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#295(2008.06.28 OA)

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いま、SmaSTATION!!が熱い!

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ファミコン、ジャンプ、ガンプラ、ディスコ…80年代懐かしいモノBEST20!

今週のSmaSTATION!!は、阿部寛さんをゲストにお招きして、『ベストヒットスマステーション 80年代懐かしいモノ ベスト20!』をお送りしました。いま、ブームとも言われている80年代を、「大きなくくりで一気に」(by香取編集長)ご紹介しました。幕開けの第20位は『DCブランド』。メンズビギ、ニコル、JUNMEN、POSH BOY…日本人デザイナーによる国産ブランドが大ブレイクしたのも80年代。そのブームを後押ししたのが、『メンズノンノ』を始めとする男性ファッション誌でした。『メンズノンノ』といえば、阿部さん。1986年の創刊号から3年半に渡り、43回連続で表紙を飾っているのです。ほか、ランクインしたのは、最盛期には年間500組ものバンドがメジャーデビューを飾ったという『バンドブーム』(第19位)、熱すぎる演技と過剰な演出で高視聴率を連発した『大映ドラマ』(第18位)、タイガーマスクの衝撃的な登場がブームに拍車をかけた『プロレス』(第15位)、子供たちがチョコそっちのけでシール集めに熱中した『ビックリマンシール』(第11位)、カール・ルイスが世界中を熱狂させた『ロサンゼルス五輪』(第10位)、1986年の1位獲得シングル46曲中、なんと30曲もの1位を獲得した『おニャン子クラブ』(第7位)、500万部という驚異的な発行部数を記録し、『キン肉マン』『Dr.スランプ』『キャッツ・アイ』、『シティハンター』、『聖闘士星矢』『キャプテン翼』『ドラゴンボール』といった数々の名作漫画を生み出した『少年ジャンプ』(第6位)、松田聖子さんや近藤真彦さんらがデビューした『アイドルブーム』(第2位)と、いずれもあの時代の空気とパワーを伝えるキーワードが次々と登場しました。そして第1位はもちろん『ファミリーコンピュータ』。香取編集長もジャストでハマったというファミコンは、現在に至るまでさまざまな進化を続けてきたゲーム文化の原点。『スーパーマリオブラザーズ』『ゼビウス』そして『ドラゴンクエスト』といった名作ソフトが人々を熱狂させたのです。「いやあ、楽しかったです、ボク!」と香取編集長も大満足の特集でした。

バブル景気で日本中が浮かれていた1980年代。人々は何に夢中になり、どんなモノが流行っていたのでしょうか?
そこで今夜のSmaSTATION!!では、そんな80年代に流行ったものをランキング形式で紹介します。果たして第1位に輝くのは?


SmaSTATION!!特別企画
『80年代 懐かしいモノ BEST20』

第20位:DCブランド

80年代、バーゲンセールともなると、「ラフォーレ原宿」などのファッションビルやデパートには早朝から多くの若者が行列を作りました。彼らがこぞって買い求めたのが、「メンズビギ」「ニコル」「ジュンメン」「ポッシュボーイ」などのDCブランド。日本人デザイナーによる国産ブランドが大ブレイクしました。そんなDCブランドブームを後押ししたのが、「メンズノンノ」などのファッション誌。本日のゲストの阿部寛さんは、その「メンズノンノ」の表紙を飾った回数の最も多い人物。1986年の創刊号から3年半に渡り、43回連続で表紙を飾っていました。

第19位:バンドブーム

80年代に起こった前代未聞のバンドブーム。最盛期には年間500組近くのバンドがプロデビューしました。そのブームの立役者は、なんと言ってBOΦWY。また、女性ボーカル・NOKKOの歌唱力で爆発的な人気を誇ったレベッカ、ホコ天から生まれた伝説のロックバンド、JUN SKY WALKER(S)、独特な曲で絶大な人気を獲得したユニコーン、メッセージ性の強いパンクロックバンド、ザ・ブルーハーツ、そして、アマチュアバンドの登竜門的テレビ番組『イカ天』から生まれたBEGINやたまなど、多数のバンドが輩出されました。

