90年代後半期…『SHAKE』!
M.C.ハマー、マドンナ、マイケル・ジャクソン、マライア・キャリー…久保田利伸さんをお迎えして『懐かしの90年代洋楽ベストヒット20』をオンエア!!
「今夜のスマステーションは、懐かしの90年代洋楽ベスト20です!90年代といえば、ジュリアナ東京のお立ち台とか、日本がすごく元気だった時代…。ちなみにボクは、もうとっくにSMAPでした!」。初登場、久保田利伸さんをゲストにお迎えした今回は、『ベストヒット!SmaSTATION!! 懐かしの90年代洋楽ベストヒット20』(1990年〜1994年編)をお送りしました!
ヒップホップを取り入れたダンスサウンドが話題となり、日本でアルバムの売り上げが30万枚を突破したC+C ミュージック・ファクトリーの『エヴリバディ・ダンス・ナウ!』(1991)、2008年に再結成を果たし、現在もワールド・ツアーを行っているニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックの『ステップ・バイ・ステップ』(1990)、その後のロック・シーンに多大な影響を与えることになる伝説のバンド、ニルヴァーナの『スメルズ・ライク・ティーン・スピリット』(1991)、イギリス出身、白人黒人の混成のレゲエ・ポップバンド、UB40の代表曲『好きにならずにいられない』(1993)、94年に発売されたアルバム『ドゥーキー』が、全世界で2000万枚を売り上げる大ヒットを記録したグリーン・デイの『バスケット・ケース』(1994)、アルバムには1度も収録されたことがないものの、日本でも度々CMに使用されているオアシスの『ホワットエバー』(1994)などなど、名曲がずらりと並んだ今回のランキング。そんな中、トップ3ランクインした曲をおさらいしておきましょう。第3位は映画『ボディガード』(1992)の主題歌として大ヒットを記録したホイットニー・ヒューストンの『オールウェイズ・ラブ・ユー』(1992)。この曲が収められたサントラは、当時の日本で洋楽史上最高記録となる280万枚を売り上げたそうです。第2位は"クィーン・オブ・ポップ"マドンナの、90年代を代表する曲のひとつ『ヴォーグ』(1990)。この曲のPVでは、ニューヨークのゲイカルチャーの間で生まれたダンス『ヴォーギング』が使われ、世界中で大流行することに。そして第1位は、日本中にラップブーム、ダンスブームというムーブメントを巻き起こしたM.C.ハマーの『ユー・キャント・タッチ・ディス』(1990)。横に動く独特のダンスだけでなく、太ももはダブダブで裾がキュッとしまったサルエル風パンツのファッションや耳の上の髪を大きく刈り上げた通称"ハマー"カットも話題になりました。久保田さんもおっしゃっていましたが、90年代は、本当にいろいろなジャンルの音楽が共存していた面白い時代だったんですね。
さて、次回4月24日の放送は、ゲストにナインティナインの岡村隆史さんをお迎えして、『一度は見たい!大迫力!動物ドキュメンタリー ベスト10』をお送りします。お楽しみに!!
