よど号ハイジャック事件 ~40年目の真相~
1970年3月31日、JAL351便がハイジャックされた通称「よど号事件」。
日本で起こった初めての飛行機乗っ取り事件に、全国民が固唾をのみ、事件発生から
解決までの122時間、テレビにくぎ付けとなった。
よど号を乗っ取った9人の過激派学生が平壌に降り立ってから、ちょうど40年目の今年4月3日、京都大学で行われた記念イベント。
北朝鮮からの生電話で早期帰国を訴える還暦を過ぎたハイジャッカーたちに、会場にいた鳥越俊太郎が呼びかけた。
「私が北朝鮮に出かけていって、あの時何があったのか、肉声を伝えたい!」
こうして動き始めたプロジェクトは、40年目の今だからこそ明かせる「5つの独占スクープ」を発掘した。今、昭和史の新たな1頁が切り開かれる・・・
スクープ① ハイジャック犯が40年目の証言
北朝鮮に渡ったハイジャック犯のうち4人が死亡、平壌に残る者は4名となった。
これまで拉致問題や帰国問題では断片的に発言してきた彼らだったが、還暦を過ぎた今、事件を風化させたくないという思いから、ハイジャックの全容についてインタビューに応じた。
「あれから40年、万感の思いが込み上げてきます。当時、私たちが"革命的行為"だと思っていたハイジャックは、正義のためなら人民を盾にしてもよいという自分本位の行為でした。よど号闘争の誤りを認め、人質となった乗客、乗務員の皆様を危険な目に合わせたことを心から謝罪します。」
逮捕され裁判を受けることを覚悟の上で、早期帰国を切望する彼らが語った新事実とは! さらに、よど号の乗員・乗客、日韓の警備関係者、外務省関係者らの証言や、機内の再現映像により緊迫の122時間の全容を伝える。
スクープ② 管制官が証言 「ソウル偽装着陸」の真相
よど号事件の最大の謎は、「平壌を目指していたよど号が、なぜソウルの金浦空港に着陸したのか」である。2005年に公開された韓国機密文書は「老獪な石田機長の独断だった」と結論づけ、韓国側の関与を否定しているが、実際に偽装誘導した管制官が真相をスクープ証言!
「あの日、私がよど号を金浦空港へ誘導した。KCIA部長から『北朝鮮と偽り、必ず金浦空港へ着陸させよ、これは大統領の意向だ』と命令された。
わずかでも私のコンタクトが遅れていたら、よど号は北朝鮮に奪われていただろう。」
さらに、平壌管制になりすました生々しい交信記録を独自入手。一歩誤れば非武装地帯を横切り、北朝鮮の対空砲の餌食。息詰まる上空1万フィートの攻防戦とは?
「こちらは平壌管制だ。周波数を134.1へ変更せよ。方位270度、左旋回せよ。」
そして、背後で作戦を指示していた元KCIA部長や空軍基地管制団長らが、ついに重い口を開いた。当時の韓国当局トップが明かす40年目の新事実とは?
「共産主義者が乗った飛行機が韓国上空を通過するのは、どうしても許せなかった。
よど号にハイジャック犯だけが乗っていたら韓国上空で撃ち落していただろう!」
スクープ③ 緊迫の機内を録音した90分テープを発見
乗客の一人が飛行機に乗った思い出に、羽田離陸から90分にわたり機内の様子をカセットに録音していた。ハイジャックの瞬間の悲鳴、ロープで縛る犯人の肉声、ハイジャックを告げる機内アナウンス、女性・子供の解放など生々しい音声を初公開する。
「えー乗客の皆様・・・ただ今、当機は赤軍派を名乗る学生に乗っ取られました・・・」
「私たちは共産主義者同盟赤軍派です。北鮮に行き、そこにおいて軍事訓練を行い、今年の秋、再度日本に上陸し、断固として前段階武装蜂起を貫徹せんとしています。」
さらに、よど号副機長、機関士、CA、日野原重明氏ら人質となった乗客も証言。
ハイジャック犯の証言とあわせて、事件の全容を克明に再現する。
「複数犯で鉄パイプ爆弾を持っている。死ぬか生きるか躊躇なんてしていられない。
躊躇したら殺されるんだから、中学の教科書の地図で平壌に向かった。」
スクープ④ 山村政務次官と田宮の人質交換交渉の音声を発掘
ハイジャック3日目、金浦空港で赤軍派と交信していた山村新治郎が突如、「乗客の身代わりに人質になる」と申し出た。番組では、山村とハイジャック犯のリーダー田宮高麿の人質交換交渉の肉声テープを入手。 現場に居合わせた超大物キャスターが、その歴史的瞬間を証言する。
「山村先生、聞こえますか。先程の山村先生の提案については、
我々は基本的に了承し、その方法でもって事態を解決したいと思っています・・・」
「私が皆さんと一緒にまいるわけでございますが、その条件を出していただきたく・・・」
人質交換が決まった夜、赤軍派と乗客たちは奇妙なお別れパーティーを開いた。
「別れ」を主題とした詩吟を吟じる田宮、お返しに乗客代表が歌う「北帰行」。ついに、搭乗口のドアが開き乗客が降り始めたのは、羽田離陸から80時間後のことだった。
スクープ⑤ 犯人は伝説のロック・バンドのメンバーだった
ハイジャック犯の一人・若林盛亮は、日本のピンクフロイドとも言われた伝説のサイケデリックバンドのメンバーだった! 幻のバンド「裸のラリーズ」の音源、映像を発掘。
なぜ彼は長髪をばっさり切り落とし、ハイジャックに参加したのか?
「もし、ビートルズの『抱きしめたい』を聞かなかったら、俺は平壌にいなかったよ・・・」
一方、サブ・リーダー格だった小西隆弘は、東大医学部の超エリート人生を捨てた。
「私は癌の研究をしてたらここにはいない。人のためになることをしたいと東大医学部に入ったが、革命家と医者、どっちが人の為になるかを考えて革命家を選んだんだ。」
彼らを、武装蜂起による世界革命戦争へと駆り立てたものは一体なんだったのか?
そして今、平壌での亡命生活に区切りを付け、早期帰国に向けて動き始めた還暦の
ハイジャッカーたち。 止まっていた時計が再び動き始めようとしている。