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SmaSTATION!! 夏休み特別企画 本当のがばいばあちゃん 島田洋七講演会 完全密着!
2007年上半期、日本中に大ブームを巻き起こした「佐賀のがばいばあちゃん」。全国各地の書店で、がばいばあちゃんシリーズの本は品切れ続出!ついに、540万部を突破しました。『がばい』とは佐賀弁で『すごい』という意味。この本は、島田洋七さんこと昭広少年が、佐賀の祖母と暮らした8年間を描いた自伝小説です。ロケ地となった佐賀県武雄市では、あまりのブームについに「がばいばあちゃん課」を設立。さらには、武雄市長自らがプロデュースした平均年齢74歳のバンド『ガバ』も誕生。デビューコンサートには1700人もの観客がかけつけました。この「がばいばあちゃん」を題材にした島田洋七さんの講演会は、すでに全国で3500回を超えています。そこで、今夜は、チケットが売り出されるやいなや即完売になるという洋七さんの講演会に完全密着!がばいばあちゃんの更なる魅力に迫りました!

今週火曜日、島田洋七さんはがばいばあちゃんの講演のため、沖縄県の那覇空港へと降り立ちました。今回の会場となる琉球新報ホール(収容人数700人)は超満員。客席に入りきらなかったため、急遽、ステージ上にも席を作って対応するほどでした。そして、ついに講演会が幕を開けました!

洋七さん講演より
「どうもこんにちは、島田洋七でございます。えー、私もビックリしますね。19年前から講演会をやってましてね。色んなとこでやったけど、真横にお客さんいるの初めてですよ。ビックリしましたですよ。どうやって喋ろうかな思ってね。ほんで上から見てたら、まあ全国で一番美人揃い(笑)まあ冗談はさておきですね。沖縄はもう、私は好きで好きで。本島だけでも50回超してると思いますよ。」


がばいばあちゃんの家の横には小さな川が流れていました。そこで、がばいばあちゃんが実践していた究極の節約術とは、なんと川の水面すれすれに一本の棒をかけ、そこに引っかかるいろんな野菜を拾って食べる、というものでした。

がばいばあちゃん
「川は、自然のスーパーマーケットばい!」


洋七さん講演より
「野菜関係はほとんど流れてきましたね。中央市場があったから2kmくらい上に。曲がったきゅうりとかね。なすびが傷んだやつ。腐ったやつ。そこだけ切れば食べれんのよ。大根の2股からなにから。あれも流れてきよったな。トマトなんか夏は冷えながら流れてくるもんね。腐ったとこはちょこっと切って食べるんですよ。きゅうりなんかこんな曲がったやつ。どうすんねん言うたら、『塩で揉んで水で洗って食べれば一緒や』と。『塩で揉んだら元々が長いか曲がったかわからへんやろ?』言うわけですよ。ただ切りにくいのは切りにくいですよ。『ばあちゃん、輪切りにしにくい』言うたら、『頭使え。切るときお前が回れ』。だから7、8本切っていたらめまいしてましたもんね。捨てるもんなんかほとんどないよ。俺ばあちゃん言うたもん。『世の中捨てるもんないね』言うたら、『お前だけや』。柱にしがみついて泣いた事あるもん。色んなもん流れてきた中で一番びっくりしたんが中央市場のおっさん流れてきたことあったよ。びっくりしたよ。『ばあちゃん、中央市場のおっさん流れてきた』。そしたらばあちゃんが、『生きてはんのか、死んではんのか』言うて、『生きてはるがな』言うたら、『生きてはるんやったら棒でつついて流せ』って言いましたからね。あとからなんでって聞いたら、『助けたらご飯の1杯も出さなあかん。そんな余裕はなかばい』言うてましたよ」

がばいばあちゃんは料理に金をかけないことでも天才的でした。

洋七さん講演より
「高級品がおいしいんやない。自分が好きなもんがおいしい。自分が食べておいしい物が一番の高級品や。だからお腹空いて食べれば全部がおいしい。全部、高級品や言うてましたよ。なるほどなあと。ホントにね、おかずが無いときなんかあったもん。考えられへんって。『ばあちゃん2、3日おかずがないね。ご飯ばっかりで』言うたら、ハハハと笑いながら『明日はごはんもないぞ』と言うてましたからね。『明後日は茶碗がない』って訳わからへんもん。ごはんしかないのに、『いただきます』言うたら、『好きなもん食べなさい』って言うてました。『好きなもんって言ったってばあちゃんご飯しかないがな』『何言ってんねん。ごはんのおかずはごはんが一番』てこんなん言う。あともっとおもろかったんが、卵かけご飯の卵抜き。『ばあさんそれ何?』言うたら、『だから卵かけごはんの卵抜き』『どうやって食べんの?醤油だけかけて食べんか?たまごは?』言うたら、『明日鶏がたまご生んだら卵だけ食べればえええん。お腹んなかでちゃんと卵かけご飯になる』言うて。だからうちは卵かけご飯食べるの2日がかりよ。ほんま。ほんでねえ、昔は鶏飼うてたで、どこも。縁側の下に10羽。夕方おかずなかったらばあさん鶏小屋の前で『産め!』って、言ってましたもん。『晩御飯がもうすぐやから早よ産め!』って言うて。鶏が『けっこう』言うてましたもん。うちのばあさんが『口応えばっかりして』って。『ばあちゃん、口応えちゃうで。鳴いてるだけや』。それでも産め言うて。ほんで今度隣の家からね、『はーい』と返事が来るんですよ。『産め!』言うたら隣の家から『はーい』と返事がくる。わかる人だけで前進みますから。隣のばあさんがねえ、ヤカベウメさんっていう人やった。『産め!』言うから『はーい』」

