス主演映画『バッドボーイズ』の主題歌になり、心地よいサウンドと天性の歌唱力で幅広い年齢層から支持。特にFMラジオのヘビーローテーションナンバーとなりました。日本だけでも、洋楽アーティストとしては驚異の80万枚というビッグセールスを記録。全世界でも500万枚を売り上げた大ヒット曲です。そんなダイアナ・キングは、今月22日に新作アルバムを発売。日本盤には、あの「島唄」のカバーが収録されるといいます。
第20位 カーディガンズ 「カーニヴァル」(1995年)
95年頃、当時日本で流行していたカフェ・テラスブームに乗って店内ミュージックの定番ソングとなり、お洒落気分でお茶を楽しむOLさんたちに絶大な支持を集め、都市部を中心に大ヒット。北欧の渋谷系とも言われ、90年代を彩りました。実は彼ら、これまでに出したアルバムが全世界で1000万枚以上を売り上げている世界的人気バンド。現在もスウェーデンチャートの上位をにぎわしています。
第19位 オゾン 「恋のマイアヒ」(2005)
2005年当時、「SMAP×SMAP」の人気コーナー「ホストマンブルース」で取り上げられたことで、マイアヒブームが到来。あまりの人気で、「ミュージックステーション」に緊急出演しました。一躍、大ヒット曲となったこの曲は、洋楽としては史上初の「着うた」100万ダウンロードも達成。彼らはモルドバ共和国出身の男性3人ユニットでしたが、この曲でブレイク後、解散してしまいました。
第18位 エマニエル坊や 「シティ・コネクション」(1981年)
この曲は、エマニエル坊や自身が出演するCMのCMソングとして発売され、30万枚以上の売り上げを記録したヒットナンバーです。たどたどしい日本語で歌う彼に、誰もがメロメロになりました。そんな彼も現在39歳。レコード会社や芸能プロダクションの経営、さらには自身も俳優として活躍中です。
第17位 ボーイズ・タウン・ギャング 「君の瞳に恋してる」(1982年)
この曲が日本でブレイクした89年頃、バブル景気に沸いていた日本のダンスフロアーの定番ソング。印象的でキャッチーなメロディはその後、洋楽、邦楽を問わず多くのアーティストがカバー。現在でも、現在も映画やドラマ、CMに使用されるなど、最も愛される一発屋ソングです。
第16位 ヨーロッパ 「ザ・ファイナル・カウントダウン」(1988年)
この曲が日本でヒットしたのは88年。人気プロレスラー・武藤敬司さんが入場のテーマ曲として使用で注目を集めました。その後、多くの格闘技の入場曲として使用され、さらに大ヒット。彼らはスウェーデンから誕生した5人組のハードロックバンドで、当時はBON JOVIと肩を並べるほどの人気を誇り、この曲は、全世界26ヵ国でシングルチャートNo.1を記録。780万枚を売り上げたメガヒットナンバーです。
第15位 ロス・デル・リオ 「恋のマカレナ」(1996年)
誰もが踊れる簡単な振り付けで一躍ヒットとなったこの曲のプロモーションビデオ(PV)が、MTVなどで流れ始めた96年、全米中でマカレナブームが起こり社会現象に。その後、その波は日本にも到来しました。96年の全米チャートでは、当時最高記録となる14週連続1位を達成したまさにモンスターソングです。
第14位 ミー・アンド・マイ 「ドゥビ・ドゥビ」(1996年)
この曲が日本でブレイクした要因は、コスプレ!PVのなかで様々なコスプレを披露し、さらに耳に残りやすいフレーズが話題となり幅広い層から支持され、この曲が入ったアルバムは、日本だけで150万枚を売り上げるビッグヒットに。ちなみに、「ミュージックステーション」にもナース服で出演を果たしました。
第13位 フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド 「リラックス」(1984年)
このナンバーブレイクの要因は、FMラジオのヘビーローテーション。それまで日本では聴いたことない、時代の先端を行く刺激的なサウンドが、洋楽ファンの心をとらえ多くのリクエストを集めたこの曲。PVも話題となり、エロティシズムな描写を過激に表現し、そのあまりの過激さにイギリスの国営放送が放送禁止にしたほどでした。
第12位 J・ガイルズ・バンド 「堕ちた天使」(1981年)
この曲が日本でヒットしたのは、1982年のこと。以来愛され続け、2002年にはビールのCMに起用されました。82年当時、耳に残るイントロとサビで洋楽ブームの波に乗り日本に上陸したこの曲は、ちょっとセクシーなPVも話題に。当時は、「アメリカのストーンズ」と言われていた彼らですが、この曲のあとはヒットに恵まれず、85年に活動を停止しています。
