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毎日ニュースを賑わせている人たち以外にも、世界レベルで活躍している日本人はたくさんいます。そんなわけで今回はほんの一部ですが、そんな人々の活躍ぶりを紹介!
彼らがいることを誇りに思うと同時に、皆さんも負けずに頑張ってみませんか? |
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10年間ジェフ市原のコーチを務めた後、'02年2月にフィリピンで初の国際監督に就任。'03年2月、グアムの代表チーム監督に就任。A代表、U-16、女子代表のすべてを監督する。 |
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野球ほどサッカーがメジャーではないグアムにおいて、代表監督を務めるのが神戸監督。就任以来、成績は0勝6敗で1点のゴールもないが、グアムでは大いなる期待を寄せられています。代表選手も所属する社会人チームが毎週行う練習試合には、監督も顔を出し、アドバイスをしています。現在、代表チームは夏休み中。10/13から日本で強化合宿(初国外合宿)を敢行。10/19~23には中国で選手権が行われる予定です。 |
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22歳でスピードスケート選手からロードレーサーに転身。全日本選手権で5連覇を達成。'02年にフランスのチームと契約し、欧州で日本人女性プロ第1号に。'03年、世界一のオランダ名門チーム「ファームフリッツ」に所属。 |
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スケート選手として活躍したものの、五輪の舞台に立てなかった沖選手。そんな折、大先輩の橋本聖子が自転車競技で走る姿を見て感動。自転車ロードレース界に飛び込みました。それからの活躍ぶりは略歴のとおり。シドニー五輪にも参加して41位に、最高峰とされる女性版ツール・ド・フランスのツールドフェミニンでも日本人女性で初めて完走を果たしました。8月31日にドイツ・ニュルンブルグで行われたW杯第8号では19位。現在はアテネオリンピックを目指していますが、やや厳しいのが現状。
9/7のUCIワールドカップ最終戦(会場=オランダ)での成績が重要なカギとなりそうです。 |
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5歳から卓球を始める。仙台育英秀光中在籍時代には全国優勝するなど大活躍。'02年11月に、坂本竜介(青森山田高)と共にドイツリーグへ卓球留学。ブンデスリーガ2部の「ホルトハウゼン」所属。最年少選手としてプロツアーにも参加。 |
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世界最強といわれるドイツのブンデスリーガで活躍する岸川選手は若干16歳。世界ランキングはアンダー18では13位で、同世代の中での実力は世界レベル。現在は先輩の坂本竜介、村守実選手らと共同生活をしながら、プロ生活を送っています。試合は月に1回、ダブルス1試合とシングル2試合を行います。岸川選手は8月31日、シングル2試合で勝利。村守選手も同日、ブンデスリーガデビューを飾りました。先輩の坂本選手は8月23日の試合では1日に見事3勝。ともに1部に上がる実力があるものの、試合数の多い2部にあえて残り経験を積んでいます。彼らが世界最強のドイツリーグの頂点に立つのはいつの日か!?
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世界トップクラスを希望し、'02年4月に欧州へ渡り、イタリア・セリエA「トレビソ」へ入団する。デビュー戦から活躍し、日本人初のリーグ制覇メンバーに。'02年10月からは全日本チームの主将を務める一方、ギリシャリーグ「PAOK」に所属。 |
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強豪「トレビソ」へ入団した加藤選手に対する下馬評は「ベンチを温めるだけの外国人」。しかし、そんな予想に反して、加藤選手は7得点を挙げ、チームを勝利に導いたのです。こうして、加藤選手のレギュラーの地位は不動のものに。チーム首脳からは「来季も必要」と非公式の残留要請を受け、「加藤のおかげで勝った」と地元紙が称賛したほど。ところが、まもなく加藤選手は破格の年俸2000万円でギリシャリーグ「PAOK」と契約。アテネ五輪出場を狙うため、契約期間の短い同チームを選んだのです。今年9/5~12には、中国・天津でのアジア選手権大会に、全日本キャプテンとして参加しています。 |
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'01年8月、単身イタリアへ。最高峰セリエAの「モデナ」に入団。'01年11月の開幕戦からリーグ戦22試合に、日本人で初めてフル出場を果たす。MVPを2回、ベストリベロ賞も受賞。'02年10月からはロシアの「サモロードク」に移籍。 |
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「モデナ」をイタリア選手権、ヨーロッパ選手権制覇の原動力となった本間選手。高いサーブレシーブ率、派手なプレースタイルで“新・東洋の魔女」と絶賛されています。'01年にイトーヨーカ堂を退社し、一時はビーチバレーに転向した本間選手だが、海外で自分を試すためにイタリアへ向かいました。常に新たな可能性を求める彼女が、'02年にはロシアのチーム「サモロードク」へ。一時日本へ帰国したが、ロシアで優勝していないという理由で、今月には再びロシアへ向かいリーグに参戦します。夏はビーチバレーもこなします。ビーチバレーとインドアの両方をこなすプレイヤーは世界でも稀有。 |
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高校を中退し渡米。メジャー入りを希望するが、ビザの関係で一時帰国。その後再渡米し、'00年に日本人野手として初めてメジャーリーグの3Aに昇格。が、メジャー入り目前で解雇。'03年からカナディアンリーグに参加した。 |
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アメリカで見たベースボールに感動し、メジャー入りを夢見始めた根鈴選手は苦労人。再渡米してからも、モントリオールエキスポズの一番下のアカデミーから徐々に昇格したものの、念願のメジャー入りを目前にして解雇。今年から新設されたカナディアンリーグでは、5割6分という打率で大活躍してオールスターにも選出。「ジャパニーズ・スイートハート」と賞賛されたものの、今夏にリーグが開催してしまったのです。根鈴選手は今後、アメリカのマイナーリーグや独立リーグでのプレーを希望しているそうです。現在、ドミニカリーグ、コロンビアリーグなど南半球のウインターリーグから声がかかっているといいます。 |
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映画の仕事をするため、'87年に渡米。製作現場で仕事に携わるが、向いていないという理由で、編集へ。ピエトロ・スカーリアのアシスタントとして修行を重ねる。「グラディエーター」や「ハンニバル」などの編集アシスタントを務めた。 |
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英語が好きで、短大の時に1カ月ロサンゼルスでホームステイした横山さん。英語にも自信がついたため、日本で3年間働いてお金を貯め、留学。PAのボランティアをしながら夢を追い続けました。彼女が手掛けた作品は略歴で触れたもの以外に、「リトル・ブッダ」、「グッドウィル・ハンティング」、「ブラックホーク・タウン」など。二人の子を持つ母親でもあります。
Q:日本の映画を目指す若者にアドバイスを?