勉強が苦手だった昭広少年の通信簿は得意の体育が5という以外は1と2ばかりでした。申しわけなさそうに、通信簿をばあちゃんに見せると・・・

がばいばあちゃん
「大丈夫、大丈夫。足したら5になる。人生は総合力ばい!」


洋七さん講演より
「ほとんど1と2ばっかりやったね。ジョギングの掛け声みたいなもんよ。通知表が12121122。ばあちゃんが『読みやすい』って言うたもん。『読みやすいなあ』って。どういう意味か知らんけど。『頑張れ!』とは言わん。『読みやすい』って。国語が一番ダメやった。漢字も全然ダメ。『ばあちゃん、明日漢字のテストあるからどないしよ?』言うたら『答案用紙に書いておけ』と。『僕はカタカナとひらがなで生きていきます』って。生きて来れたもん。漢字知らんでも50になったて。何年か前50歳になったとき同窓会あったんよ、中学校の。ほっとした。学級委員長も金持ちの子も貧乏人の子もみんな50やった。金持ちの子だけ42言うたらムカっとくるもんね。『俺と代われ!』思うもん。似たようなもんやてみんな。一時過ぎてしまえば。20歳くらいまでですよ。どこの学校出たとか大学行ったとか。もう30くらいになったら誰も言えへんもん。『結婚したんか?』くらいの話。40歳になったら『子ども、大きくなったんか?』よ。50になったらそんな話も出えへん。女房の話も出えへんもん。2時間ずーと健康の話。『お前、どうや血圧?』『俺か、140やがな』『ああそう、俺勝った。俺165』。あんなもん勝ってどうすんねん。俺、血圧で思い出したけどね、小学校の時はしかかなんかなってね、熱出してん。体温計計ってね、『ばあちゃん、38度もある』言うたら、ばあさんがじーっと見ながら『大丈夫、大丈夫、お前やったら40度は出せる』って言いましたよ。俺、高いほうがええと思ってね。『うーん!』って頑張ってたよ。『ごめんねばあちゃん、39℃で勘弁して』って言うたもん。ほんまばあさんおもろかった」


3541回を数える洋七さんの講演会は毎回、話す内容が異なるそうです。

洋七さん
「毎回、話すことが違うからね。がばいばあちゃんの話を全部しようと思ったら10時間ぐらいかかるよ。」



がばいばあちゃんが残した数々の言葉――洋七さんは今になって、その言葉の持つ意味の大切さを実感しているといいます。

洋七さん講演より
「ほんま面白いばあさんでしたよ。だけど言うことが『「そうやな』って、大人になって色々分かってきますね。例えば働かん人見たら、『人はまず働け』と。『働けば、米・味噌・醤油・友達・信頼が付いてくる』と。こんなん44年前に言うてましたよ。今のニートに言いたい。ニート!ニート!ニート!ニート!って、俺最初外人かと思いましたもん(笑)。立派な日本人やがな。昔はあんな人おらんかったて。働かん人は食べられへんかったのよ。『働かざるもの・・・』ってね。いま、世の中裕福やから働らかんで、あんなんおれんのよ。この前テレビに出てましたよ。『どうして働かないんですか?』って聞いたら『自分自身が見えません』って。俺、鏡買うたろか(笑)。甘いよ絶対、いまの世の中!だからほんと、ばあさん言うてた『人間はいつか死ぬから。死ぬまでの暇つぶしや。暇つぶしには仕事が一番ええ。暇つぶしながら金になる。仕事さえしとけば迷いがない』と。そらそうですよ。暇つぶしですよ。今日も暇つぶしですよ、人生の(笑)。長い人生の1時間半ここ来てハッハッて笑ろうて。だからそういうもんですよ。人間はいつか死ぬって言うてましたよ。ばあさんの口癖よ。『徳川家康も死んだ。聖徳太子も死んだ。うちのじいちゃんも死んだ』って言うてましたからね。レベルが一緒でしたからね(笑)。『ばあちゃんレベル一緒かい!徳川家康と!』て言うたら『徳川家康なんて会うた事もない!』って言うてました。『聖徳太子は?』『五円も貰った事ない!うちのじいちゃんの方がよっぽどええ』言うて。『働いてくれて、子供つくってくれて、仕事してくれて、愛してくれて』みたいな。『昔の人なんかしゃーない。自分の愛する夫のほうが素晴らしい』って。そんな事、常々言うてて、やっといまごろになって意味が分かってきた」


