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試しに、死ぬまでにしたいことを考えてみる。
待つこと、30分。
長い人生の中で叶えたいことはあっても、残り少ない時間の中でしたいこととは、一体なんだろう?
だめだ。何も思い浮かばない。
どうしてだろう?
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主人公のアンは、23歳。夫がいて二人の小さい娘がいる。お金はないけれど、ささやかな幸せの毎日。ある日突然、アンは強烈な腹痛で病院に運び込まれる。
「余命2ヶ月」という過酷な宣告。
アンはこの事実を誰にも話さないことを決心し、死ぬまでにしたい10のリストを作る。
「娘たちが18歳になるまで毎年贈る誕生日のメッセージを録音する」
「爪とヘアスタイルを変える」
「誰かが私と恋におちるように誘惑する」 ・・・など。
アンの何気ない毎日は、秘密のリストを実行することで、力強さに満ちたものに変わっていく。
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時間について考えてみる。
毎日は、いつからこんなに早く過ぎ去っていくようになったのだろうか。
毎日が毎月になり、毎月が毎年になる。
季節ではなく、数字が過ぎていくようなこの感覚。
時間は、両手で掬い上げてもこぼれていく水のよう。
少なくとも、小学生の頃は毎日精一杯だったはずだ。
思い出とともに甦るのは、「きらきら」と形容すべき「生きている」情熱だったのか。
アンは残された時間を生きる。
10のリストという死への準備は、観ている私にもアンが「死んでいく」という事実を受け入れさせていく。
涙は、アンが死んでいくということに対して、感傷的に流されるものではない。
一瞬一瞬を大切に生きるアンに対して、情熱を帯びる時間に対して、涙は流されるべきだ。
切ないほどの「きらきら」がそこにある。
人生のただ中にいる私。
“my life with me”の私には、「きらきら」は見えない。
見えるのは、通り過ぎてしまったあとの「きらきら」。
例えば、小学生の頃にどろけいに夢中になっていた瞬間とか、
好きな男の子の机に、チョコレートを入れる瞬間だったりとか。
手の中にあるときには見えなかったのに、手からするりと落ちた瞬間から記憶として輝きを持ち始める。
アンは、「きらきら」を手にしている。
映画の原題である、“my life without me”(私なしの、私の人生)という状況になって初めて、目の前の手にしているものが輝き始める。
はかなげに、きらきらと。
だからこそ、残された時間を慈しめる。
大切な人のために。
自分の中に情熱の炎を灯すために。
そして、人生を完結させるために。
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限られた時間の中で、すべきことが思い浮かばないというのは、もしかしたら幸せなことなのかもしれない、と思う。
私は、私の人生を生きている。
■作品データ/『死ぬまでにしたい10のこと』
監督・脚本:イザベル・コヘット
撮影監督:ジャン・クロード・ラリュー
エグゼクティブ・プロデューサー:ペドロ・アルモドバル
出演:サラ・ポーリー、スコット・スピードマン、マーク・ラファロ、
レオノール・ワトリング、アルフレッド・モリーナ、他
配給:松竹/2002年/スペイン・カナダ/106分
※10/25(土)、ヴァージンシネマズ六本木ヒルズほかでロードショー
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