日本でもディスコブームが巻き起こっていた1990年代前半といえば、音楽もやはりダンス・ミュージックが全盛でした。そこで、スマステではアンケートを実施し、90年代前期('90年〜'94年)に聴いた"懐かしい名曲"をピックアップ。印象的なサビを聴けば、思わず、あの頃に戻りたくなる?かもしれません。
スマステーション特別企画
『懐かしの90年代洋楽ベストヒット20(1990年〜94年)』
第20位
C+C ミュージック・ファクトリー
「エヴリバディ・ダンス・ナウ!」(1991)
インパクトあるシャウトではじまるこの曲は、ヒップホップを取り入れたダンスサウンドが話題となり、日本でアルバムの売り上げが30万枚を突破!ユニットのメインとなるふたりは、当時マライア・キャリー、ホイットニー・ヒューストンのプロデューサーも務めていたデビッド・コールとロバート・クリヴィリス。日本でこの曲が売れるきっかけとなったのが、当時大人気だった「天才・たけしの元気が出るテレビ」の人気コーナー「ダンス甲子園」です。特に人気があったLLブラザーズが、この曲に合わせて踊ったのです。
第19位
シャンプー
「トラブル」(1994)
ジャッキーとキャリーという女性ふたりの、イギリスのアイドルグループがシャンプー。デビューシングル「トラブル」が収録されたデビューアルバムが、日本で90万枚を売り上げるほどの人気を博しました。その理由のひとつが、彼女たちのロリータファッション。日本のファッション誌に度々登場し、女子高生の間で人気に火がついたのです。とはいえ、本国イギリスではこの曲も最高順位が11位と、実は彼女たちの人気は日本で際立っていたのです。
第18位
ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック
「ステップ・バイ・ステップ」(1990)
端正なマスクとストリート系のファッション、そしてポップな曲とダンスでアイドル的な人気だった、アメリカ出身の5人組ユニット。‘91年に日本に来日した際、成田空港では待ち受けたファンでパニックになるほどの熱狂ぶりでした。その後、東京ドーム2日間のライブで7万6千人のファンを魅了しました。そんな彼らも94年に解散し、メンバーはさまざまなジャンルへ活躍の場を移していきました。俳優に転身したドニー・ウォルバーグは、20kgのダイエットを成功させて臨んだ、映画『シックス・センス』の怪演が話題となり、その後、映画やドラマで活躍しています。そして、2008年、平均年齢40歳となった彼らが再結成!アルバムのリリースはもちろん、現在も、ワールド・ツアーを行っています。
第17位
ニルヴァーナ
「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」(1991)
カート・コバーンがボーカルを務めるこのバンドの代表曲は、荒々しいながらもシンプルでキャッチーなギターサウンドが特徴。ニルヴァーナを筆頭に、そんな彼らのような音楽を「グランジ・ロック」と呼ぶようになり、音楽に新しいジャンルを生み出しました。ちなみに、グランジとは「汚れた」「薄汚い」という意味です。さらに、カート・コバーンの、ボロボロのジーンズに古着のネルシャツを合わせたようなファッションを「グランジ・ファッション」と呼び、当時の日本でも大ブームになりました。そんな人気絶頂のなか、カート・コバーンは27歳にして自ら命を絶ったのです。ニルバーナは事実上、解散となりましたが、今でも伝説のバンドとして多くのファンに愛されています。
第16位
リセット・メレンデス
「グッディ・グッディ」(1994)
当時、FMラジオでヘビーローテーションされ人気に火がついたこのダンス・チューンは、ノリのいいアップテンポの曲調と、サビの部分の覚えやすさでも話題となりました。それは、“goody goody(グッディ・グッディ)”が「グリグリ」に、“piece of my(ピース・オブ・マイ)”が「ピザまん」に聞えるという、ユニークなものでした。
第15位
2アンリミテッド
「トワイライトゾーン」(1992)
