『西の魔女が死んだ』
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わたしの母は魔女なのだと思っていた。
今でももしかしたら、なんて思うことがある。
幼い頃、母はよく言ったものだ。
「ママはね、ゆうちゃんがちゃんと10時までに寝てくれないと
あの押入れから魔女の世界に帰れないんだよ。」
その言葉を疑うことがなかったのは、
母が本当に魔法を使えるような気がしていたからだ。
今食べたいなと思ったものをすぐに出してくれたり、
わたしが考えていることを言い当てたり、
黒い服をよく着ていたり、母は少し鼻が魔女みたいだったこともある。
最近になって話したことだが、
母は昔、おばあちゃんの家の庭で、ほうきで落ち葉を掃いた後、
真剣にほうきにまたがっていたわたしを見かけたことがあったそうだ。
アレは本当におかしかったと思い出した母は大笑いした。
さて、この『西の魔女が死んだ』は、
感受性の強いひとりの少女が日常でレスキュー!
を発したところから始まる。
女の子独特のいやらしい人間関係にすっかり対応出来なくなった少女は、
学校に行くことを拒否する。
わたしにも同じような経験があるから、
彼女のレスキューは痛いほどわかる。
そう、女の子ってめんどくさいのだ。
そして少女が逃げたのは、田舎に住むおばあちゃんのおうちだった。
イギリス人のおばあちゃん(彼女こそが西の魔女である)
のうちで暮らすことで始まった、少女の魔女修行が見所である。
魔女修行というのは、
わたしがやっていたようにほうきにまたがること、ではないのだ。
少女もわたしと同じように、
ほうきの練習や魔法の練習をすることだと思っていたが、
魔女になるにはもっと単純で大切なことを身に付けなければならなかった。
規則正しい生活、感情の制御、自立心。
優等生になるための修行のようなことこそが、
魔女になるためへの第一歩なのだった。
『西の魔女が死んだ』の原作者・梨木香歩は、
みどりの描き方がとても上手な人である。
梨木さんの他の作品を読んでも、
そのみどりの描き方が素晴らしい、といつも思う。
映画は、梨木さんのみどりの再現もとても素敵だったと思う。
ご本人はどのように観てらっしゃるのだろうか?
梨木さんの描くみどりは、日本のみどりではない。
色彩も、広がりも、そのみどりはどことなく西洋風である。
そして、雄大な自然というよりは、
ガーデニングをするような庭を想像させるのだ。
梨木さんが描くみどりは、日本に住むわたしたちには
あまり馴染みがないみどりなのだが、
それが、夏休みが近くなるとそうでもない気がするから不思議だ。
そうだ、梨木さんが描くみどりは庭(ガーデン)の中で、
人と共存をしている生命力に満ち溢れたパワーのあるみどりたちなのだ。
この物語は、夏休みが近付いてきている
小学校高学年から中学生くらいの女の子たちに
絶対に見て欲しい、あるいは読んで欲しいと思う。
大人になりきらない女の子たちに感じて欲しいことがいっぱいある。
夏休みで田舎に帰るときにこのお話を思い出して欲しいと思うのである。
この物語は、雨とみどりと土の匂いがする、
しかも、身の回りにあるものでは癒せない傷が、
すっかり癒えていく不思議なお話なのだ。
そして見所のもうひとつは、おばあちゃん。
完璧な精神といっていい強さを持っているおばあちゃんではあるが、
少女の若さで噛み付かれるとおばあちゃんもぐらりと揺れる。
きっと少女の母がまだ子供だった頃にもたくさん衝突はあったのだろう。
でも近すぎてわかりあえなかったのではないだろうか。
おばあちゃんと孫という距離だからこそ、おばあちゃんも少女も通じ合える部分があるのだろう。
夜中にクッキーを焼いて、少女の部屋に入ってくるシーンがある。そこでおばあちゃんはこんなことを言っていた。
「夜中にお菓子を焼きたくなることだってあるんです。」
立派な一人の女性としての気品の中に、
大いなる愛情と少女のような可憐な脆さが潜んでいる。
おばあちゃんこそ上等の魔女、本物の淑女なのである。
最後におばあちゃんと少女が別れるシーンがとても泣ける。
別れる直前にちょっとしたことで少女と気持ちが離れてしまったことが原因で、
少女はおばあちゃんに何も言えないまま立ち去ってしまう。
本当はいつもの通り、「おばあちゃん大好き」といって抱きつきたかったのに、
少女は出来なかった。
そしておばあちゃんだって、少女のそんな気持ちを十分に汲んでいたはずだ。
でもおばあちゃんにはとても堪えたとわたしは思う。
遠ざかる車を見送るおばあちゃんの寂しそうな、弱い笑いは涙を誘う。
少女がいた生活からひとりの生活に戻さなければならない習慣の変化でさえも、
おばあちゃんには寂しく辛いものだったはずだ。
上等の魔女だって、自分の愛情が正しいものだったのか迷うことだってあるのだろう。
この映画を見たわたしの母親は、このおばあちゃんの心情が痛いほど分かると言っていた。気がつけば、うちの母は西の魔女に近い年齢だ。うちの魔女も泣いた。
わたしは見習い魔女のまま、まだ少女の気持ちがわかることでやっとの年だ。
『西の魔女が死んだ』は、魔女になること、
すなわち一人前の大人の女性(一人前の魔女であり、淑女)になることは、
すれっからしになることではないことを教えてくれる物語である。
魔女だってゆれる。
魔女だって泣く。
そして
魔女だって死ぬ。
さて、テレアサノマジョミナライカラ、コレヲヨムミナサンヘ。
ココロガヒメイヲアゲタヒハミドリノナカデエスケープ、デス。 |
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★矢島悠子の近況です★
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ところで、今日ご紹介した梨木香歩さんですが、梨木さんの著書は面白い物が多いです。
「りかさん」という作品が特にお気にいりです。夏休みに一読されてみては??? |