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#336(2009.6.20 OA)

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春日じゃない方は、若林!

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たのきん、スーパーカー、ボウリング、超能力…。オードリーのおふたりをお迎えして、1970年代・80年代を象徴するブームを大特集!

今週のスマステーションは、人気お笑いコンビ・オードリーのおふたりをゲストにお迎えして、『今知っておきたい!70年代・80年代テスト!』をお送りしました。70年代・80年代の出来事ベスト20をクイズ形式で紹介する今回の特集、タカアンドトシのタカさんは『ニュースキーワード』で毎回すべての解答をボケる、というワザを見せてくれていますが果たして…。
1970年代、1980年代に巻き起こったブームや出来事は、とにかくエネルギッシュなのが大きな特徴かもしれません。その熱量の大きさはハンパではありませんでした。カール・ルイスが陸上の100m、200m、走り幅跳び、400mリレーで4冠の偉業を成し遂げた1984年の『ロサンゼルスオリンピック』、マッチ・トシちゃん・ヨッちゃんの3人が巻き起こした『たのきんトリオブーム』、バブル経済の象徴ともいえる巨大ディスコ『マハラジャ』、社会現象にまで発展した『ビックリマンチョコ』、さらに『アグネス・ラム』『ノストラダムスの大予言』と、いずれも当時、日本中を巻き込んで圧倒的な人気を博したものばかりです。さらに上位には『パンダのランラン・カンカン来日』『ダイアナ妃フィーバー』『東京ディズニーランド開園』『スーパーカーブーム』『ボウリングブーム』など、歴史的な出来事が並びました。そんな中で、1位に選ばれたのは1970年3月に開かれたアジア初の万博『大阪万博』。万博史上最多の77ヵ国が参加し、開催期間の6ヵ月の間におよそ6422万人が来場したというこのイベント。香取編集長も「もしその時代に生まれていたら絶対に見に行っていたと思う」というほど気になっていたそうです。そして、編集長の期待通り?クイズの答えでボケ続けてくれたのはオードリーの春日さん。「こんだけ緊迫感のある現場はなかなかないです」という春日さんに対して、相方の若林さんも「こんなに心の中で春日を応援したことないです。『春日、頑張れ!』って」とおっしゃっていましたが、編集長の心の琴線に触れたのは意外にも?アレでした。是非、『編集後記』でチェックしてください。
次週6月27日の放送は、『わけあり商品ベストセレクション第2弾』&『月イチゴロー』をお送りします。ゲストは舘ひろしさんです。お楽しみに!!

1970年代、80年代に人々を熱狂させた、思い出のトピックを大特集! 全国の500人に緊急アンケートを実施し、当時のブームや出来事ベスト20を、クイズ形式で徹底紹介します!“社会現象”にまでなったさまざまなイベント、商品、人物などが続々と登場しますから必見です。あなたは、何問答えられるでしょうか?


スマステーション特別企画
今知っておきたい!70年・80年代テスト!〜あの頃、盛り上がったブーム&出来事ベスト20〜


■第20位:ツッパリブーム

1980年、衣笠祥雄、山本浩二擁する広島東洋カープが日本シリーズ2連覇を達成、赤ヘル旋風が吹き荒れた、そんな80年代の幕開けと共に、あるブームが始まりました。リーゼント、長ラン、つぶしたカバンに代表されるツッパリブームです。その象徴が、横浜銀蠅。1981年に発売された「ツッパリHigh School Rock'n Roll 登校編」がオリコンで10週連続トップ10入りするなど、絶大な人気を誇りました。さらに、マンガでも「湘南爆走族」や「ホットロード」など、ツッパリを描いた作品が次々と登場。そして、人気コミックを映画化して大ヒットしたのが、「ビー・バップ・ハイスクール」。恋とケンカに明け暮れるヒロシとトオルのツッパリコンビが受け、シリーズ6作品が作られました。さらに、大ブームになったのが「なめ猫」。「なめんなよ」のセリフが大流行、最も人気の高かった『自動車の免許証風のブロマイド』は最盛期には1200万枚を売り上げた。現在でも新商品が発売され、子供たちの間でひそかな人気となっています。




