舞台は、杉林に囲まれた鳥取県智頭町。5年前にUターンし、故郷を元気にしようと取り組んでいる藤原和寛さん(58歳)と妻の五月さん(58歳)が主人公です。
智頭町出身の和寛さんは高校卒業後、大手建設会社に就職。九州・四国と転勤を続ける中、25歳の時、愛媛県出身の五月さんと結婚しました。
京都勤務の時に2人の男の子が生まれ、関西での生活が続きます。定年退職後は両親の暮らす智頭町に戻ろうと考えていましたが、かつては林業で栄えた自分の故郷が、衰退していく様子に胸を痛め、もう一度故郷を元気にしたいと2009年3月、52歳で早期退職。地元の杉や檜を活かした仕事をするため、京都と飛騨高山で木材加工の研修を受けた後、智頭町にUターンし、大工職人だった父親の道具部屋を改造して「山の郷(やまのさと)工房」を開きました。
一方、妻の五月さんも、自分で焼いたパンや「半殺しもち」と名付けた名物のお餅を、小さな販売所で売っています。今回は故郷の活性化のため、日々奮闘する藤原さんご夫婦の暮らしぶりをご紹介します。
和寛さんは、廃校になった地元の小学校「山郷小学校」の教室を利用して、木工品のギャラリー「ひとと木」を開きました。テーブルやイスなどの家具からフォークやスプーンなどの小物まで、杉や檜で作った作品を販売して、地元木材のPRに一役買っています。
お二人は農業にも取り組んでいます。地元の不耕作地を借りて野菜やソバやエゴマなどを栽培し、稲作も始めました。収穫した野菜は、ご近所の農家に呼びかけて鳥取自動車道・福原パーキングの近くに作った、地元初の無人販売所で販売するようになりました。
小さな産直市の小屋を借りて、土日・祝日に営業する「じげショップ」も開きました。五月さんが焼いたパンやそば粉クッキーなどをはじめ、今年6月からは「半殺しもち」と名付けた名物のお餅も売り出しました。エゴマを練り込んだ自家製味噌を塗って焼いた「半殺しもち」は、町を訪れた人たちの人気の的です。
智頭町には、かつての「智頭宿」の名残が今も残されています。
ここは江戸時代、因幡街道と備前街道が交わる宿場町として栄え、参勤交代で江戸に向かう鳥取藩主の宿泊所や奉行所が置かれていました。当時の街並が保存され、賑やかだった宿場町の風情を今に伝えています。