第11位 ステップス 「5,6,7,8.」(1999年)
この曲が日本でヒットしたきっかけは、バラエティ番組「めちゃ×2イケてるッ!」のコント「めちゃステップス」で使われたこと。軽快で誰もが踊れるダンスが話題になりました。そんな彼らの全世界でのアルバム総売り上げは、2500万枚超!人気を博しながらも、2001年に突然、解散してしまいました。
第10位 ボビー・マクファーリン 「ドント・ウォリー・ビー・ハッピー」(1988年)
89年、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の人気コーナー「勇気を出してはじめての告白」のテーマ曲として使われたことで、日本でブレイクしました。また、トム・クルーズ主演の映画『カクテル』でも使用され映画同様に大ヒットし、89年のグラミー賞を受賞。その声を自由自在に操り、ジャズ、クラシック、ワールド・ミュージックとジャンルの壁を乗り越えるボビー・マクファーリンは、60歳になった今も活躍中です。
第9位 ネーナ 「ロックバルーンは99」(1983年)
この曲がヒットし始めた84年頃、歌詞がドイツ語にもかかわらず、一度聞いたら忘れられないキャッチーなメロディで日本でも一気にブレイク。彼らは女性ボーカルのネーナが率いるドイツ出身のロックグループで、まずドイツ国内のチャートで1位を獲得。その後、日本を含めた13ヵ国で1位を記録した大ヒットソングとなったのです。84年に、来日公演を行うも、持ち歌が少なくこの曲を4度も演奏したという伝説も…。
第8位 タトゥー 「オール・ザ・シング・シー・セッド」(2003年)
突然のライブキャンセルや度重なるスキャンダルで、人気の一方、悪名も高めてしまったロシア出身の女性デュオ。さらに、この曲の歌詞が若い女性同士の情事を連想させたため、その危険な雰囲気が話題となり、アルバムは日本だけで100万枚以上を売り上げました。
第7位 アイリーン・キャラ 「フラッシュダンス ホワット・ア・フィーリング」(1983年)
この曲の日本でのブレイクのきっかけは、麻倉未稀さんによるカバー。当時、絶大な人気を誇ったドラマ「スチュワーデス物語」の主題歌としてリリースされ、シングルチャートで1位を記録。そのオリジナルは、83年に公開されアカデミー賞にも輝いた映画『フラッシュダンス』の主題歌。グラミー賞の最優秀女性歌唱賞を受賞し、まさに時代のトップに立った名曲です。この世界的ヒットによって、一躍時の人となったアイリーンは、アイリーン・キャラ・プレゼンツ・ホットキャラメルというバンドを結成し、フロリダを中心に活動しています。
第6位 カオマ 「ランバダ」(1990年)
この曲は、90年に石井明美さんによるカバーが日本でも大ヒット。当時、日本でも流行り始めていたワールド・ミュージックの先駆けといえる、体をすり合わせるように踊るエキゾチックなセクシーダンスも話題を集めました。原曲は、ブラジル人女性歌手・ロアルバが立ち上げた7人組のポップスグループ「カオマ」。ランバダダンスを広めるために作られたこの曲は、珍しさも手伝って400万枚を超す大ヒットを記録。ちなみに、90年には『ランバダ・青春に燃えて』という映画も制作。後にブレイクするジェニファー・ロペスも出演していました。
第5位 ベルリン 「愛は吐息のように」(1987年)
86年、トム・クルーズを一躍スターダムに押し上げた映画『トップガン』が公開。当時、24歳のトム演じるマーベリックと女性教官が恋に落ちるシーンでかかっていたこの曲に、誰もが酔いしれました。サウンドトラックも爆発的なヒットとなり、全米だけでも700万枚を超えるビックセールスを記録。現在、日本では結婚式の定番ソングとして愛され続ける名バラードです。ちなみに、ベルリンは、勢いに乗ってこの曲が入ったアルバムをリリースするも、なぜか売り上げ不振で、解散してしまいました。
第4位 シャンプー 「トラブル」(1994年)
カラフルなロリータファッションのふたりは、多くの雑誌に登場するなど、本国イギリス以上に日本でブレイク。アルバムも55万枚を売り上げ、女子中高生を中心に絶大なる支持を集めました。キャッチーなメロディを敷き詰めた軽快なパンク・サウンドで華やかなデビューを飾ったシャンプーですが、本国イギリスでは最高11位止まりでした。