■第19位:ロサンゼルス・オリンピック

1984年、空からロケットマンが降りてくるという度肝を抜かれる演出で開幕したロサンゼルス・オリンピック。日本選手たちの活躍が、多くの感動を呼び起こしました。そんな中、最も話題を呼んだのが、カール・ルイス。なんと100m、200m、走り幅跳び、400mリレーのすべてで金メダルを獲得。陸上4冠の偉業を成し遂げたのです。カール・ルイスのインパクトは、日本のテレビにも飛び火。当時の人気番組『ビートたけしのスポーツ大将』で生まれたのが、カール・ルイスに似せた「カール君」人形。走りに自信のあるランナーと競わせても、ほとんどのレースでカール君はぶっちぎりの圧勝でした。




■第18位:たのきんブーム

1980年代、マッチ、トシちゃん、ヨッちゃんの3人が登場。一大旋風となりアイドル黄金期を築きました。彼ら3人は、「田原俊彦」「野村義男」「近藤真彦」の名前の頭文字から「たのきんトリオ」と呼ばれ、大人気に。ドラマ「3年B組 金八先生」をきっかけに注目を集めた3人はレコードデビュー。彼らの人気はすさまじく、ブロマイドの売り上げは常に上位を独占。雑誌で幾度となく特集が組まれるなど、80年代を代表するアイドルとなりました。そして、映画でも『スニーカーぶる〜す』などの、たのきんスーパーヒットシリーズ6作品に3人で共演。体当たりの熱演を披露しました。




■第17位:銀座1億円拾得事件

1980年、東京・銀座であるものが入った風呂敷包みが見つかり日本中が騒然、拾い主も一躍時の人に! という事件が起こりました。その落とし物とは、なんと1億円でした。トラック運転手・大貫久男さん。その後、大貫さんを主人公にしたドラマが制作されるなど、一躍時の人となりました。ちなみに、大貫さんの孫は、お笑いコンビ「タカダ・コーポレーション」の大貫幹枝さんです。




■第16位:マクドナルド日本1号店オープン

1970年代初頭、日本各地の学生たちは安保闘争に明け暮れました。そんな中、ブームになったのが、1971年に日本に初上陸したアメリカの超有名ファストフード店「マクドナルド」でした。71年に、日本第1号店となるマクドナルドが東京・銀座の三越1階にオープン。店はかなり小さく、客席なしのテイクアウト専門店。東京のタクシー初乗り運賃が130円だった時代にハンバーガー1個80円とやや高めの値段であったにもかかわらず、オープン初日には、なんと1万人もの人が来店。瞬く間にハンバーガーが日本に浸透しました。




■第15位:マハラジャブーム

80年代後半、日本は、のちにバブル経済と呼ばれる好景気に突入、ディスコが大流行。そんな中、豪華な内装で全国的に大ブームとなった巨大ディスコチェーンが「マハラジャ」です。“ドレスコード”や“お立ち台”を取り入れた元祖で、当時お決まりの“ワンレン・ボディコン・太眉“でキメたバブリーな女性たちが、お立ち台を奪い合いました。ちなみに、「マハラジャ」という店名は、あのデヴィ夫人が名付けたと言われています。




■第14位:ビックリマンチョコブーム

80年代、子供たちの間で大ブームとなったのが、おまけにシールが付いたチョコレート菓子「ビックリマンチョコ」です。多数の種類があるシールの中で、特に子供たちをひきつけたのが「悪魔VS天使」シール。40個に1、2枚の割合でしか当たらない貴重なシール「ヘッド」を巡って多くの子供たちがコレクションに夢中になりました。ブームは加熱し、シールのキャラクターたちはアニメ化までされました。ちなみに、そんな「ビックリマンチョコ」の発売当初(75年)、中に入っていたのは、「ドッキリシール」でした。リアルに描かれたコンセントや、1万円札などのシールで、壁などに貼って、友達を文字通りビックリさせて遊ぶためのものでした。




