報道ステーション 月〜金よる9:54〜

特集一覧へ戻る

特集

2019年4月29日

昭和から引き継がれた平和への思い

原爆ドームの見える市内中心部での歓迎行事には5万人が集まったという。しかし、昭和天皇は本土決戦の捨て石とされ、唯一の地上戦が行われた沖縄には、結局、病に倒れ、行くことができなかった。沖縄を皇族として初めて訪問されたのが、当時、皇太子だった陛下と美智子さまだった。ところが、沖縄戦で犠牲となった女子学生を慰霊する『ひめゆりの塔』で、火炎ビンを投げ付けられた。その日の夜、陛下は沖縄県民に向け「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人々が長い年月をかけて、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」とのメッセージを発表した。陛下はこの言葉の通りに、これまでに沖縄を11回訪問された。さらに 陛下は、戦争の傷跡を海外でも目の当たりにされることになる。即位から10年目、1998年に訪問されたイギリスで、陛下を乗せた馬車が通る沿道に、旧日本軍の虐待を受けた元捕虜ら数百人が集まっていた。食料も満足に与えられない過酷な環境下で重労働を強いられた人たちだ。彼らは、馬車が通り過ぎる時、背を向け、抗議の意思を表していた。この日の晩さん会で、エリザベス女王は「当時の痛ましい記憶は、今日もなお、私たちの胸に突き刺さります」と述べ、陛下は「戦争により人々の受けた傷を思う時、深い心の痛みを覚えます」と述べられた。イギリス訪問の2年後、両陛下は、オランダを訪問された。この時も、オランダの植民地だったインドネシアで捕虜となった人たちによる抗議行動があった。晩さん会には、元捕虜5人が招待されていた。陛下は「今なお戦争の傷を負い続けている人々のあることに、深い心の痛みを覚えます」と述べられた。戦没者を悼む両陛下の黙とうは、いつもより長く続いたという。名古屋大学大学院の河西秀哉准教授は「本土にいてはわからないような空気感とか声というのを体験することになる。ご本人にとっては、自分は平和な存在ではなくて、(昭和)天皇の血を受け継いだ存在としてとらえられていることを意識したと思う。そこでより自分たちは、そういうことに取り組まなければいけないということを自己意識化していくと思う」と話す。天皇陛下の慰霊の旅は、その後、激戦地となった太平洋の島々へと広がっていった。

一覧へ戻る