90年代前半といえば、日本中がディスコブーム。その代表的ナンバーがこの曲です。さらに、'93年に発表した「ノーリミット」も大ヒット。そのダンサブルなテクノサウンドが、ディスコブームの中心「ジュリアナ東京」で大流行しました。ジュリアナでは、ボディコンに身を包んだ女性たちが、お立ち台の上に立ち、通称"ジュリ扇"と呼ばれる羽根つきの扇子で狂喜乱舞していました。そんな彼女たちはメディアでも取り上げられましたが、なかでも注目度が高かったのが、"荒木師匠"と呼ばれた荒木久美子さん。荒木さんが、深夜のバラエティー番組で引っ張りだことなりました。そして、ジュリアナ東京のメインDJといえば思い出されるのが、ジョン・ロビンソン。ちなみに、一世を風靡したジュリアナ東京はオープンから3年3ヵ月で閉店。現在は、サーフボードやスノーボードを扱うスポーツショップとなり、当時の面影は残されていませんが、トイレだけは当時のままだといいます。
第14位
ピーボ・ブライソン&レジーナ・ベル
「ホール・ニュー・ワールド」(1992)
‘92年に公開され大ヒットとなったディズニー映画『アラジン』の主題歌となったのが、このデュエット・ソングです。アラジンが魔法のじゅうたんに乗って世界中を旅するシーンで流れるこの曲は、アカデミー賞最優秀主題歌賞を受賞した名バラード。映画とともに大ヒットを記録しました。ちなみに、ピーボ・ブライソンは、セリーヌ・ディオンなど、女性アーティストとのデュエットの名手と呼ばれる有名シンガーで、‘06年には倖田來未と、この「ホール・ニュー・ワールド」をデュエットしています。
第13位
ビリー・ヒューズ
「とどかぬ想い」(1991)
1991年に放送された、吉田栄作さん、山口智子さん出演のドラマ『もう誰も愛さない』のエンディング・テーマとして、当時の洋楽シングルとしては異例の51万枚を売り上げました。ちなみに、ドラマはとてもストーリー展開が早かったため“ジェットコースター・ドラマ”と言われていました。また、このドラマの挿入歌として使われた、ランディー・クロフォード「スウィート・ラブ」(1986)も話題となりました。
第12位
シャニース
アイ・ラブ・ユア・スマイル(1991)
楽曲を発表した‘91年には、まだ18歳だったシャニース。当時のアメリカでは、10代の女性歌手といえばアイドルばかりでしたが、そんななか、彼女は“本格的R&B女性歌手”として大きな注目を集めました。バツグンのリズム感のなかに、少女の幼さが残るかわいらしいボーカルと、キラキラしたサウンドは日本でも人気を集め、バラエティー番組などでも使われたほか、結婚式の定番ソングとしても使用されました。
第11位
UB40
「好きにならずにいられない」(1993)
イギリス出身、白人黒人の混成のレゲエ・ポップバンドの代表曲は、シャロン・ストーン主演のサスペンス映画『硝子の塔』のテーマ曲にも使われ、全世界で900万枚という大ヒットを記録しました。実はこの曲、あのエルビス・プレスリーのカバー曲なのです。プレスリーといえば、ロックン・ロールのイメージがありますが、これは‘61年に発表された、プレスリーの代表的なバラードのひとつなのです。
第10位
レニー・クラヴィッツ
「自由への疾走」(1993)
イントロの疾走感あふれるギターが印象的なロック・ナンバーは、‘99年に「日本オラクル」のCM、‘06年、‘07年には「日産ウィングロード」のCMに使われるなど、日本のCM界でもおなじみの名曲です。レニー・クラヴィッツは、そのファッション性でも注目され、ドレッド・ヘアや彼が使うV字型ギター“フライングV”も話題となりました。彼は、この曲以降も、「ノエビア化粧品」のCMに使われた「フライ・アウェイ」(98)、デジタル・ロックを取り入れた「ブラック・ベルベティーン」(99)など、90年代にヒット曲を生み出しています。
第9位
グリーン・デイ
「バスケット・ケース」(1994)
‘94年に発売されたアルバム『ドゥーキー』が、全世界で2000万枚を売り上げる大ヒットとなったアメリカ出身のパンク・ロック・バンド。なかでも、特に人気が高かったのがこの曲で、ポップなメロディとストレートなサウンドが日本でも人気が爆発!多くのバンドが影響を受けたと言われています。
第8位
オアシス
「ホワットエバー」(1994)