■第13位:アントニオ猪木VSモハメド・アリ

燃える闘魂、アントニオ猪木と世紀の一戦を行ったのが、当時、世界最強と言われたボクシング世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリでした。1976年、日本武道館。アントニオ猪木とモハメド・アリによって、プロレスVSボクシングという前代未聞の異種格闘技戦が行われました。ドロップキックや投げ技、関節技などのプロレス技を禁止された不利なルールの中で猪木がとった驚きの戦法が、寝転がってキックをする、アリキック。終始、猪木はアリキックで戦いました。そして、この歴史的な試合は引き分けという結果に。この試合は、テレビでも生中継され、その視聴率は38.8%。30年以上たった今でもなお、伝説の勝負として語られています。




■第12位:アグネス・ラムブーム

1976年にハワイから初来日。一世を風靡した、グラビアアイドルがアグネス・ラムです。アイドルといえば歌手活動がメインというのが常識だった時代に、グラビアで話題を独占。あどけない顔立ちと、小麦色の健康的なビキニ姿に多くの日本人男性はたちまち、虜となってしまったのです。その人気はすさまじく、サイン会では大勢のファンが駆けつけ、人が折り重なって倒れるというハプニングが起こるほどの熱狂ぶりでした。しかし、アグネスは、その後わずか数年の活動で、ハワイに帰国。現在、夫と2人の子供と共に生活していますが、日本での人気は根強く、今年自身初のフィギュアの発売が予定されています。




■第11位:ノストラダムスブーム

「1999年7月、人類が滅亡する」という予言を紹介し、ベストセラーとなったのが「ノストラダムスの大予言」。この本は、「1999年の7の月、空から恐怖の大王が降ってくるだろう」という原文を「1999年7月に人類が滅亡する」という解釈で紹介、日本中を不安に陥れました。1970年代前半の、浅間山の噴火や、根室沖地震、公害問題やオイルショックなどで人々が抱えていた不安と合致し、シリーズ590万部の大ベストセラーとなりました。70年代にもうひとつ、日本中を震え上がらせたのが「口裂け女」の噂。耳のあたりまで避けた口をマスクで隠した女が、「私きれい?」と話しかけてきて、鎌やハサミで斬り殺されるというもの。パトカーが出動したり、集団下校が実施されるなど単なる噂話のレベルを超えた社会現象となりました。




■第10位:ランラン・カンカン来日

1972年、日本と中国の国交が回復。それを記念して中国から2頭のパンダが贈られることになり、その来日に日本中が熱い視線を注ぎました。そのパンダは、メスのランランとオスのカンカンでした。一般公開初日、開門時刻には2キロもの長蛇の列が。この日一日で6万8千人が上野動物園を訪れたため、見物時間は3時間並んで、わずか30秒でした。あまりの見物客の多さに、2頭は極度の緊張を強いられ午後にはランランがダウン。公開時間を繰り上げるというハプニングもありました。




■第9位:“白い妖精”コマネチ

1976年に開かれたモントリオールオリンピック。その体操競技で五輪初の10点満点をたたき出し、世界中を熱狂させたのが、ルーマニアのナディア・コマネチ選手です。当時14歳の彼女は、段違い平行棒と平均台でオリンピック史上初めての10点満点を出し、金メダル3個を獲得。その白いレオタードと軽やかな演技から「白い妖精」と呼ばれました。ちなみに当時、10点満点が出ることは全くの想定外で、採点掲示板も9.99までしか表示ができませんでした。そのため、10点が「1.00」と表示されました。




■第8位:ダイアナフィーバー

1981年7月29日、イギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚式が挙げられました。8mにも及ぶ長い裾とベールのウェディングドレスに身を包んだプリンセスの姿は世界各国に生中継され、およそ8億人が視聴。日本でもNHK、民放合わせて5局が中継するなど、ダイアナフィーバーに沸きました。世紀の結婚を祝福しようと、沿道と宮殿の広場に集まった市民の数はおよそ120万人。その前で披露されたのが、「ロイヤルキス」です。イギリスの王族が公衆の面前でキスをするという前代未聞の出来事に市民は熱狂しました。




■第7位:インベーダーブーム

1978年に登場し、瞬く間に社会現象にまで広がったゲームが、「スペースインベーダー」です。街中にはゲームの置かれた「インベーダーハウス」や「インベーダー喫茶」が溢れ、社会現象に。敵をギリギリまで引き付けて撃退する裏技、通称“名古屋撃ち”も大流行しました。




