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Vol.31 「球春」
(2003/04/08) |
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春のセンバツが終わった。
忘れられないのは
「花咲徳栄(埼玉)5対6東洋大姫路(兵庫)」の準々決勝。
41年ぶり引き分け再試合の末の、サヨナラ勝ちだった。
「東洋大姫路」と聞くと、2年前の夏の甲子園を思い出す。
初仕事である、アルプススタンドからのリポート。
今大会キャプテンを務めたアン投手は、当時1年生だった。
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2001年8月18日。3回戦の第4試合。
「日南学園(宮崎)対東洋大姫路(兵庫)」
日南学園の寺原投手に注目が集まる中、
東洋大姫路の担当だった私は、
一番バッター佐々尾君のお父さんへのインタビューを試みた。
「あの・・・こちらが合図をしたら、カメラに向かって
手を振って頂けますか?」
限られた時間内で、面白いリポートを。
段取りで頭がいっぱいだった。
試合が始まり、お父さんの隣に座る。
「佐々尾!佐々尾!!」
大声を張り上げていた。
放送時間の都合上インタビューは中止になったが、
ハンドマイクが片付けられても、最後まで一緒に座っていた。
結果は15対0、日南学園の圧勝だった。
寺原投手の速球に、球場全体が沸いた。
浜風が急に冷たく感じる。
「インタビューできなくてごめんなさい」
喪失感に包まれた三塁側アルプスで、やっとの思いで口を開く。
「息子を応援してくれて、ありがとう」
はっとした。
私はなぜ、ここに座っていたのだろうか。
「村上、反省会、始まるよ」
一緒にいたディレクターに手を引かれながら、
試合に負けた悲しさと、なぜか後ろめたさでいっぱいだった。
「こら、お前らどこ行くんだ」
「インタビューできなくて、
姫路のお父さんめっちゃ怒ってはるんですわ。
だから、これ、あげてきます」
小さなウソで大会本部での反省会を抜け出し、
慌てて「熱闘甲子園」のうちわをつかむと、
私たちはアルプスへ走った。
お父さんはいた。
日は完全に落ちていたが、何とか顔は確認できる。
「どうもありがとうございました」
おずおずとうちわを差し出すと、
お父さんは自分のうちわを私に持たせてくれた。
「村上さんで、よかったなぁ」
裏には、息子の名前があった。
その途端、涙がぼろぼろと出てきた。
アルプスから見た、むらさき色の空。
どんなに完璧な演出も、段取りも、絶対に敵わない眺めだった。
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2年経った今も、ふと思う。
私は結局、インタビューのことだけを考えていたのだろうか。
でも、それを考えるのがアナウンサーなのではないだろうか。
メガホンこそ握っていても、ハンドマイクは置いたまま。
その上、反省会まで抜け出した。
当時の私は、プロではなかった。
それでも今、少しは分かる。
ハンドマイクかメガホンか、ではなく、
ハンドマイクもメガホンも、がいい。
そうなれるように。 |
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