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11月6日 うたごえレビュー(1) 「地上で一番優しい歌声」


「地上で一番優しい歌声」と言われている中孝介さんの歌声。
貴方は聴いたことがあるだろうか。
(以下、敬意を表し、あえて名前を中孝介と呼ぶことをお許し願いたい)

ここ1年、わたしは毎日、本当に毎日、中さんの歌声で癒され続けている。
本当に大好きで堪らないのである。

わたしは音楽をたくさん聴く方ではない。
好きになった歌はずっと大切に聴き続けるタイプだ。
中孝介、その人の歌声を聴いてからのこの一年は、
本当に中孝介一色だったと言っても過言ではない。
いつも彼の曲に支えてもらってきた。

初めてその歌声を聴いたとき、
こんがらがっていた頭の中の糸をあっという間に解いてくれるような気がした。
のどが渇いているとき水を欲すように、わたしの心が彼の歌声を欲した。
歌詞がそうさせたのではない。
だって、彼はそのとき「ハイアイヤイヤイア」と歌っていたのだから。

涙が出るような夕焼けの風景がわたしの頭に浮かんだ。
切ない、切ない気持ちになった。
けれどもその透き通るようで、でも包み込んでくれるような歌声。
もう一瞬でゾッコンになってしまったのだった。

その歌声はどこにいても、楽園を呼び起こさせてくれる。
本当の楽園がどんなところなのかは知らないが、
いつもその時々に違う色・形・風の楽園を描き出してくれるのである。
いつ何時でも、心が一番心地良い場所へと導いてくれるような歌声なのである。
人々が「地上で一番優しい歌声」と呼ぶ理由はそのせいなのかもしれない。


そんな中孝介のナマの歌声を聴きたくて、今までに3度ライブを訪れたことがある。一度はホール、二度は野外でのライブだった。

彼の歌声を聴く度、思うことがある。
この「地上で一番優しい歌声」を持つ青年の歌声は「揺らぐ」んだなぁと。

間の取り方や、音が伸びる箇所が微妙にではあるが、
CDとは明らかに違っている。
その瞬間、瞬間の周りの環境や感情によって、
同じ歌であっても、中孝介の歌声は「揺らぐ」のである。

「地上で一番優しい歌声」の持ち主、となると
どことなく神がかったような人を想像してしまうのだが、
彼自身が揺らぎながら、歌いながら、
今、そこに立って生きているのを感じるである。
この「揺らぐ」歌声を知ると、より一層彼の歌声はいとおしくなる。
この「揺らぎ」を特に感じたのは野外ライブだ。
夏の暑い昼間、涼しい風が吹き始めた秋の入り口。

風に合わせて彼の歌声の切ない響きは驚くほど違う。

低くよく伸びる歌声は、ぶつかるように激しく大地を振るわせる風
高くて細く響く歌声は、耳を澄ませてやっと聞き取れるくらいひっそりとした風
遠くまで見据えたような真っ直ぐな歌声は、月夜の清清しい風
しなるような弧を描く歌声は、朝日に包まれてカーテンを揺らす甘い風
中孝介は一人のアーティストではあるが、いつも風とともに歌っている気がする。

風とともに「揺らぎ」ながら、
中孝介自身がまだまだ成長をしつづけているのを感じる。
同世代の人間として、そうしたところにも共感を得つつ、
負けじとなりつつ、やっぱりひたすら彼の歌声に癒されている。
満員電車の中でも、長い収録の合間でも、いつでも…。
ゆったりとした、大きな水の流れに身を任せるように。

いつか彼の生まれ育った奄美大島に行ってみたいと思っている。
彼が見て育った海の色、空の青さをこの肌で感じてみたい。


 
 
    
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