「何が大事かって思った時に、私はメダルを目指すより
見ている人と、いかに心を通わせられるかが大事だと思った。」
5歳でスケートを始め、天才少女と呼ばれた彼女は
わずか16歳で、長野オリンピックに出場。
そしてその6年後、世界選手権で優勝し女王に輝きます。がその翌年・・・
「プロの世界に行くという事を思い描いていたので・・・
次のオリンピックを見据えてスタートする事は出来なかった。」
進路に悩みを抱えた彼女は、最悪のスランプに陥ります。
さらに追い討ちをかけたのが、採点方式の変更。得意技イナバウアーが採点の対象外になったのです。その結果、世界選手権で惨敗し、まさかの9位。
どん底の中、彼女が考えた事・・・。
「このままでは辞められない。
中途半端な気持ちでスケートに向き合ってしまった自分が許せなくなった。」
迷いを断ち切った彼女は、
なんと通常なら考えられない“大会1ヶ月前という時期”に
プログラムの曲目を変更。魅せる演技にこだわります。
そして迎えたトリノオリンピック。
金メダル争いが続く中、彼女が見せたのは・・・
得点にならないかもしれない“イナバウアー”。
彼女は自分らしいスケートを貫き、
満場の拍手と金メダルという栄誉を手にしたのです。
「目指す演技としては、“記録”ではなく“記憶”に残る演技。」