今回は、和歌山県那智勝浦町が舞台。家族と離れ生まれ故郷に単身で戻り、田舎暮らしを送る河原敏文さん(66歳)が主人公です。
敏文さんは大阪で暮らしながら、いつかは故郷に戻り、仕事に追われることのない生活をしたいと考えていました。そして61歳で退職し、那智勝浦町へ移住しました。移住後は自給自足を目指し、釣りや野菜・果物の栽培などを楽しみながら作業しています。この作業を敏文さんは“遊び仕事”と呼び、田舎での生活を楽しんでいます。大阪で暮らす家族が那智勝浦町を訪ねて来ることもあり、上達した料理を家族に振る舞うことも楽しみのひとつです。仕事でもあり遊びでもある“遊び仕事”を故郷で楽しむ河原敏文さんの生活を紹介します。
自宅から5分も歩けば海辺です。敏文さんは昼や晩のおかず用に釣りをします。この時期の狙いはカマスやアジです。ところが釣り場に集まる友人たちから見た敏文さんの腕前は、「釣りがうまくない」と芳しくありません。結局、この日の釣果はゼロでした。残念な結果でしたが、これまでに釣った魚を保存食として常備しているので、おかずには困りません。
敏文さんの“遊び仕事”のひとつが、野菜や果実の栽培です。かんきつ類の果樹や大根、ニラなど、自分が食べたいものを育てています。手探りで始めた農業なので失敗することも多々ありますが、少しずつ野菜の収穫量が増えました。だんだんと食卓の彩りが豊かになってきています。
故郷である那智勝浦町には、知り合いがたくさんいます。いつも敏文さんのことを気に掛けてくれるのが、叔母の亥子さんです。敏文さんが子どものころ、一緒に暮らしたお姉さんのような存在です。敏文さんが66歳になった今でも、食事面を心配して魚やイセエビを届けてくれます。
2カ月に一度のペースで敏文さんの家族は那智勝浦町を訪れます。この日、やってきた妻・登貴子さんと長女の美貴さんは大阪で暮らしています。敏文さんは、亥子さんや釣り仲間からもらったエビやタイを使って豪華な夕食を作りました。味の評価はいま一つでしたが、これでも移住当初より料理の腕前はかなり上達したそうです。
自宅近くを通る熊野古道での散歩を楽しみ、登貴子さんと美貴さんは、大阪へ帰りました。敏文さんが元気に暮らす姿を見て安心したようです。敏文さんは2人を見送った後、寂しげに自宅へ戻りました。家族との再会を楽しみに、いつもの暮らしが始まります。