第3位 a−ha 「テイク・オン・ミー」(1986年)
デッサンと実写を駆使したPVが、強烈なインパクトを与え、音楽番組で幾度となく取上げられ、日本だけで30万枚の売上げを記録。その後、爆発的なヒット曲はなかったものの、2000年までに出した6枚のアルバムが全世界で3600万枚を売り上げ、ヨーロッパではトップアーティストとして君臨。そんな彼らですが、今年の12月で活動終了を発表しています。
第2位 M.C. ハマー 「ユー・キャント・タッチ・ディス」(1991年)
日本にもダンスブームが到来していた91年頃、ハマー独特のダンスパフォーマンスに憧れる若いダンサーが続々と出現。彼らは、ダンスだけでなくそのファッションスタイルにも憧れ、ブカブカのパンツや、もみ上げを刈り上げた髪型を真似る「ハマ男」と呼ばれる若者が街にあふれました。そんなブームのなか、来日したハマー。チケット12万枚が即日ソールドアウトとなるなど、日本中でハマー旋風が巻き起こりました。しかしブームは去り、推定40億円あったとされる資産を使い果たしたハマーは、96年に自己破産を宣告。その後、宣教師として活動を続けていましたが、今年7月マネージメント会社設立を立ち上げ、アメリカでは根強い人気を持つプロレス界に、殴り込みをかけたといいます。現在、48歳のハマー、25年のショウビジネスのコネを利用して、再び旋風を起こせるでしょうか。
第1位 スキャットマン・ジョン 「スキャットマン」(1995年)
世界初のテクノスキャットでブレイクした、スキャットマン・ジョン。スキャットとは声をひとつの楽器として表現すること。これにテクノをミックスさせたジョンは、94年、53歳にして歌手デビュー。これまで耳にしたことがなかったその音楽は、世界中を虜にし、世界的モンスターヒットを記録。そんな一大ブームの中、緊急来日し、「ミュージックステーション」にも出演しました。その後、日本のCMにも登場するなど時の人となったジョン。日本国内でもアルバムは150万枚を超えるミリオンセラーを記録。その後の活躍も期待されましたが、1999年、病に倒れ57歳でその生涯を閉じました。
あまりにもサラッと生中継
SmaSTATION!!は、これまでもSMAPのみなさんのコンサートツアーが始まれば、それに合わせて全国各地から生放送でお送りしてきたわけですが、今回のツアーでは、この大阪が初めてのこと。いつもそうですが、香取編集長は、ステージで完全燃焼した直後とは思えないほど元気で明るくて爽やかで…サスガですよね。そんな編集長が生放送終了後に考えてくれた、今週の格言はコレ!「生中継っていうと…全般的にいつもそうなんですけど、『大阪から生中継です!』っていう慌ただしい感じとかがあるものなんですけど、スマステは長年の経験からか、そうそう慌てることもなく、コンサート直後、ワッと来て、ワッとやって、ワッと終わって『ああ、楽しかったねぇ!』って言ってる自分が凄いな、と改めて思いました(笑)。スタッフも凄く落ち着いてて…素晴らしいチームです!まあ、海外からの中継も経験しているチームですからね。そんななかで今日面白かったのは、ワイプの中の絵。前髪が凄く揺れてて風が強い感じが(笑)。ワイプにしてんのに、風がビュービューいってて落ち着きないというか(笑)。楽しかったです!」。
トータス松本さん
80年代の曲を聴くと、青臭い自分を思い出します。
初のスマステーション出演は、いかがでしたか?
生放送なので、時間が過ぎるのが早いですね。あっという間に終わってしまいました(笑)。でも、楽しかったです。
「一発屋」特集、香取さんと盛り上がられていましたが、印象に残ったアーティストなどを教えてください。
カジャグーグー「君はToo Shy」、ヨーロッパ「ザ・ファイナル・カウントダウン」、マイケル・フォーチュナティ「ギブ・ミー・アップ」とか、印象的でした。80年当時は、ディスコブームで、僕らがいた梅田にもディスコがいっぱいあったのを思い出しました。あとは、肩パッドが入ったブランドもののスーツとかね(笑)。あの頃の曲を聴くと、懐かしさもありますが、恥ずかしくもなりますね。青臭い自分たちを思い出します(笑)。
香取さんとは、お仕事でもご一緒されたことが?
ウルフルズとして、「SMAP×SMAP」に何回か出演したことがあるのと、SMAPに楽曲提供させてもらったこともありますので、ちょこちょこと一緒に仕事はさせてもらっています。
今日の香取さんの印象はいかがですか?
