今年2月、最高検が全検事を対象に行った意識調査は驚くべき結果だった。
検事の4人に1人が「実際の供述と異なる調書の作成を指示された」と回答。
さらに、3人に1人が「担当した事件が無罪になるとキャリアにマイナスになる」と答えたのだ。
検察の目的が、「真実の解明」よりも「有罪判決を得ることや組織の体面を保つこと」に
すり替わっている現実に、笠間治雄検事総長はこう訓示した。
「検察の在り方検討会議」が可視化の拡大を提言し、検察改革の法制化に向けて議論が
始まった今だからこそ、番組では、戦後60年以上も続いてきた刑事司法の闇に光を当てる。 果たして、「検察の正義」は蘇ることができるのだろうか?
2000年に発生した佐賀農協事件で、「ぶち殺すぞ!この野郎!」と怒鳴って自白を強要、厳重注意処分を受けた元主任検事が、実名顔出しで検察の捜査の実態を語った。
「大阪の事件は『ああまたか』と思った。
検察は正義の役所だから、負けるわけにはいかない。
僕らはその最前線の兵士。
戦場で人を撃ち、申し訳ないと言ってたら、自分が撃ち殺される。」
次席検事の主導の下、複数の検事が組織的に行った調書でっち上げは関係者にまで及び、事実とは異なる供述調書が作られていったという。 その当事者たちが次々と口を開いた。
「事前に全部、作文してある。」
「真っ白なものも真黒に出来ると、身震いしました。」
「署名捺印しなかったら帰さないと、何時間も放置されました。」
冤罪と闘い続け、ついに無罪判決を勝ち取った副島勘三さんは去年2月に亡くなった。
死の直前まで、「私の人生をめちゃくちゃにした主任検事を一生忘れない」と語っていたという。
6年ぶりに佐賀を訪れたその元検事が、家族に土下座し、墓前で検察の再生を誓った。
「副島さんら関係者が味わった苦痛は計り知れないと思います。
これ以上、犠牲者を出さないために、全てをお話しするのが僕の謝罪です。」
■脈々と続いてきた「証拠隠し」という名の“大罪”
去年10月、大阪地検特捜部の不祥事を受けて大林宏元検事総長はこう語った。
「現職検事が公判継続中に証拠物を改変するという“前代未聞の事態”に
至ったことにつきまして、国民の皆様に深くお詫び申し上げたい。」
本当に、検察が不利な証拠を改さんしたり、隠してしまう事態は「前代未聞」なのか?
佐賀農協事件で検察が行った不正義はもうひとつある。 検察が多くの無実の証拠を押収しながら隠していたことだ。 副島さんのアリバイを証明する手帳や日誌、伝票類・・・
懸命の独自調査で押収の事実が突き止め、控訴審でようやく開示させた家族は、こう憤る。
「検察は、なぜ無実の証拠を出してくれなかったのか?
検察は、最初から無実だと判っていて起訴したのではないでしょうか?」
このように、検察が隠していた無実の証拠が再審請求の過程などでようやく開示され、
冤罪が証明されたケースは、戦後、枚挙に暇がない。
<松川事件>
1949年、福島県松川町で発生した国鉄の列車転覆事件。 死刑判決を受けた佐藤一さんを救ったのは、アリバイを立証する証拠「諏訪メモ」だった。 検察がひた隠す無実の証拠を発見した「命の恩人」毎日新聞・倉嶋記者が、半世紀ぶりに対面した佐藤さんに語ったこととは?
<名張毒ぶどう酒事件>
1961年に三重県で発生した名張事件は、アムネスティ・インターナショナルが「世界最悪の
10の人権危機の1つ」と認定している。 去年9月、弁護団はある1本のフィルムを固唾を呑んで見つめていた。 そこには、死刑判決の決め手になった唯一の物証、「毒ぶどう酒の王冠」を
めぐるウソと証拠隠滅を示唆する決定的映像が映っていたのである。
<布川事件>
放送2日後の5月24日、再審無罪判決が言い渡される予定の布川事件。 段ボール箱9箱には、自白と矛盾する死体検案書や別人物の目撃証言など多くの無実の証拠が隠されていた。
また、警察が4度にわたって存在を否定していた自白テープには、11箇所17分間もの編集痕が生々しく残されていた。
検察が都合が悪い「消極証拠」を隠してしまうと、無罪の立証はきわめて困難になる。
押収した証拠は、真実を解明するために我々の税金で集めた、いわば「公共の財産」
でもある。 最高検の再発防止策では、特捜部が集めた証拠をチェックする証拠専門検事を置くことが示されたが、これら証拠の開示方法については全く触れられていない。
2008年10月、国連規約人権委員会は日本政府に対し、こう勧告している。
「被疑者は、全ての事件記録に触れる権利を保障されなければならない」
「取調べの可視化の部分的で選択的な使用に懸念を抱いている。
全期間を通して、録画録音すべきである。」