第18位:大映ドラマ

最高視聴率21.8%の『スクール・ウォーズ』に代表される「大映ドラマ」は、「熱い芝居」「怒涛のストーリー展開」など、ほかのドラマとは一線を画す演出で次々とヒット作を生み出しました。また、『スクール・ウォーズ』と同じ1984年に放送された『不良少女とよばれて』も大ヒット。伊藤麻衣子(現・いとうまい子)さん演じる主人公・笙子が非行に走るも、ひとりの青年との愛によって更生していくという物語。当初は15%程度だった視聴率も、回を追うごとにううなぎ上りになり、最終回には27.9%を獲得しました。そして、1985年に放送された『ヤヌスの鏡』。このドラマでデビューした杉浦幸さん演じる主人公・裕美は、普段は真面目な優等生なのに、突然、別人格である凶悪な不良少女になり、暴走族などを相手に大暴れするというストーリーで人気を博しました。ちなみに、現在も放送されている「土曜ワイド劇場」の人気シリーズ『家政婦は見た!』も実は大映ドラマで、第1作は1983年に放送。現在まで20年以上続いたシリーズですが、7月12日に放送される第26作で完結することが決定しています。

第17位:ゲーム&ウオッチ

1個6000円という当時としては高い値段設定にもかかわらず、1287万個もの売上を記録したのが、1980年に発売された世界初の携帯型ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」です。一番最初に発売されたゲーム&ウオッチは、「ボール」。2個のボールをお手玉するという非常にシンプルなゲームです。以降、人々が下水道に落ちないようにする「マンホール」や、巨大なタコの妨害を避けながら財宝を運ぶ「オクトパス」など人気を呼ぶゲーム&ウオッチが次々と発売されました。そして、発売当初、最も人気があったのが、「ファイア」。火災が発生したビルから飛び降りる人をバウンドさせて、救急車まで運ぶという、何ともブラックなゲームでした。そんな中、1982年に画期的なゲームウオッチが発売されます。それが、「ドンキーコング」です。ニンテンドーDSの原型ともいえる上下2画面構成のマルチスクリーン、今ではお馴染みの十字キーが初めて搭載されたのもこのゲームです。

第16位:窓ぎわのトットちゃん

1981年に出版され、750万部というベストセラーとなったのが、黒柳徹子さんが自由奔放な小学生時代を書いた自伝的エッセイ「窓ぎわのトットちゃん」です。そのほか、80年代を代表するベストセラーと言えば、1987年、短歌集としては異例の売り上げとなったのが俵万智さんの「サラダ記念日」。そのタイトルにもなった短歌がこちらです。『「その味がいいね!」と君が言ったから 七月六日はサラダ記念日』

第15位:プロレスブーム

80年代当時、子供たちを中心に巻き起こったプロレスブーム。特に、アントニオ猪木さん率いる「新日本プロレス」の人気は絶大で、なんと金曜20時のゴールデンタイムで放送。視聴率が20%を越えることも珍しくありませんでした。そんな80年代プロレス黄金伝説の主人公が「タイガーマスク」。マンガの世界の覆面レスラーが現実のリングに現れたのです。マンガさながらの空中殺法を繰り広げる姿に多くのファンは熱狂。そして、プロレス人気は、女子プロレスにも飛び火。84年に結成された長与千種さんとライオネス飛鳥さんによるタッグチーム「クラッシュギャルズ」はアイドル並みの人気を誇りました。ふたりは、レコードデビューを果たし、全国ツアーも行ったのです。