以前、会ったときと全然、変わりませんね。あっ、いい意味でね(笑)。 年取った感じもないし、明るくて好青年ですね。
最後になりますが、9月8日にアルバム『マイウェイ ハイウェイ』が発売され、同名の映画が10月23日に公開となります。2作について教えてください。
アルバムは、すごく風通しのいいスカッとした1枚になったと思っています。何かに躊躇していたりしている人に聴いてほしいですね。このアルバムが、そんな人の背中を押せたらいいな、と思っています。映画は、楽曲作りのためにロスに行ったときの生活を収めたものなんです。いわゆる、「映画」という感じの作品ではないので、アルバムをいいと思ってくださったら、見てください(笑)。アルバムが気に入った人なら、より楽しめると思います!
トータス松本
ニューアルバム
「マイウェイ ハイウェイ」
9月8日発売
ドキュメンタリー映画
「Myway Highway」
10月23日公開
SMAPのコンサートは感動的でした!
SMAPのみなさんのコンサートを見て、そのままABC朝日放送に入ったものですから、本番中もテンションが高すぎた、とスタッフに言われてしまいました(苦笑)。でも、でも!コンサートがあまりに素晴らしくって、興奮せずにはいられなかったんです。今回のコンサートは、香取さんの演出ということもあり、香取さんの世界が爆発していました。スタート前から、楽しめる演出もありましたし、いつも以上にアートの香りがする本当に感動的なコンサートで。SMAPのみなさんのパフォーマンスも最高で、4時間があっという間でした。5万人の観客を浴びるみなさんを見ていたら、「スターなんだなぁ」としみじみ思ってしまいました。コンサート後、香取さんもそのまま本番入りされていたので、お疲れだったとは思いますが、それでも疲れた顔など一切見せずに、いつものスマステでの香取さんでした。ゲストのトータス松本さんも大阪ご出身らしい楽しさと、やさしさのある素敵な方で、番組も盛り上がりました!それにしても、「一発屋」特集、私はあまり知らないんじゃないかと思っていましたが、さすがは、ワールドマーケットの「一発屋」だけあって、ほとんど知っていました。なかでも私が思い出深いのが、「ランバダ」。大学の頃、1ヵ月ほどイギリスに語学留学に行ったとき、最後のパーティーで各国からの留学生がランバダの音楽に合わせて踊ったんです。さすがに私は恥ずかしくて踊れませんでしたが、その後、日本に帰ってしばらくして「ランバダ」が大ヒットして。あの頃が懐かしくて、涙が出そうになっちゃいました(笑)。
スマスマの映像がこれだけ出たのは今回が初めてかな?
◆大阪でのコンサート、大盛り上がりでした!ホンマ、アツいです(笑)。アツいといえば、今日の生中継もアツかった!ビックリしました。「ABC朝日放送の新社屋」っていう言葉が台本にも書いてありまして…で、新社屋って言っても2年くらい経ってるみたいで(笑)。でも凄くキレイなところで、来てみたら、前に来たことがあるABCさんとは全然違う雰囲気でした。
◆で、本番寸前に、ワイヤレスのマイクをつけてもらったら…風防と言いまして、風をガードするのがあるんですけど、それがデカくて…。「何でこんなに風防デカイの?」って聞いたら、「あ、上のところは風がちょっとキツイんで…」って言われて「外っ!?」みたいな(笑)。そこで初めて知りました(笑)
◆洋楽一発屋特集、凄く面白かったです!一発屋って、どこか聞こえはちょっと悪い言葉ですけど、でも改めてこうやって聴いてみるとどれも良い曲ばかりで…。一発でも、それが永遠に残る、っていうのは凄いことなんだな、と思いました。一発屋じゃなくて、ちょいちょい、チョロチョロでずーっとの人もいるじゃないですか。でも一発でずーっと、この日本という国で永遠に受け継がれていって、いまだにみんなからも「良い曲だなぁ…」って思ってもらえるっていうのは、本当に凄いと思うし、同時に、「音楽って難しいんだな」とも思いました。
◆『ミュージックステーション』もそうでしたけど、SMAPもいろいろ関係していましたね(笑)。スマスマの映像がこれだけ出たのは、今回が初めてかな、って。もう、普通に使われてましたね(笑)。テレビの影響は、やっぱり大きいんですね。それからやっぱり、ダンスの振り付け!トータス松本さんもおっしゃっていましたけど、日本人もやっぱり踊りが好きなんですよね。その辺は、慎吾ママとか両さんとかで、ボクも経験もあるんですけどね(笑)。覚え易くて、インパクトがあって…そんなところからも音楽って流行するんだな、というのを改めて実感しました!