ヨーゼフ・ハイドン(1732−1809)
「交響曲の父」と呼ばれるハイドンは、生涯に107曲あまりの交響曲を作曲し、古典派の様式を確立。ハイドンが神聖ローマ皇帝に捧げた「神よ、皇帝フランツを守り給え」の旋律は、現在ドイツの国歌として用いられている。
1791年(59歳)作曲と思われます。この頃ハイドンはイギリスに渡っていました。「驚愕」という名前は冒頭の静かな演奏の後、びっくりするような大音量の和音が現れることに由来しており、初演後ただちに付けられました。観客を起す目的かどうかは不明です。
1761年(29歳)作曲。《朝・昼・晩》三部作のひとつ。ハイドンはこの年の5月、この先長く仕えることとなるエステルハージ公爵家の宮廷楽団の副楽長として雇われ、この名手揃いの新しい楽団の技量を生かすためにあらゆる楽器にソロを与える作品を作曲しました。この第4楽章ではコントラバスの独奏を書きました。
1769年以前の作曲。一説では「1774年にエステルハージ家が建築した離宮(エステルハーザ)で上演された<大火事>の幕間音楽として書かれた」とあります。おそらくタイトルはここから来たものと思われますが、筆写譜などの特徴から、実際に幕間音楽として演奏された作品だとしても、以前にすでに作曲されていたと考えられています。
1772年(40歳)作曲。ハイドンが楽長を務める楽団は、夏の間家族と別れて、エステルハーザ宮に住まなければならなかったのですが、この夏は通常より滞在が長引いたため、楽団員の不満が募っていました。そこでハイドンは「楽団員が家族の元に帰りたがっている」ことを公爵に訴えるため、終楽章では演奏者が1人ずつ演奏をやめ交互に立ち去って行く演出を加えたこの作品を作りました。
1786年(54歳)作曲。パリのオーケストラから<パリ交響曲集>と呼ばれる交響曲6曲の作曲が依頼されましたが、その中で最大楽器編成を持ち、華やかな名曲です。
| 指 揮 : |
佐渡 裕 |
| 演 奏 : |
オーケストラ・アンサンブル金沢 |

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