洋七さんは、どうして『佐賀のがばいばあちゃん』という本を書こうと思ったのでしょうか。そこには、驚くべき秘話もありました。

洋七さん講演より
「一番最初は19年前。私、北野武と仲良くてね。いまでも時々会ってね、食事会するんですけど。行きつけの寿司屋でね。武が彼のお母さんの話をしよったんよ。おサキさん、ドラマにもなりましたね。『菊次郎とサキ』。『うちの母ちゃん面白かったよ』てね。で、ずっと武の話を聞いてたんよ。聞いてたらどう考えても、うちのばあさんの方が面白いのよ(笑)。『アンタの母ちゃんも面白いけど、俺はばあちゃんの話する』言うて。武が『お母さんは?』『お母さんはおったけど、ばあちゃんに育てられたんや』って。ほんなら俺、立ち上がって一時間話したんですよ。そしたら武が泣いて笑って喜んでね。『メモしとけ』って言う。あいつ頭ええし、俺アホやから。頭の良い人の云う事聞いといた方がいいな思って。4ヵ月くらいかかって、ずっとメモしてたんですよ。嫁はんが『本にすれば?』って言うたんよ。『なるほど!』って思って」。

ところが、自主出版までして販売した「がばいばあちゃんの本」は全く売れず、大赤字となってしまいました。

洋七さん講演より
「それから14年の歳月が経って、5年前。また同じ寿司屋で武が『あの本どうした?』って言うから、『いやあ、もうええって。お前が書け書け言うから本にしてんけど、大変やった』と。『もう一回持ってきてみ?』って武が言うから、持って行って。読んだら、またあいつが『出せ』言うんですよ。あいつ本は出せ出せ言うけど、いっこも金は出さんもんね(笑)。世の中で2回自費出版したのは俺だけ。せえへんて。1回で大変な労力要るの。本書くのはね。2冊目またやって、これをまた売ってたら、ガンガン売れ出してね。5年前にね。ひとり2万冊売ったんですよ。5万売ったら大ヒットなのに2万冊。それで新聞にちょこっと載ったんですよ、『島田洋七さん手売りで2万冊、新記録』。それを徳間書店の人が見て、『面白いから見せてください』と。見せたら『2、3日したら返事します』って帰ったんですよ。2,3日どころか40分で電話かかってきたんですよ!『この本は面白いから、うちで全国的に売らせてください』と。ただひとつ、腹立ったのが、俺の本40分で読んだんかっちゅう話よ(笑)。普通、本一冊2時間時半はかかるて。ものすごい読みやすいねんて、俺の本。ほとんど平仮名状態やから。だから『分かりました』と。『だけど1100円くらいで売るのはやめましょう。お年寄りとかお子さんが買いやすいように、もっと安くなりません?』言うて。そしたら550円、560円になって。それが良かったんですね。お年寄りが買うたから、余計売れんのよ。お年寄りが一回読むでしょ。で、孫に見せなあかん、て一回しまうでしょ。置き場所忘れるんですよ(笑)。ほんならまた本屋に買いに行くんですよ。これで売れてるらしいですよ、いま(笑)」


沖縄での講演は大盛況のうちに幕を閉じました。留まることをしらない「がばいばあちゃん」ブーム!来月3日からは、名古屋中日劇場にて大空真弓さん主演の舞台「佐賀のがばいばあちゃん」も上演されます。さらには、原作者・島田洋七さんが自ら監督する映画「がばいばあちゃん」第2弾の撮影も始まります。

がばいばあちゃんが眠っているお墓は、佐賀県にある養福寺(ようふくじ)にあります。

洋七さん
「子どものころ、週に一回、お寺参り来てたもんね。せんべいもらうのが楽しみで・・・。ばあちゃんはものすごいじいちゃんが好きだったみたいで、ただ仏壇の前ではよう文句言っておったね。『暑さ寒さも知らんとこ行って、あんた幸せやな』とか、『あんた一生腹へらんね』とか『風呂も入らんでいいな』とか『歳も取らん』とか『私、あんたを抜いたよ』とかおもろかったね。あれ見て子どものころよう笑ってたもん。また、始まったと思って。いや、ホンマばあさん面白かったもんね。暑いからもう一杯ぐらいかけんとね。ばあさん、いま日本一有名なおばあさんになったよ、素人の中で」


がばいばあちゃんが亡くなって、15回目の夏が来ました。


☆ これまでの『がばいばあちゃん』特集はこちらからどうぞ!
#235 『がばいばあちゃん特集第二弾!!
#231 『がばいばあちゃん特集第一弾!!








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