■第6位:東京ディズニーランド開園

1983年、後に日本中が熱狂することになる巨大テーマパークが開演します。「東京ディズニーランド」です。夢と魔法のこのテーマパークがオープンしたのは、1983年4月15日。アメリカ以外では初となるディズニー渾身のテーマパークに人々は熱狂。オープン初日、開園前には、雨にもかかわらず、3000人もの長蛇の列が。「グランドサーキット・レースウェイ」「蒸気船マークトウェイン号」「空飛ぶダンボ」「スペース・マウンテン」「ジャングル・クルーズ」などのアトラクションに人々は夢中になりました。今までにない、“何度行っても家族で楽しめるテーマパーク”を確立しました。




■第5位:読売ジャイアンツV9

1965年から9年連続で日本一という前人未到の黄金期を作った、プロ野球チームが「読売ジャイアンツ」です。当時のジャイアンツを牽引したのが、ミスタージャイアンツ、長嶋茂雄、そして、一本足打法の王貞治。「ON砲」と呼ばれるこのふたりは、アニメ「侍ジャイアンツ」にも登場。長嶋、王は、主人公の番場蛮(ばんば・ばん)と共に活躍し、現実同様ジャイアンツV9を達成しました。




■第4位:スーパーカーブーム

1970年代後半、日本中の車好きの子供たちを魅了しブームとなったのが「スーパーカー」です。「ランボルギーニ・ミウラ」「フェラーリ・ディーノ」「ロータス・ヨーロッパ」「ランチア・ストラトス」「ポルシェ・930ターボ」「デ・トマソ・パンテーラ」とさまざまな超高級車が人気を集める中、ダントツの一番人気を誇ったのが「ランボルギーニ・カウンタック」でした。“ガルウイング”と呼ばれるドアは、多くの少年たちの胸を高鳴らせました。そんなスーパーカーを集めたイベントは日本各地で開催。連日、カメラを持った少年たちが長蛇の列を作る大盛況のイベントとなりました。ブームのきっかけは、レースマンガの「サーキットの狼」。多くの実在のスーパーカーが登場するこのマンガはたちまち大人気となり、77年には実写映画化。さらに、巷ではスーパーカーの描かれた、スーパーカー王冠やスーパーカー消しゴムを集める子供たちが続出。消しゴムをボールペンのノックではじき、レースをして遊ぶのが全国の小学校で大流行しました。




■第3位:ボウリングブーム

1970年代、専門誌が20誌以上、テレビ番組が週に10本以上と、日本は空前のボウリング・ブームに沸きました。このボウリングブームの火付け役となったのが、中山律子プロ。その人気を決定的にしたのが、トッププロたちによる公式戦で達成したパーフェクト・ゲームでした。中山プロは、第9フレームまですべてストライク。そして、第10、最終フレームでも、2連続でストライク。ついに、あと1投で、パーフェクトとなる最後の投球は…? なんと、ここでもストライクを決め、中山プロは、女子プロ初の公認パーフェクト・ゲームという快挙を達成。一夜にして、お茶の間のヒロインとなり、CMにも登場しました。これを機に、ボウリングは社会現象化、全国のボウリング場の数も現在の約4倍の3700ヵ所を数えるほどの盛り上がりを見せました。




■第2位:超能力ブーム

1974年に初来日し、日本に超能力ブームを巻き起こしたのが、ユリ・ゲラーです。指でこするだけで、フォークを曲げ、折ってしまうという彼の姿に、テレビの前の多くの子供たちは熱狂。番組も26.1%の高視聴率をマークし、一夜にして超能力ブームが到来しました。そして、日本でも超能力を発揮できるという超能力少年たちが現れ話題に。さらに、ブームは加熱し、「ユリ・ゲラー」というレコードまで発売。2006年には、久しぶりに日本のテレビCMに登場しました。




■■第1位:大阪万博

1970年3月、大阪でアジア初の万博が華やかに開幕。それまでの万博史上最多の77ヵ国が参加しました。開催期間の6ヵ月の間におよそ6422万人が来場、国民の4人に1人が訪れたことになります。中でも、最も人気だったのが、最長5時間待ちとも言われたアメリカ館の「月の石」。これはアポロ計画によって、1969年に採取されたもので重さ930g、こぶしほどの大きさの石を見るために、日本全国から人が駆けつけました。高度経済成長により豊かさを手に入れ、新たな、輝かしい未来へ向かおうとする当時の日本を象徴する一大イベントでした。