第14位:ディスコ

80年代に流行った豪華な内装で評判となった巨大ディスコ・チェーンといえば、「マハラジャ」。“ドレスコード”や“お立ち台”を取り入れた元祖で、当時お決まりの“ワンレン”“ボディコン”“太眉”でキメたバブリーな女性たちが、お立ち台を奪い合いました。ちなみにこの「マハラジャ」という店名は、あのデヴィ夫人が名付け親だといいます。そして、80年代ディスコソングといえば、「ユーロビート」。その代表的なものが、デッド・オア・アライブの『ユー・スピン・ミー・ラウンド』、バナナラマ『ビーナス』、マイケル・フォーチュナティ『ギブ・ミー・アップ』、カイリー・ミノーグ『ラッキー・ラブ(I SHOULD BE SO LUCKY)』、リック・アストリー『ギブ・ユー・アップ(Never Gonna Give You Up)』でした。

第13位:ジャッキー・チェン

当時、映画雑誌の「好きな俳優」ランキングで7年連続第1位を獲得したのが、ジャッキー・チェンさんでした。驚愕のカンフーアクションとコミカルな演技で男の子を中心に空前の大フィーバーを巻き起こしました。全編に渡る超過激なアクションでは、決して代役を使わなかったジャッキーさん。中でも圧巻だったのが、『プロジェクトA』で、地上25mの時計台からスタントなしで本当に飛び降りるシーン。なんとNGを出した際、頭から地面に落下し、首を骨折するという大ケガも負っているのです。

第12位:禁煙パイポ

80年代には、多くの流行語がCMから生まれました。代表的なのが「禁煙パイポ」の「私はコレで会社を辞めました」というCM。そして、最近リメイクされたフジカラー社のCM「美しい人はより美しく、そうでない方はそれなりに」というのも80年代に生まれたものでした。さらに流行語を越えて今でも使われる有名なセリフのCMが「タンスにゴン」の「亭主元気で留守がいい」というものです。

第11位:ビックリマンシール

1個30円の「チョコ」におまけとして付いていた「ビックリマンシール」が小学生を中心に大ブームを起こし、毎月の販売数は1300万個にも達しました。主なシールは3種類。地味な色合いの「悪魔」シール、背景が透明な「お守り」シール。そしてキラキラ光る「天使」シール。さらに40個に1枚の確率でしか出てこないレアなシールが、「ヘッド」。このカードを手に入れるために「ビックリマンチョコ」を大量に購入し、目当てのシールだけを抜き出し、チョコレートを捨てるという行為が多発。社会問題にもなりました。

第10位:ロサンゼルスオリンピック

1984年、世界中の話題をさらったのが「ロサンゼルスオリンピック」。そして、その主役となったのが、カール・ルイスさんでした。なんと、100m、200m、走り幅跳び、400mリレーの全種目で金メダルを獲得、陸上4冠の偉業を成し遂げました。カール・ルイスさんの人気は、日本のテレビにも飛び火。当時の人気番組『ビートたけしのスポーツ大将』では、ルイスさんにちなんだ「カール君」というキャラクターも生まれました。この「カール君」は、ほとんどのレースでぶっちぎりの圧勝を見せ付けました。

第9位:ガンプラ

人気アニメ『機動戦士ガンダム』に登場するロボットのプラモデルが、「ガンプラ」と呼ばれて大ブームに。1個300円からと手頃な値段であったため、品切れを起こす店が続出。開店と同時にエスカレーターに殺到した小中学生が折り重なって倒れる事故が起こるなど、社会現象にもなりました。この「ガンプラ」は、バージョンアップを繰り返しながら現在も販売されていて、これまでの総出荷数はなんと3億8000万個を突破しています。

第8位:スピルバーグ映画

当時、老若男女を問わず映画館に足を運んだ娯楽映画が、スティーブン・スピルバーグ監督作品です。中でも、映画『E.T.』は当時としては史上最高の興行収入96億円を記録。子供たちが宇宙人と心を通わせるという感動の物語です。実は、スピルバーグ監督は、映画『ドラえもん〜のび太の恐竜』を見て、このストーリーを思いついたと言われていています。そして、1985年に公開されたのが、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』。過去にタイムスリップしたマーティーが元の世界に戻ろうと悪戦苦闘する物語です。さらに、巨匠・ジョージ・ルーカスさんとタッグを組んだのが、『インディ・ジョーンズ』シリーズの第1作目として81年に公開された『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』。それから20年以上経った今年、最新作『クリスタル・スカルの王国』が公開中です。

