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実に足掛け44年間にわたって愛されてきた「大相撲ダイジェスト」が
今月の秋場所の放送を最後に姿を消すことになりました
大相撲ダイジェスト

この長寿番組を29年間にわたって担当してきたのが
ベテランの山崎正アナウンサーです
9月21日(日)の千秋楽の放送では山崎さんから視聴者の皆さんへのご挨拶もあります
そこで、そんな山崎さんの入社当時の話を「聞きたい!」と若手(?)アナがお願いしました、
しんみりとした話になるかと思っていたのですが、全くの逆。
唖然とする内容の連続になってしまいました。
現在のアナウンス部員の大半が知らないことばかり・・・
「ホントにそんなことがあったんですか?」「あったんだよ」
それでは始まり始まり〜

山崎正

じゃあどんどん質問してください

小木逸平

はい。あの、ちょうど、私どもにとっては、山崎さんはお父さんくらいの…

山崎正

いや、そんなことないだろ(笑)

小木逸平

あ〜!大変失礼なことを

川北桃子

若いお父さまということで・・・

小木逸平

その〜、入社した当時というのは、テレビ朝日じゃないですよね?

山崎正

そう、当然NET(日本教育テレビ、テレビ朝日の前身)だよね。でも僕は中途入社なので、実際にはもう29歳だったんだよ。

山崎アナウンサーが入社した頃のNET日本教育テレビ社屋
川北桃子

ええ!?じゃあ、私と今同い年ですね。

山崎正

あ?そうなんだ(汗)。まあ、僕が大学を卒業する年は、東京ではフジテレビと現在のラジオ日本しか入社試験をやらなかったの。それで仙台放送に入社して、そこに3年いて、それから名古屋に行った。名古屋は新しくできた中京テレビでね、そこで4年いたんだけれど、その時にNETで中途採用試験をやるというので僕も受験させてもらって。それで昭和48年の6月からここへ入ってきたんだ。その前の年かな?堀越さん(現アナウンス部長)たちが新卒で入社していて、僕が入った次の年には石橋君(現アナウンス部デスク)たちが入ってきたんだ。当時のアナウンス部の部屋はとにかく狭いんだよね、この部屋くらいしかない。

いやいや狭いんだよ、この部屋の広さくらいかな
小木逸平

えっ?こんなに狭いんですか?僕が今住んでいるマンションの部屋くらいしかないですよ?

吉澤一彦

僕が入社したときは4階だったけど、確かアナウンス部が3階にあったときですよね?

六本木6丁目(現在の六本木ヒルズ)にあった
テレビ朝日社屋(1979年撮影)
吉沢アナが入社した頃は、
この建物の4階の部屋がアナウンス部でした
小木逸平

へえ〜、それでアナウンサーは何人くらいいたんですか?

山崎正

その時には25人くらいかな〜

川北桃子

えぇ〜!ぎゅうぎゅう詰めですね

山崎正

僕なんかは途中入社ってこともあって遠慮があるし、部屋に入ろうとすると、もう人が一杯あふれてるわけ。そうかといってそのまま帰るわけにはいかないんで、外の廊下に立って、みんなの話を聞いてるんだよ。

川北桃子 小木逸平

え〜っ!?

山崎正

部屋に入れないんだよ、一杯で。

川北桃子

ドアの外から?

山崎正

そうドアの外から眺めて、話がおもしろいと笑ったり。

小木逸平

ど、どうしてそんなに狭い部屋にぎゅうぎゅう詰めなんですかね?

山崎正

当時はアナウンサーの仕事は少なかったんだよ。本当にニュースとスポーツ1本くらいかな。ほとんど仕事がないから、みんな人があふれてるわけだ。それで、部屋の中で冗談とかダジャレとかが飛び交ってるの。それを部屋の外から聞いて、タイミングが遅れないようにア〜ッハッハッて一生懸命笑ったり(笑)

小木逸平

ほ、ホントなんですか!?

ホントですか〜

なんだかとんでもないスタートになってしまいましたね。でもこれは序の口、信じられない話が続々と出てきます。

    
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