初代・春日ブーム

今週の格言は、芸能界の先輩である香取編集長から、オードリーのおふたりへのエールです。とても意味深いお言葉ではないでしょうか。「ご自分で言っていましたよね、初代・春日ブーム。もう、本当の初代・春日ブームですよ。家に帰ってテレビつければもう春日、ですからね。芸能界に子どものころからいさせてもらって、いろいろな経験をしている中で、こういう人たちを見て、やっとお会いできたときにはいつも『生きてますか?』って声をかけたくなるんですよ。『生きていますか?』『大丈夫ですか?』って。今日も『なんとか生きてます』って言ってましたけど、もうね、想像を絶するスケジュールだと思うんです。眠れてない、とかそういう次元じゃないはずです、この初代・春日ブームはね。でもね、それが『早く落ち着いてほしいな…』って思ったりしながらも、『でも、“落ち着く”ってどういうことなんだ?』っていう、この表裏一体なものが心の葛藤を生み出して…。是非、自分を見失わないで、この初代・春日ブームを十分エンジョイしてもらって、第二次ブーム、第三次ブームへとつなげていってほしいと思います」。

オードリーさん
こんなストロングな番組はないですね(若林)
香取さんは、春日のことを好きですね(春日)

初出演の感想をお願いします。

若林:お笑い芸人にとって、こんなにストロング・スタイルの番組はないですね(笑)。

春日:昨今まれに見るストロングさでした。今すぐ、(何度も出演している)タカトシさんに、うまくやるコツを聞きに行きたいです。

やはり、生放送は緊張されますか?

若林:僕は、緊張しいですので。でも、香取さんがオープンな方で話しかけてくださるので、だんだんとリラックスできました。

春日:ちなみに、香取さんは、春日のことを好きですね。もしくは、憧れています。

若林:それは、ない! あったとしても、今日でなくなったから。クイズの7問目くらいで(笑)。

春日:いやいやいや。好意を持っていただいているのを、ひしひしと感じました。

70年代、80年代の特集はいかがでしたか?

若林:VTRを見ていて思ったのは、人の活気が今とは違うなってことですね。

春日:娯楽が少なかったから、ひとつブームがあるとそこに集中するんでしょうね。でも、なんといっても、まだ春日が出ていなかったというのが大きいですね。

若林:春日ブームが来てなかったからね。

春日:70年代、80年代は初代・春日の頃ですからね。

若林:物議を醸してましたね、その“初代発言”は。

特に気になったトピックスは何ですか?

若林:僕は、「ビックリマンチョコ」ですね。子供の頃、男の子はみんな集めていましたから。あまりに加熱し過ぎて、お菓子を捨てる子がいて社会現象にまでなったのを、思い出しました。あとは、もの凄く入れ込んで野球を見ていましたね。

春日「読売ジャイアンツのV9」がありましたが、春日の生まれる前でしたね。野球といえば、春日は西武ライオンズです。所沢出身なもので。

若林:あとは、なんと言っても“満点出しのすけ”ですね。

春日:ルーマニアのナディア・コマネチこと、“満点出しのすけ!”でございますから(笑)。

もし、次回ゲスト出演するならば、どんな特集の回がいいですか?

春日:私は、ゲーム検定ですね。草ナギ(剛)さんと香取さんが対戦しているのを見て、ぜひ、春日も混ぜていただきたい、と思っていました。

若林:僕は、90年代検定ですかね。90年代は、より記憶がありますので、時代を振り返りながら、合間のクイズを頑張ってもらいたいですね、春日さんに(笑)。

春日:やりますよ。

若林:そのときは、全部正解してほしいですね。発音のよさで。

春日:マクドーナル(マクドナルド)方式ですね。やってみたいですね。

最後に香取さんにメッセージをお願いします。

春日:次回、春日がスマステーションに来るまで頑張ってください!

