今回の舞台は、岐阜県揖斐川町。故郷の食文化を守りたいと山菜栽培をしている泉宏幸さん(48歳)とさとみさん(45歳)が主人公です。
2006年9月、徳山ダムの底に沈んでしまった宏幸さんの故郷・徳山村。「村の人たちにとって大切な食材だった山菜がなくなってしまう」と考え、宏幸さんは食品会社を退職、同年11月に山菜栽培を始めました。もともと自然条件下のもとで育つ山菜の栽培は一筋縄ではいきませんが、周囲の人たちの応援と期待を受け一生懸命山菜作りに励んでいます。これからも故郷の味を守り続けてください!
宏幸さんは故郷の味に近い山菜作りを目指し、旧徳山村から持ってきた種や株から山菜を栽培しています。この時期に収穫できる山ウドは香りが高く少し苦みがあるのが特徴。収穫した山菜は主に旧徳山村の村人に配達します。配達した先々で喜んでくれるおばあちゃんたちの笑顔が何よりの嬉しさなんだとか。
熱心に山菜作りに励む宏幸さんの姿を見て、心強い応援団もできました。畑の近所に住む山口さんご夫婦は、宏幸さんをお昼に招いてくれることも。この日は仲良し会の皆さんで作ったアザミ料理をご馳走してくれました。「息子みたい」とおっしゃる山口さんご夫婦、山菜が人の輪を広げてくれました。
山菜の栽培だけでは家計が苦しいため、安定した収入源としてシイタケの栽培もしています。原木栽培で育てるシイタケの味には宏幸さんも自信有り!そんなシイタケ栽培の師匠がシイタケ作り48年の藤原源次郎さん。15キロもある原木を軽々放り投げる源次郎さんは、言葉でなく身体で教えてくれる頼もしい存在です。
泉家の夕食には宏幸さんの山菜が食卓を飾ります。小さい頃から旧徳山村の山菜の味に親しんできた、長女の実希さん。故郷の味を守ろうと頑張る宏幸さんを見て、「自分も跡を継ぎたい。例え土まみれの姿でも私にはかっこよく見える」という嬉しい言葉を。これには宏幸さんとさとみさんも感無量でした。
徳山ダムに沈んだ旧徳山村。その中でも宏幸さんの生まれ育った門入地区はダムから一番遠く水没を免れました。この日は門入で山菜作りをしている先輩のもとへ。道なき道を歩き辿りついた林さんご夫婦の広大な山菜畑は一面雑草で覆われていました。自然条件下に近い環境で育てることが、山菜作りに欠かせないと気づいた宏幸さんでした。
宏幸さんの作った山ウドで旧徳山村のおばあちゃんたちが郷土料理を作ってくれました。「徳山のものと変わらない!」と徳山村の味を知り尽くしたおばあちゃんたちから太鼓判をもらい、宏幸さんも大感激!3年間の期限付きで始めた山菜栽培。さとみさんも宏幸さんの山菜を喜んでくれる村人たちの姿を見て、「これからも夫と共に頑張っていきたい!」と言ってくれました。