- 165cm
- 神奈川県川崎市
- 神奈川県立多摩高校→
中央大学文学部 - 2005年4月1日
- 獅子座

九州最後の炭鉱へ
軍艦島と違うのは、今も人が住んでいること。
今でも、池島には200人ほどの人たちの暮らしがあります。

西海市の港から船で30分。大きな島が見えてきました。
長崎県長崎市にある池島です。

この島はかつて、島まるごとが炭鉱でした。
比較的遅い時期から石炭の採掘が始まったこともあり、
21世紀に入った2001年まで操業していました。
まだ多くの建物がそのまま残されていますが
強烈な印象を残すのは
最盛期は8000人もの人が住んでいたという団地群と炭鉱設備。

取材に行ったのは
まだ蝉が鳴いている時期でしたが
ジリジリという残暑の音が、
誰もいない団地に虚しく響いていました。

炭坑の中に実際に入ることが出来るのが池島の魅力。
今では観光用に、こうしたトロッコに乗って入っていくことができます。

閉山後は、海外の人たちに採掘技術などを指導、研修する施設に
していたために、炭坑内がきれいに保存されていました。
ひんやりと湿った炭坑の中はうすら寒く、
得も言われぬ恐怖感というか、
見たこともないものへの畏れを感じます。

往時の炭坑内は人がいっぱいで、蒸し暑く
まさに危険と隣り合わせの仕事が行われていた場所です。
「宵越しの金は持たぬ」などと言われるくらい
いつも命の危険がある仕事をする炭坑で働くお父さんたちを
家族はどんな思いで待っていたのでしょうか。

出入り口や休憩場所などには、
子供たちが描いた絵などが飾られていて
一瞬でもホッと出来るようになっていました。
当時、団地のドアにはこんなものがぶら下がっていたそうです。
明るい時間に寝て、夜働くシフトの人たちのために
静かにね、という意味ですよね。炭坑の島ならではの光景です。

家財道具などは、当時の最先端のものが買えたそうですし、
港のそばの商店や娯楽施設は大変なにぎわいだったといいます。

島に残った人たちは、池島をいずれは世界遺産に登録したりすることで
九州最後の炭鉱の大切な歴史を語り継いで行きたい、
観光で島の経済を復活させたいと話していました。


途中でいただいた、
炭鉱で働く人たちのお弁当を再現したという炭鉱弁当。
地元のおかあさん手作りの卵焼き。
甘さとしょっぱさがちょうどいい塩梅で
身に染みるようにおいしかった…。
静かになった団地の真ん中を一人で歩いていると
その窓、ひとつひとつに
家族の人生、暮らしがあったのだと改めて感じました。

仕事に出かけるお父さんたちの足音や
遊び回る子供たちの声が聞こえてきそうな光景に
胸の奥がぐうぅっと熱くなるのがわかりました。

今回の撮影では、カメラを付けて小型のヘリを飛ばす手法を用いました。
まるで鳥の視点のような魅力的な映像になりました。
ふるさとカンパニーのおふたり、ありがとうございました。

そして、現地クルーさんにも感謝です。

またいつかこの島を訪れてみたい、
そして
世界遺産候補を訪ね歩いてみたいという思いを強くしました。