2009年にも「アサヒビール」のCMなど、日本でも度々CMに使われる人気のロック・バラード。この曲の特徴は、ミュージックでもよくわかるように、バックにオーケストラが入っていること。これにより、スケール感が増したバラードとなっています。この曲は、特に日本で人気が高いそうですが、アルバムには1度も収録されたことがありません。
第7位
TLC
「ウォーターフォールズ」(1994)
90年代を代表するガールズ・グループ、TLC。彼女たちの人気は、R&Bにヒップホップを取り入れた曲調だけにとどまらず、そのファッションやライフスタイルにも注目が集まりました。日本でも、MISIAやSPEEDがファンと公言することも。アルバムは、全米で1000万枚以上を売り上げ、グラミー賞も受賞。そしてミュージック・ビデオの当時最先端だったSFXを駆使した映像も話題となりました。しかし、‘02年にレフト・アイが交通事故により死去。活動停止をしていましたが、‘09年にオリジナル・メンバーふたりで活動を再開しました。
第6位
ペット・ショップ・ボーイズ
「ゴー・ウェスト」(1993)
シンセサイザーを使った“シンセポップ”と呼ばれる、ペット・ショップ・ボーイズの代表曲。2006年、ドイツワールドカップでは試合終了後に流されるなど、日本でもスポーツイベントなどに度々使われている曲です。実は、これはカバー曲で、原曲は一世を風靡したアメリカのディスコグループ、ヴィレッジ・ピープルが‘79年に発表したものでした。
第5位
マイケル・ジャクソン
「ブラック・オア・ホワイト」(1991)
「スリラー」の監督、ジョン・ランディスによって撮られたこの曲のミュージックビデオの製作費は、およそ2億円!さまざまな豪華シチュエーションが話題となりました。まずは、マコーレ・カルキン演じる少年のギター演奏からはじまり、マイケルが多数の民族のなかで歌い踊るシーン、そして怒りをあらわにしたマイケルが紛争地帯を突き進むシーンなどなど。さらに、マイケルとマコーレ・カルキンの共演シーン、自由の女神が持つトーチの上で歌うシーン、モーフィングと呼ばれる人の顔がスムーズに変わるシーンと続き、そして、音楽が終わってからはじまるのが、マイケルのソロパート。無音のなか、キレのあるダンスが約4分間も繰り広げられます。最後には、アメリカの人気アニメ「シンプソンズ」のキャラクターまで登場するという豪華な作りとなっています。マイケルは、ほかにも90年代前半に多くの名曲を生み出しています。「JAM」(92)のビデオでは、NBAのスター選手、マイケル・ジョーダンと共演。「ヒール・ザ・ワールド」(92)では、'93年に行われたスーパーボールのハーフタイムショーで見せた、3500人の子どもたちと歌ったライブは伝説として語り継がれています。「リメンバー・ザ・タイム」(92)のミュージック・ビデオには、エディ・マーフィー、NBA選手のマジック・ジョンソンなどが参加。デビッド・ボウイの妻とのキスシーンも話題となりました。「スクリーム」(95)は、実妹、ジャネット・ジャクソンとの初のデュエット曲として話題となり、CGがふんだんに使われたミュージックビデオには破格の7億円が使われました。
第4位
マライア・キャリー
「恋人たちのクリスマス」(1994)
リリース直後から、クリスマスソングの定番となったこの曲は、山口智子さん、柳葉敏郎さん、松下由樹さんらが出演した人気ドラマ『29歳のクリスマス』(94)の主題歌としても有名に。また、‘93年に発表し日本では結婚式の定番ソングとしても有名な「ヒーロー」は、‘09年1月にバラク・オバマ大統領の就任記念パーティーにて、マライア自身が披露した、いわば永遠の名曲として知られています。
第3位
ホイットニー・ヒューストン
「オールウェイズ・ラブ・ユー」(1992)
ケビン・コスナーと共演、ホイットニー・ヒューストン初の主演にして大ヒットとなった映画『ボディガード』(92)の主題歌で、こちらも大ヒットとなったナンバー。この曲が入ったサントラは、当時の日本で洋楽史上最高記録となる280万枚を売り上げ、全世界では3000万枚を売り上げるビッグヒットを記録しました。ちなみに、映画が公開された‘92年、ホイットニーは、人気R&B歌手ボビー・ブラウンと結婚しました。
第2位
マドンナ
「ヴォーグ」(1990)