第7位:おニャン子クラブ

1985年、人気番組『夕やけニャンニャン』から生まれた女性アイドルグループがおニャン子クラブです。どこにでもいそうな女子高校生を中心に集めたグループは、当時の中高生男子の間で爆発的な人気となりました。さらに、国生さゆりさん、新田恵利さんなど、人気のあったメンバーが続々とソロデビュー。さらに、うしろゆびさされ組など、グループ内ユニットも多数輩出し、1986年の1位獲得シングル46曲中、おニャン子メンバーの曲は、なんと30曲にも上りました。

第6位:少年ジャンプ

ブレイクのきっかけとなった連載の一つが、『キン肉マン』です。登場キャラクターをかたちどった消しゴム“キン消し”が小中学生を中心に爆発的ブームとなり、現在でも根強い人気となっています。1980年代の「少年ジャンプ」の連載のラインナップは、まさに圧巻。『キャッツ・アイ』、『シティーハンター』、『聖闘士星矢』『キャプテン翼』など、そうそうたる作品が並んでいます。人気マンガの多くがアニメ化され、その代表的作品が『Dr.スランプアラレちゃん』です。「少年ジャンプ」原作アニメの中では歴代第1位の最高視聴率36.9%を記録。主人公の女の子・アラレちゃんが言う「んちゃ!」「ほよよ」「キーン!」といった言葉は「アラレ語」と呼ばれ、当時の女の子の間で流行語となりました。一方、男の子に人気だったのは『北斗の拳』。昨年公開された映画『真救世主伝説 北斗の拳 ラオウ伝 殉愛の章』では、主人公・ケンシロウの声を本日のゲスト・阿部寛さんが担当しました。そして、少年ジャンプの最大のヒットとなったのが『ドラゴンボール』です。この作品によって、少年ジャンプは全盛期を迎え、1989年には500万部を突破するのです。

第5位:エリマキトカゲ

80年代、車のCMでブレイクしたのが、「エリマキトカゲ」。懸命に走る、そのユーモラスな姿が話題となり、全国各地の動物園や、デパートなどで展示会が催されました。そして、エリマキトカゲに続いてCMからブレイクしたのが「ウーパールーパー」です。正式名を「アホロートル」または「メキシコサラマンダー」といい、瞬く間に国民的人気の動物となり、ペットショップで大量に販売されました。

第4位:ルービック キューブ

1980年に発売され大ヒット商品となった「ルービック キューブ」は、わずか8ヵ月で400万個を売り上げました。日本各地のデパートで、6面そろえるまでのタイムを競う大会が開かれ、6面そろえた人には認定書が贈られるシステムは現在にまで引き継がれています。近年、脳トレブームの中、「ルービック キューブ」人気が再燃。昨年、ハンガリーで開かれた世界大会では日本人の中島悠さんが見事、優勝。そのタイムは、11秒50というものでした。そして、70年代に大ヒットした「ヨーヨー」も第2次ブームを迎えました。そのきっかけとなったのが、南野陽子さんらがヒロインを務めた『スケバン刑事』シリーズです。主人公・麻宮サキの華麗な必殺技に触発されて、難しいヨーヨー技に挑戦する人が続出しました。ほか、おもちゃといえば、ゼリー状の物体をこねたり伸ばしたりして遊ぶ「スライム」もヒンヤリとした独特の触感が受けて大ヒットを記録。男の子の間で流行ったのが、いろんなパーツを組み込んで性能UPできるのが魅力の「ミニ四駆」です。女の子に人気と言えば「サンリオグッズ」。今でも人気の「ハローキティ」や「リトル ツイン スターズ」、ほかにも「ハンギョドン」や、「みんなのたあ坊」、「ゴロ・ピカ・ドン」、「ザシキブタ」といったさまざまなキャラクターが人気を博しました。

