私が宮城県に到着したのは、発生から3日目の日曜日の早朝。
高速道路が通れず、また原子力発電所の状態を見ながらの移動となったため、なかなか現場にたどり着けないもどかしさがありました。
道中に次々と入ってくる新たな情報に、我々は、
「一体現場はどんな状況なんだ。何が起きているんだ。」
と緊張感を増していき、それと同時に
「我々は被災地のためにいったい何ができるだろうか」
という想いを強くしていました。
被災地に報道スタッフが行く−
当然ながら、我々はほとんどの人にとって、邪魔な存在です。
そんな中で、「何とか被災地・被災者の皆さんのためになることを伝えたい」
その想いで取材を続けました。
少しでも、情報が皆さんに届いたら。
少しでも、皆さんの要望が届いたら。
少しでも、皆さんが前向きな気持ちになれる放送ができたら。
少しでも、人探しや伝達など、我々が皆さんのお役に立てたら。
まだまだ我々のできることはたくさん残っています。
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