"クィーン・オブ・ポップ"マドンナの、90年代を代表する曲のひとつ「ヴォーグ」。この曲のダンスには、ニューヨークのゲイカルチャーの間で生まれたダンス、「ヴォーギング」が印象的に使われました。その独特な手の動きが話題となり、世界中でヴォーギングが大流行。そして、この年マドンナは「ブロンド・アンビションツアー」を行い有名な金のコーン型のブラでステージに登場。東京公演で日本に来日した時には、空港にファン2万5000人が押しかけ、1000人の機動隊が出動するほどの騒ぎとなりました。そして、「ヴォーグ」のヒット以降の、マドンナの90年代のリリース曲といえば…。「レイ・オブ・ライト」(98)では、テクノサウンドを取り入れ、ミュージック・ビデオは1日を早送りした作りの斬新なものでした。この曲が収録されたアルバムは、全世界で1700万枚売り上げる大ヒットを記録!「テイク・ア・バウ」(95)は、ベイビー・フェイスが作詞・作曲に参加しマドンナ自身最長となる、ビルボード7週連続1位を記録する大ヒット。「エロティカ」(92)は、マドンナのヌード写真集「SEX」と同時発売のアルバムに収録。このミュージック・ビデオには写真集の撮影風景が使用されていて、そのセンセーショナルな写真集は、6116円(税込)という破格の値段にもかかわらず、全世界でおよそ500万部以上を売り上げました。「ベッドタイム・ストーリー」(95)は、アイスランドの歌手ビョークが作詞・作曲をし話題となりました。
第1位
M.C.ハマー
「ユー・キャント・タッチ・ディス」(1990)
日本中にラップブーム、そしてダンスブームというムーブメントを巻き起こし、'91年に行われた日本公演では、チケット12万枚が即日ソールドアウトという人気ぶりでした。東京ドーム2日間10万2500人、大阪城ホール1日2公演2万人と、会場に詰め掛けたファンは、その熱いライブに熱狂しました。そんなM.C.ハマーといえば、横に動く独特のダンスが大人気となり、さらに、太ももはダブダブで裾がキュッとしまったサルエル風パンツのファッションや耳の上の髪を大きく刈り上げた通称"ハマー"カットも話題となり、日本も彼をマネた「ハマ男」が生まれるほどの社会現象になりました。ちなみに、この曲は'81年に発表されたリック・ジェームスの「スーパー・フリーク」をサンプリングしたもの。このファンクナンバーを、M.C.ハマーがサンプリングし「ユー・キャント・タッチ・ディス」が生まれたのです。さらに、M.C.ハマーが90年代に発表したそのほかのヒット曲といえば…。「Too Legit To Quit」(91)は、日本のバラエティ番組で度々使われ人気を博しました。このミュージック・ビデオにはジェームス・ブラウンが出演しています。「Addams Groove」(91)は、ホラーコメディ映画『アダムス・ファミリー2』の主題歌として使用され、ミュージック・ビデオも、アダムスファミリーの出演者と共に映画の世界観で撮影されています。
懐かしの映像に自分がいた衝撃
一瞬、『おっ!?』と思わせる今回の格言。さすが編集長です!果たしてその意味とは…。「映ってはいないんですけど、今日のVTRを見たり、打ち合わせの段階で『これ、何年?』ってやってたときに、もうSMAPはバリバリCDを出してて…。調べてもらったら、あの曲がこの曲と同じとかっていうことがわかったりして、スゲーな、と(笑)。90年前期っていうのは『がんばりましょう』が90年前期の後半で。91年にデビューなんで、ジャスト今日の特集の年代ですよね。『がんばりましょう』『Hey Heyおおきに毎度あり』とかはどっぷり90年代前半なんですよ。プラス、SMAP結成88年っていうのも、こういう特集を組んで改めてみるとビックリします。曲ごとだと、『うわ、懐かしい…』っていう感覚があるけど、その当時、それこそ映像に映っていた六本木には、小学生のボクは通勤してましたからね(笑)。いやあ、シビれますね。楽しい人生を送っているな、と(笑)。M.C.ハマー…ボク、ハマーの家にも行ったこともありますからね。『サタ☆スマ』の特番か何かで…。懐かしの2010年の特集を組めるように、これからも頑張っていきたいと思います!」。
久保田利伸さん
慎吾ちゃん、ずっとファンキーでいてください!
