


絶望から這い上がった男…。
車椅子バスケットボール日本代表 京谷 和幸(きょうや かずゆき)。
「車椅子を自分の足のように動かさなきゃいけないんで、
自分で起きあがるトレーニングをやるんです。」
日本代表として、これまで3大会連続でパラリンピックに出場。
昨年の北京大会では全日本の主将も努めた彼。その道のりは、想像を絶するものでした。
サッカー小僧だった京谷少年は、22歳の時、Jリーグでプロデビュー。
結婚も決まり、幸せの絶頂にいました。ところが・・・
突然の交通事故で下半身不随に。
「もう、これからの人生どうやって生きていけばいいのか…。」
生き甲斐だったサッカーができなくなり一晩中泣きあかしました。
そしてある事に気づいたのです。
「これがどん底ならこれ以上落ちることはない…。とにかくはい上がって行くしかない。」
そんな時、出会ったのが車椅子バスケットボールでした。
ずっとそばにいると決めてくれた妻のため、生まれたばかりの子ども達のため
ゼロからの挑戦は始まりました。
「車椅子に20kgのおもりをつけて、トレーニングをやってましたね」
猛スピードの車椅子を素手で止めるため、彼の手の平は何度もすり切れました。
そして事故から7年後・・・見事パラリンピック出場を果たしたのです。
「プラス思考。いつも前向きに生きていこうって事を心の中に決めましたね」。
彼は今日も前向きな気持ちで、コートを駆け巡っています。
