2011年4月3日放送
■"殉職" ~ジャーナリスト黒木昭雄さん自殺の真相~
去年12月、警察ジャーナリスト黒木昭雄さんのお別れ会に出席した鳥越キャスターと長野キャスターが断腸の思いで霊前に誓った。
「無念の思いの中で自ら命を絶った黒木さん・・・ その思いを引き継ぐのは私たちしかいません。その遺志を受け継ぎ、この事件を取材し続けます!」
去年11月、千葉県の菩提寺に止めた自家用車内で練炭自殺を図った黒木さん。 警視庁在任中は23回もの警視総監賞を受賞し、1999年に退職後は"捜査するジャーナリスト"として、一貫して警察の不正や怠慢捜査を追及。 ザ・スクープも神戸大学院生殺害事件や警察の裏金問題でタッグを組んできた。
警察を愛するがゆえに、厳しく警察に正義を求め続けた黒木さんが、自らの命を懸けてまで訴えたかったものとは何だったのか? その遺書にはこう綴られていた。
「岩手の事件が私の人生を変えました。 これから行く所(あの世)には、会いたい人が沢山います。 佐藤梢さん(被害者)にも会いたいし、事件の真相を知りたい・・・」自殺へと追い詰められていった背景には、黒木さんがライフワークとして取り組んできた「岩手少女殺害事件」があった。 指名手配された男性は本当に実行犯なのか? 疑問を抱いた黒木さんは、全人生をかけて「たった一人の捜査本部」を立ち上げ、私財を投じて現地調査。 さらに、指名手配停止の申し立てを行い、車に寝泊りしながら2600人もの署名を集めた。
しかし・・・全く動かない県や公安委員会。 また、ほとんどのメディアがその活動を黙殺した。 一方、警察は黒木さんの努力を全否定するかのように、指名手配の懸賞金を300万円に引き上げた。 まさにその日、11月1日―黒木さんは52年の生涯を自ら絶った。 長男の昭成さんはこう訴える。
「父は岩手の事件を絶対あきらめていなかった。 解決するひとつの手段として自殺したんだと思います。 私たち家族にとって、父は自殺ではなく"殉職"なんです!」
■"濡れ衣" ~看護師「爪切り事件」で逆転無罪~
9月16日、認知症患者の「爪をはいだ」という傷害容疑で逮捕・起訴されていた上田里美看護師に逆転無罪判決が下された。 「正当なケア」を行っていた看護師は、なぜ事件に巻き込まれ、「虐待看護師」の濡れ衣を着せられていったのか?
★黙殺された無実の訴え あの時、病院で何が起きていたのか★
事件の発端は同僚看護師の北九州八幡東病院への内部告発だった。 しかし、当時の看護部長は法廷でこう証言した。 「院長と一緒に爪を見ましたが、とてもきれいでした。爪をはがしたのではなく、ケアでした。」 しかし、病院本部は院長や看護部長の意見を聞かず、「爪はぎ虐待があった」という前提で謝罪会見を開いてしまったという。
★ひとつの方向に暴走する4つの権力★
会見の直後から、マスコミは「爪はぎ事件」として連日センセーショナルに報道、上田さん家族の人生は一変する。 さらに、北九州市も病院本部の報告を元に「虐待」と認定。1週間後、福岡警察は上田さんを逮捕。 密室での激しい取調べの末、自白調書にサインさせる一方、「看護目的の正当行為」という声は黙殺されていく。
病院、マスコミ、行政、警察・・・ 4つの権力が雪崩のように一方向に走り始めた。
★家族の闘いに独占密着★
上田さんが逮捕されて3年2ヶ月。 拘留は100日以上に及び、一審の有罪判決に打ちのめされた。 さらに、上田家族は心無いマスコミ報道にも怯え続けなければならなかった。 番組では、メディアとして一番最初に上田さんと接触し、事件はケア行為であったことを確信した。 以降、2年半に渡って上田さんと、彼女を支える家族の闘いに独占密着。 無罪確定までの長く過酷な日々を記録し続けた。