生放送へのご出演は珍しいことだと思いますが、初出演はいかがでしたか?
音楽とビデオを楽しんでいるうちに、あっという間に1時間が経ってしまったという感じですね。生放送というのは時間が早く過ぎるものですが、特に今日は「えっ、もう終わり?」という感じでした(笑)。
内容が音楽だったことも大きいでしょうね。
1曲、1曲が僕が聴いてきた、楽しんできた音楽ばかりでしたからね。あとは、慎吾ちゃんがラクチンと言いますか、話しをするのにも気持ちのいい人なんで、生放送に出ているというより、リビングルームで遊んでいる、という感覚にさせてくれたのも大きかったのかな。
ランキングに関しては、どんな印象をお持ちになりましたか?
マイケル・ジャクソンとかマドンナとか、時代の“ポップ・ロック・ピーポー(ピープル)”を押さえてのM.C.ハマー1位というのは、僕にとってはハッピーなことでした。黒人のスーパースターというのは、毎年出るわけじゃないし、‘90年代前半と聞くと「ああ、M.C.ハマーの時代だな」と今でもイメージします。でも、日本で取ったアンケートで、M.C.ハマーが1位というのは、正直ちょっと驚きましたけど(笑)。
久保田さんは‘93年からニューヨークに拠点を移されたそうですから、‘90年代前半というと、ニューヨークでの記憶が思い起こされるのですか?
ベッタリいはじめたのが'93年なので、それ以降は向こうの記憶が強いんですが、それ以前は日本とニューヨークを行き来していたので、バブルの頃の日本での思い出もありますよ。今日のVTRにもジュリアナ東京の映像がありましたけど、僕はGOLDというディスコに連れていってもらったな、とかね(笑)。ニューヨークもそうだったけど、日本の人もみんな遊んでるな、とか思った印象があります。
あの頃は、経済もそうですが、音楽にもまだ元気がありましたね。
今は、邦楽でもミリオンセラーがなかなか出ないのに、洋楽でミリオンが出ていたんですから凄いですよね。音楽マニアでもない人が普通に洋楽のアルバムを買って聴いていたなんて、時代を感じますね。
また、そんな時代が来ればいいですね。
洋楽に限ったことではないですが、今は、自宅にいながらにしてアルバムのなかから1曲だけでも音楽を買える時代になりましたけど、いいアルバムはアルバムとして買って聴いてほしいな、と思いますね。
アルバムといえば、久保田さんの4年ぶりのニューアルバム『Timeless Fly』が発売中です。素晴らしい作品との評判ですが、聴きどころを教えていただけますか?
作り終えて思うのが、このアルバムにはいろんな時代感があるなってことなんです。'80年代、'90年代の感覚も、今っぽい感じの曲もありますから。全体的にはソウル、R&B寄りではありますが、'80年代から現在までの音楽の歴史がこの1枚に詰まっているような気がするんです。と同時に、僕というフィルターを通しているので僕の歴史もそこに凝縮されているような気がしますし。そういう耳で聴くと、より楽しんでいただけるのではないでしょうか。
最後になりますが、香取さんにメッセージをお願いできますか?