第3位:なめ猫

1980年、「なめんなよ」のセリフで大流行したのが「なめ猫」。名古屋地区のローカル番組で使われたのがブームのきっかけでした。数々の「なめ猫」グッズの中で最も売れたのが、「自動車の免許証風のブロマイド」。「死ぬまで有効」、「なめられたら無効」などの表記でも有名なこのブロマイド。ブーム最盛期には1200万枚以上を売り上げ、多くの交通違反者がこの「なめ猫免許証」を出したことから、警察から発売元へクレームが入るほどの社会現象となりました。最初のブームから30年近くたった今でも新商品が発売され、子供たちの間でひそかな人気となっています。

第2位:アイドルブーム

1980年デビューの松田聖子さんを皮切りに続々とアイドルたちが誕生しました。松本伊代さん、早見優さん、河合奈保子さんなどなど。男性アイドルで80年代を象徴する存在といえば、田原俊彦さん、シブがき隊など。そんな中、今なお活躍している80年代を代表する超人気アイドルが、マッチこと、近藤真彦さんです。1981年、デビュー曲の『スニーカーぶる〜す』でいきなりオリコンチャート初登場第1位を記録。そして、続く『ブルージーンズメモリー』でも1位を獲得。デビューから5年間にわたり、14曲連続で1位を獲得し、押しも押されもせぬスーパー・アイドルの座を獲得しました。そんな近藤さんのバックダンサーからデビューしたのが、少年隊です。1985年、デビュー曲の『仮面舞踏会』では、3人のダンステクニックが話題を呼び、初登場第1位。1987年に発売したシングル『君だけに』では、大人の魅力を見せ、20年以上たった現在でも大活躍を続けています。



第1位:ファミリーコンピュータ

1983年発売で、きれいなグラフィックと14800円という低価格を実現、1935万台を売り上げ、80年代最大のヒット商品となりました。ファミコンが成功した要因として、ソフト重視の戦略が挙げられます。ファミコンが発売された年に、最も売れたソフトは「マリオブラザーズ」。次々と現れるカメを退治していくこのゲームの魅力は「2人同時プレイ」。2人で協力してクリアできた時の喜びはひとしおでした。ねずみの警官を操り、トランポリンなどを上手く使って盗品を取り返していくアクションゲーム「マッピー」。床に穴をあけて敵を落とし、障害をクリアしていくアクションパズルゲーム「ロードランナー」。巨大なボスキャラで話題を呼んだ名作シューティングゲーム「ゼビウス」など、人気ソフトが次々と発売されました。そんな中、ファミコン史上最も売れたソフトが、「スーパーマリオブラザーズ」。横スクロールのフィールドで飛び回るマリオに人々は魅了され、世界で4024万本以上を売り上げ、「世界一売れたゲーム」としてギネスブックに登録されています。そして、この当時、ゲームの達人として有名になった人物が「高橋名人」。特技は、1秒間に16回もボタンを押すという荒技「16連射」。子供たちの驚きと尊敬を一身に浴び、さらには自身がゲームの主人公になるなど、一躍、時の人となりました。1988年には、伝説のソフト「ドラゴンクエストIII」が発売。発売日には徹夜組も含め、店頭には1万人を越える長蛇の列が。学校を無断で休んだ小中学生が続出するほどの社会現象となりました。

いま、60年代が熱い!

『80年代懐かしいモノ ベスト20』を特集したのに、何故この格言なのか…。今週は、香取編集長が“ブーム”について語ってくれます。「80年代ブームとかって、どこから始まるのかな、って思ったんです。ただ、ボク自身も確実にそんな空気を感じるし、そこに、この大きなくくりで(笑)素晴らしいベスト20を見るとますます…。でも、誰が口火を切るのかな、って思いませんか? いま『60年代が熱い!』って言って60年代を特集したところで、どのくらいの人が『ああ、いいねぇ…』って言ってくれて、どのくらいの人が『はぁ?何言ってんの?』って思うのかな、って。いつか、本当にボクが口火を切る、っていうのもやってみたいんですよね。60年代にも70年代にも、いいものっていっぱいあると思うんです。いまきっと、『60年代が熱い!』って言っても『いやいや、80年代でしょ?』って必ず言われそうじゃないですか(笑)。その境目って面白いですよね。どっかで誰かが口火を切る…しかもそれって、順番なわけじゃないじゃないですか。いま80年代ブームだからって、70年代が次流行るとは限らないだろうし…。1個飛ばして、60年代がいま熱い、って言ったら、果たしてどれだけの人が引くのか(笑)。ブームって楽しいものですね」。

