1956年度(第4回)の課題曲。戦後初の吹奏楽コンクール開催で、事実上コンクールはこの年から始まりました。この原曲は1895年スーザ作の喜歌劇「エル・キャピタン」で、このマーチは劇中の旋律を組み合わせて作曲しました。
1964年度(第12回)東京オリンピック年の課題曲。課題曲がマーチでない、オリジナル曲になった年の作品です。当初、中学の部の課題曲として作曲されましたが、吹奏楽連盟が今までにあまりみたことにない譜面づらを見て「中学生には難しすぎる」と高校以上の部門の課題曲に変更したそうです。
1970年度(第18回)大阪万博の年の課題曲。1957年にオクラホマ州で開かれる音楽祭の25周年記念曲として作曲されました。吹奏楽における最も有名な作曲家アルフレッド・リードの名曲が課題曲になり、日本におけるリード人気が定着しました。
1976年度(第24回)課題曲。ポップス色の強い作品です。吹奏楽の課題曲には過去5曲書いている、日本吹奏楽界の功労者・作曲者の岩井氏曰く「とにかく明るくて楽しい音楽を作りたい」ということで、中高生が演奏しやすく、飛びつくような曲調を意識して作曲したそうです。とある大通り(ご本人は冗談で、当時住んでいた中野の美観商店街がモデルだと話しています)の夜明けから夜までの1日を描写しています。
1974年度(第22回)の課題曲。コンクール課題曲としては初めてドラムセットが編成の中に入りました。佐渡裕が中学1年生の頃、今回ゲストの丸谷明夫先生が指揮するこの作品を聞いて深く感動したという逸話があります。
指揮 : |
佐渡裕 |
演奏 : |
シエナ・ウインド・オーケストラ |
1988年度(第33回)課題曲。この頃から吹奏楽分野以外の有名作曲家への委嘱作品も増え、楽曲の
レベルの難易度が高くなりました。その最たるものがこの作品で、当時すでに合唱曲や現代音楽の大
家であった三善晃の作曲です。

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