| ♪1:ワルツ 第1番 変ホ長調 「華麗なる大円舞曲」 op.18 |
1831年(21歳)ウィーンにて作曲。ショパンは当初、あまりワルツを好みませんでした。というのも、20歳で2度目のウィーンに滞在した際、演奏の機会がなかなか得られず、それは「人々はヨハン・シュトラウス・ファミリーのワルツを好むから」と手紙にしたためています。その後パリに移りサロンでワルツを発表し始めますが、この作品はパリ生活を3年経て出版されました。
1830年頃(20歳)の作曲ですが、ショパンの死後1875年に出版されたため遺作とされています。作曲当時、ショパンには、コンスタンツィア・グラドコフスカという片想いのソプラノ歌手がいました。彼女への思いは当時の代表作・ピアノ協奏曲第2番の創作の大きな動機となっていますが、この遺作にはその断片があらゆるところに引用されています。この曲の初版には「姉のルドヴィカが私のピアノ協奏曲第2番を弾くときの指の練習用に」と書かれていたようです。
| ♪3:ワルツ第9番 変イ長調 「別れ」 op.69-1 |
1835年(25歳)作曲。ショパンの第2の恋人マリア・ヴォジンスカに捧げられた作品です。彼女は幼馴染でしたが久しぶりに再会し、すっかり美しくなった彼女に夢中になりました。結果別れることになりますが、その際この曲を贈ったため「別れ」と呼ばれています。
| ♪4:ポロネーズ 第6番 変イ長調 「英雄」 op.53 |
1842年(32歳)作曲。ショパンの恋人として最も有名な女流作家ジョルジュ・サンドとの恋愛中の作品で、この時期にショパンは数々の傑作を発表しています。この頃、サンドのおかげでショパンは作曲に専念できました。なおこのポロネーズとは祖国ポーランドの舞曲のことで、ショパンはピアノ独奏用に16曲のポロネーズを作曲しています。

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