(香取慎吾編集長)

阿部寛さん
80年代は、今の僕が存在する核が作られた時代と言って間違いないですね。


初出演はいかがでしたか?

凄く楽しかったですし、1時間があっという間だったので、ビックリしています。生放送ということもあって緊張もしていましたけど、香取くんがとても上手くフォローしてくれたので、本当に楽しくやらせていただきました。

スマステーションにはどんな印象がありましたか?

特集のVTRがたっぷりあるなぁっていう(笑)。あとは、稲垣くんが凄く鋭いコメントをする映画のコーナーも好きですし、何より香取くんが毎週、生放送でやっているというのが新鮮というか、凄く素敵な番組だと思っていました。ゲストの方とのやり取りもとてもいいと思うし。先日、水谷豊さんが出演された回も見ましたけど、水谷さんの素敵な部分を凄く上手く引き出していたと思いました。僕もまた、ぜひ、出演させていただければと思います。

香取さんとの共演のご経験は……?

実はほとんどないんですよ。その上、僕は生放送に慣れていないので心配していたんですけど、凄く気さくに話してくれたんで、ひとりの役者と控え室で話すかのようなリラックスした感じでできました。助かりました。

80年代の特集をご覧になっていかがでしたか? いろいろと思い出されたことがあったようですが。

80年代は、高校生、大学生、モデル、そして役者と人生の中で4段階を経験した年代なんです。それでバブルもあったものですから、結構、濃い10年だったのかなって思いますね。今の僕が存在する核が作られた時代っていうか、大きな転機になった年代だったのは間違いないですよね。それと、音楽もそうですけど、『ふぞろいの林檎たち』と『北の国から』というドラマを見て、役者をやってみたい思ったんです。それも80年代ですよね、僕が高校生の頃ですから。僕らの世代の役者はその2作品を見て役者を志したっていう人が多いんですよ。そういう意味でも、影響力のあった時代だなって思いますね。

役者デビューが89年とのことですから、来年で20年になるのですね。

自分でも「そんなになるのか」って驚くくらいです。5、6年にしか感じませんから。20年もやっていると言われたら、どんな大御所かと思いますよね(笑)。だけど、自分自身にもそんな気持ちはないし、年下の役者から見ても、大御所なんていう風には見えていないと思うんですけど。同じ年代で、堤真一くんとか唐沢(寿明)さんとか10人くらいの役者がいて、この20年をともにやってきているですが、そういう人たちがいるから20年=大御所っていう風に感じないのかもしれないですね。

最後になりますが、本日より公開の映画『歩いても、歩いても』の見どころをお願いします。

非日常的なことは何も起こらない、ごく普通の家族の日常を描いた作品なんですが、普通っていうことが、どれだけ奇跡的で美しいことかってことがよくわかる作品になっていると思います。普通の家族の日常だから、きれいごとばかりではなく、残酷な会話とか、人間の嫌な部分や甘えもあったりするんだけど、「人間が生き続けていく」っていう大きなテーマの中で、それがとても上手く描かれていて。実際に劇場で見てくれた人が何かを感じて帰ってもらえる映画になったことが、監督にとっても出演している僕らにとっても嬉しいことですし、この作品に出られたことを誇りに思っています。自分の家族とはもちろん設定は違いますけど、それでも共感できし、何かを感じてもらえると思いますので、ぜひ、たくさんの人に見て欲しいですね。