慎吾ちゃんは、洋楽好きだしファンキーなものも好きな人なんですよね。そのまま、ずっと僕と気の合う感じでいてください(笑)。
■久保田利伸 全国ツアー
「TOSHINOBU KUBOTA Hall Tour 2010」
詳細はこちら
■久保田利伸 ニューアルバム
「Timeless Fly」
発売中
久保田さんは自然体で素敵な方でした。
番組で'80年代のランキングをやったときは全部知っていたのに、どういうわけか'90年代は上位10曲くらいしか聴いたことがなく、香取さんやスタッフから「一体、何を聴いてたの?」なんて言われてしまいました(苦笑)。そんな私からしても、'90年代の楽曲はどれもエネルギーにあふれているし革新的だな、と思いました。'90年代前半は日本に元気があった最後の時代ですから、曲も時代を映しているんでしょうね。今後、2030年とかになって、'00年代前半を振り返ったときに、そんなふうに評価される楽曲はあるのかしら、なんてちょっと寂しいような気にもなりました。それと、ゲストの久保田利伸さんもおっしゃっていましたが、入れ替わりの激しい音楽業界で、数年どころか数10年も第一線で活躍し続けるマイケル・ジャクソンやマドンナは、やっぱり本当に凄い!改めてそんなことを思いました。もちろん、久保田さんも'80年代から現在までずっと活躍されているんですから本当に凄いことですよね。思えば、久保田さんの曲を初めて聴いたときは、「日本人でこんな歌をこんなに美味く歌う人がいるんだ!」と衝撃を受けました。最新アルバム『Timeless Fly』も聴かせていただきましたが、こちらも「久保田さんここにあり!」という抜群のインパクトがある作品でした。歌の上手さはもちろんですが、4年間書き溜めたなかから厳選された曲というだけあってバラエティーに富んだ素敵な曲ばかりで、本当に聴き惚れてしまいました。ご本人も、とても自然体で気さくな素敵な方で、今日はご一緒できて嬉しかったです。VTR中も、いろいろと曲に関して解説してくださったんですが、久保田さんからの情報だと思うと、かなり説得力を感じました。楽しい1時間でした!
当時の思い出が一気にあふれてきて、タイムスリップに酔ったような感じでした。
◆90年代洋楽ベストヒット…何だか、気持ち悪くなりました(笑)。思い出に酔ったというか…。その曲に対する思いとかが結構強かったみたいで、踊りを踊り始めたり、それこそSMAPとして…88年に結成されて、1位のM.C.ハマーなんてもう…バリバリ踊りを始めたころで、踊っていない瞬間がない、もう25時間くらい踊り続けていたりしたんで(笑)。全部の流れとかを見ていたら、その当時の思い出がグーっと一気にあふれてきて、タイムスリップに酔って気持ち悪くなるみたいな、そのくらいボクの中では動いていた時代でした。いままでの80年代ともやっぱり違う、ジャストなところでしたね。
◆それこそ、本当にM.C.ハマーのパンツをはいて、ジャケットもM.C.ハマーのような黄色いジャケットとかを着て、金のネックレス・ブレスレット・指輪をして、同じ格好をした草ナギ剛とふたりで、ハチ公の前で踊ったこともありますからね。常にラジカセを持ち歩いていたし…。日比谷線の中でも踊ったことがありますね(笑)。そんなヒップホップな…ニューヨークも知らないくらいなのにそういうのに影響された時期でした。ラジカセにマジックで自分で絵を描いたりして。
◆何だかんだいろいろな流行とかをどこで学んだかは知らないですけど、自分の中では20年というポイントがあるんじゃないか、と思っているんです。計算していくと、もういつの間にか2010年になってて、1990年というとちょうど20年。そういう中で聴いてみると、ちょうどジャストなんだな、と。ファッションとかもそうだけど、1周ってそんな周期なのかな、って思いました。カッコいいですよね。これが、10年前…2000年に1990年前半とかの特集を組んだから、「うわ、カッコ悪い!」って思うのかもしれない。
◆久保田さんは、ちょうどそのころニューヨークに住み始めたっておっしゃっていましたけど、久保田さんの"知らない具合"も面白かったです(笑)。日本でのアンケート結果なので。日本でその当時流行ってたドラマとかの主題歌だったり、ってなると、世界ではそこまで売れてなかったりすることもあるんですね。それこそ、シャンプーとか、日本でしか流行ってなかったり…。だから、知らないわけですよね。世界中の女の子がシャンプーに憧れているのかな、って思ったらそうでもない、っていうことにビックリしました。
◆1990年代の後半特集も楽しみです。95年以降にどんなものがあったのか、注目したいですね。