若林:相変わらず、上から行きますね。僕は、今後の僕らの成長のためにもう一回、感想を聞いてみたいですね。それと、次に呼んでいただいたときは、春日さんの本当の実力を見せますので。

春日:そうですね。今日は、初登場でしたから。

ちなみに、今日は実力の何割くらいを発揮できましたか?

春日:う〜ん、8割ですね。

若林:ほぼ出てるんだ!

春日:いや、残りの2割はデカイですよ。次回は、そこを伸ばしていきますので!

今思うと、あの頃はキラキラしていました(笑)。

70年代〜80年代は、私が小学生から中高生の、ちょうど青春時代といってもいい時代ですので、今日のVTRはどれもとても懐かしかったです。しかも、ファーストカットが広島カープの映像だなんて! 私は広島出身なので大のカープファンです。小学生の頃は、毎日のようにテレビで野球を見ていましたし、球場に足を運んだり、日本シリーズとなれば学校の授業を中断してみんなでテレビを見たりもして……。あの映像で、いきなり“つかまれちゃった”感じですね(笑)。今日、紹介されたものでは、「なめ猫」「東京ディズニーランド」なんかが懐かしいなぁ、と思いましたが、一番「ハマッた」のはなんといっても「たのきんトリオ」ですね。私は、姉の影響もあってマッチさんの大ファンでした。レコードも持っていましたし、映画を見に行ったり、歌番組にリクエストはがきを書いたり、と真剣に“ファン”していましたね。会社に入って芸能人の方が集うゴルフ大会の取材で、ご本人にインタビューさせていただいたときは、本当に興奮したのを今でも覚えています。今思うと、あの頃は、本当にキラキラしていたなぁ(笑)。そして、ゲストのオードリーのおふたりは、テレビで拝見するよりずっとカッコよかったです! なかなかハードルの高いクイズに一生懸命答えてくださる姿に、私も心の中で「頑張って!」と叫んでしまいました。でも、おふたりのほかの番組では見られない、素の部分が出ていたようでよかったですよね。タカアンドトシのおふたりのように、また、いらしていただきたいです!

大阪万博は、いま見ても近未来を感じます!

◆オードリーのおふたり、最高でした!でも、なかなかやっぱり、難しい挑戦をさせてしまってるのかな?別に、こっちから言ってはいないんですよ。自然にそういう形になっているので、ボクは凄く楽しいんですけど(笑)。ちなみにボクは『ディスコ・テレビ朝日』と『テーマパーク毛利庭園』は好きでしたね。きっと、どんどん周りが見えなくなっていってて、凄い近いところになってしまって毛利庭園に行ってしまったところがたまらないです(笑)

◆70年代・80年代は、パワーがある感じがしますね。この表現が合っているかどうかはわかりませんけど…アカ抜けているような感じがしました。ひとつずつの出来事等々が、明るい性格の人、みたいな感じ。お調子者とかひょうきんとか、そんな感じすらしました(笑)

◆70年代・80年代って、その前の50年代・60年代から、いろんなものが本当に“初めて”っていうことが多い時代だったのかな、と思います。スプーン曲げとかだって、いま考えたら「え〜、スプーン曲げ?」みたいな感じだけど、あれを初めてテレビで見せられたら、衝撃を受けるでしょうね。あれをいきなりテレビで見せられて、スプーンをポキって折られたりしたら、そりゃあ超能力ブームも起こりますよね。そんなもの、見たことないわけですから、次の日には学校中でブームになりますよ。

◆たのきんトリオも、カッコいいですよね。見ていて、「こんなアイドルになりたかったな…」って久々に思いました。写真撮ってる感じとか…

◆1位だった大阪万博も、いまの人にとっては『20世紀少年』の世界なんでしょうね。でも、1個ずつのディテールの良さ、ボクはたまらないですね。岡本太郎さんが好きっていうこともあるんだけど、太陽の塔も見に行っています。2つくらい前のツアーで大阪に行ったときに、「見たい!」って言いだして、コンサートの前に朝っぱらから連れて行ってもらって…。実際、どういうものだったかはもちろん知らないんだけど、ああいう映像をパッと見るだけでも、もう昔のことなのに、いま見ても近未来を感じる、っていうのが凄いと思う。「あんな近未来な場所ができるのかな?行ってみたいな…」って、いま思いますからね。凄い時代だったな、って思います。