草野仁さん

80年代は、私にとって「ジャスト青春時代!」でした。

80年代といえば、私は小学校から大学の初めの頃までの時代ですから、今日の特集は本当に「ジャスト青春時代!」っていう感じで。だから、今日のランキングは、ほとんど見たり、聞いたり、持っていたものでした。音楽で言えば、マッチさんの大ファンでレコードも持っていましたし、同じくファンの姉と一緒に歌番組にリクエストはがきを書いたりもしていました。聖子さんといった女性アイドルも大好きでしたし、その後は、自分の中でもバンドブームが来ましたし(笑)。グッズだと、サンリオグッズもなめ猫グッズも、スライムも、ルービックキューブも持っていました!! 兄がいたので、「少年ジャンプ」も読んでいて、アラレちゃんも大好きでした。そう考えると、本当にそのまま80年代ですよね(笑)。ですけど、あの頃のものは、音楽でもドラマでもグッズでも、シンプルでいいものばかりでしたよね。今、80年代ブームが起こっている理由もそういうところにあると思うんですけど、本当にいいものに青春時代にめぐり合っていたんだということを、今日しみじみと感じました。そして、阿部寛さんもそうですが、80年代に青春時代を過ごした人たちが、今、とっても輝いているのも素晴らしいことですよね。阿部さんなんて、「メンズノンノ」の頃も素敵ですけど、私は今の阿部さんのほうがより素敵に見えるくらいです。そういう方たちがたくさんいるのが励みになって、「また、頑張ろう!」って思いました。

正解がわからないけど先に進みたいから、っていうパワーが80年代にはみなぎっていたのかな、って思いました

◆80年代特集、楽しかったですねぇ。「結構、80年代に生きた人なんだな…」って思いました、自分のことを(笑)。あと、どれも社会現象になったものですけど、平和な話題だな、って思いました。ゲームのために1万人並ぶとか…。80年代の音楽を特集したときにも感じましたけど、勢いがあるんですよね、あの時代って。何なんですかね?答えをしらない、みたいな。正解は何なのか、答えを知らないまま先に進むしかない人たちがとりあえず歌ってみてる、とか、そんな感じもします。いまって、一度は見たことがあるものを、「じゃあどうやってそれをアレンジしたら新しく見えるかな?」って考えたりするけど、でも万が一のときは“正解”を知ってるからそこでもいいわけですよ。だけど、みんな正解がわからないけど先に進みたいから、っていうパワーが80年代にはみなぎっていたのかな、って思います

◆個人的に思い入れがるものは…ジャッキー・チェンとか。ジャッキー・チェンの映画を見た次の日には、朝から山に行って体を鍛えて…。そういう生活を3日間くらいしてましたからね(笑)。なんとなくジャッキー・チェンのアクションが好きでいたら、そういう自分の未来を夢見ていた部分がどこかにあったのか、『西遊記』でアクションシーンを演じたときはジャッキー・チェンのことを考えましたし…。歌を歌うときにマイケル・ジャクソンのことを考える、っていうのと同じ感じですね。あとは…ビックリマンシールも集めてたなぁ。そして、やっぱりファミコンはMAXですね。ファミコンに関しては、まだまだ話したかったことがありましたね。何であんなに楽しいんだろ?ボクもいまだに昔のファミコンソフトを持ってたりして、ときどきいじってみたりもするんですけど、楽しいんですよね、いまでも。より高度になったいまソフトももちろん面白いんですけど、あの面白さって永遠なのかな、って。原点!持ってるもんは持ってますよね、ファミコン

◆阿部さんとは、前にドラマでちょこっとご一緒させていただいてるんですけど、木村くんみたいに連ドラでご一緒したりっていう経験はなく…。だから、今回初めてちゃんとお話ができた感じがあって凄く楽しかったです。身長も優しさもおっきい阿部さんの安心感があったせいか、ファミコンのときはちょっと暴走してしまいましたが(笑)、阿部さんなら自分の言いたい事を言っても許してくれるかな、っていう感じがしたんです(笑)。