モーツァルト(1756年〜91年)による第39番〜41番までの3つの交響曲は彼の3大交響曲と呼ばれています。この3曲が作曲されたのは1788年、モーツァルトが亡くなる3年前です。モーツァルトの初期の交響曲が、先人の交響曲作曲家の影響を多分に受けながら、次第に4楽章制をとるウィーン古典派の交響曲の形が築かれ、その最後に到達したのが39番以降の3曲といわれています。中でも交響曲第40番はモーツァルトの数多い交響曲中でもわずか2曲という珍しい短調作品でもあり、代表的な作品とされています。
ベートーヴェン(1770年〜1827年)が完成させた革命的な9つの交響曲のうち、第7番はワーグナーが「舞踏の聖化」と称えたリズムの精彩と推進力もあって、今日でも演奏会の人気曲となっています。完成は1812年、ベートーヴェンが40歳を過ぎての作品。1813年春にルドルフ大公の私邸で初演されたのち、同12月ウィーン大学講堂で作曲家自らの指揮で公開初演され、第2楽章がアンコールされる好評ぶりだったといいます。 第3楽章は、ハイドンの時代に「メヌエット」であった楽章を、ベートーヴェンが変えたという「スケルツォ」。「スケルツォ」とは「諧謔曲」と訳され、「諧謔」は冗談・洒落などを意味します。
| ♪4:交響曲第1番 第4楽章より クライマックス部分 |
ボヘミアのカリシュトという小さな町で産まれたマーラー(1860年〜1911年)作曲による作品。
マーラーの生涯は何よりもまず指揮者としての多忙な演奏活動に捧げられましたが、作曲家としても数々の作品を残しています。交響曲はマーラーの時代、既に時代遅れの形式とみなされがちでしたが、マーラーは新しい価値と意味付けを行い、生涯で9つの交響曲(第10番は未完)を残しました。
交響曲第1番は初演の際、「二部からなる交響詩」と題され、楽章も全部で5つから構成されるものでした。しかしこの意欲作は成功を収めることができず、再演のたびに改訂作業を繰り返し、愛読していたジャン・パウルの小説「巨人」のタイトルを採用したりしました。そしてマーラーは1899年の出版に際し、手を加え、各が苦笑に与えた標題と説明を全てカット、「巨人」も使用を断念し、単に「交響曲第1番ニ長調」と記す様になり、紆余曲折のはてに、交響曲第1番は伝統的4楽章構成の交響曲として誕生しました。
| 指揮 : |
金 聖響 |
| 演奏 : |
神奈川フィルハーモニー管弦楽団 |

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