A:日本よりもチャンスは多いし、ネバーギブアップの精神でがんばるしかないと思う。常に動いていれば道は開けるんじゃないかという感覚で今まできた。本気でやりたかったら、こっちにきていろんなことに挑戦していればどこかに到達すると思います。 |
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'96年に渡米。'01年からはジョージ・ルーカスがカリフォルニアに設立した特殊撮影専門会社ILMに勤務。「タイタニック」、「スターウォーズ・エピソード2」にもスタッフとして参加するなど、その実力は世界最高レベル! |
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ILMといえばハリウッド最高峰の特殊撮影専門会社。そこでは7人の日本人が働いていますが、そのひとりがCGアーティストとして活躍する山口さんなのです。「スターウォーズ・エピソード2」では、アミダラを暗殺しようとベットに忍び込むムカデのような生き物を製作。世界の映画界をリードする作品を手掛ける山口さんは、日本人にとってアメリカン・ドリームといえるでしょう。
Q:影響を受けた映画は?
A:リドリー・スコット監督の作品はよく見ます。「ブラックホークダウン」とか「エイリアン」とか「ハンニバル」最近はデヴィット・フィンチャー監督の作品が気になる。「パニックルーム」とか「ファイトクラブ」「セブン」彼は昔ILMで働いていたんだけど、映像のきれいな人の映画に影響されますね。 |
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'89年に大学を中退して単身渡米。カメラの勉強をし、プロカメラマンとなる。'92年と94年には南アフリカ統一選挙単独取材。イラク戦争にも従軍カメラマンとして同行するなど、意欲的に世界の事実を伝え続けている。 |
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報道カメラマンながら、スポーツや風景画なども定評があり、数多くの賞を受賞している高橋さん。'00年に「ニューズウィーク」の表紙を飾った“女性係官がキューバの少年・エリアン君を抱いて親戚の家から連れ出す写真”も、高橋さんの手によるもの。現在はボストンに在住し、ヘラルド紙やAP通信などと契約。世界に彼の写真が送られています。
Q:高橋さんのようなカメラマンを目指す人に?
A:今ある生活から一歩踏み出す勇気が必要。くいっぱぐれるかも知れないけど飢え死にすることはない。2、3年苦労する気でやってみてください。私も最初の数年は自分に向いているかもわからなかったくらいだし…。 |
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17歳で英国ロイヤルバレエスクール入学し、卒業と同時に英国の名門バーミンガム・ロイヤルバレエ団入団。修行を重ねて'98年遂にソロデビューを果たす。その後'02年には念願のプリンシパルの座をゲットした。 |
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たゆまぬ努力で培った実力、そして運の強さを併せ持つ佐久間奈緒さん。彼女がプリンシパルの座についたきっかけは、主役が急な事故で出られなくなったために急遽代役で出演した「くるみ割り人形」が非常に評判が高かったことなんです。さらに、彼女は'02年7月にエリザベス女王即位五十周年記念舞台にも出場。女王との対面を果たした、数少ない日本人のひとり。今年10月には「ジゼル」を踊ることになっています。今後は「スターがたくさんいる別のバレエ団でゲスト出演して幅を広げたい」そう。 |
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中学のころから空手を習い、ユン・ピョウに憧れてスタントマンを目指す。その後、'86年に「上海エクスプレス」で香港映画デビュー。フィリピンではシンシア・ラスターとして人気アクションスターに。主演作品は60本を超える。 |
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香港、フィリピンを中心に大活躍している日本人アクション女優のシンシア・ラスターさん。出演料が1本1000万円を超える大スターです。香港映画出演の機会を狙っていたシンシアさんの転機となったのは「上海エクスプレス」。オーディションが日本であることを知った彼女は、ユン・ピョウの魅力を書き綴った手紙をプロデューサーに送りつけたそう。その情熱が伝わり、彼女は香港映画出演、ユン・ピョウとの共演という2つの夢を同時に実現したのです。その後は様々な苦境に耐えながら、フィリピン映画への進出も。日本での仕事も増えてきています。 |
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多くのアーティストが愛用する「ヤイリギター」の社長。もともとは木管楽器の製造を手がけていたが30年ほど前、米国でギター作りを学び、製造を始めた。岐阜県にある工場では、すべてハンドメイドで製作。大量生産はしない。 |
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ポール・マッカートニー、サンタナ、U2ほか多くの有名アーティストも愛用するYAIRI。安いものだと数万円、高いものになると300万円はくだらないものまであります。矢入りさんは「大量生産はせず、手作りの伝統を守る」主義。工場には30人前後の職人がいて、製造番号によって誰がいつ作ったか判るようになっています。アメリカでもYAIRIは別格の扱いで、矢入さんも著名な存在。NAMM楽器ショーなどでは、矢入さんと一緒の写真を希望する人や、サインを求める人までいるほどなのです。 |
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