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Vol.25 「秋の便り」 (2005/10/15)

秋の便りが運んでくるもの。
と言っても、ポストに舞い込むのはダイレクトメールばかり。
鞄の中で震えるマナーモードの携帯電話が、しきりに秋風にくしゃみしている。

一通目のメールは、去年結婚した小学校の同級生からだった。
毎朝夫婦で番組を見てくれている彼は、こう綴っていた。
「最近、村上の『やじうま』を見ていると、小学校当時を思い出すんだよね。
運動会での組体操のことや、調理実習でゆで卵を作ったこととか」
そうそう、あの時、必死で5段ピラミッドを練習したっけ。
卒業文集のランキング集に、「みかん早食い第一位:村上さん」と記載されていることは、
どうか忘れていて欲しい。

二通目は、高校時代の寮生からだった。
最近お母さんになったばかりの彼女は、現在、子育てに奮闘中だ。
「何時間も泣き止まないと『泣きたいのはこっちだ!』と思ったりもするけれど、
やっぱり、寝ていると天使だよ」
天使の寝顔って、どんな顔?
お母さんになるって、どういう気持ちだろう?

忘れていたことが急に込み上げ、静かな寂寥感に襲われる。
記憶を巻き戻し、駆け足の日常をふと立ち止まらせる何かが、この季節にはある。
過去を思い出すのは、見えない未来に戸惑っているからなのかもしれない。
即座に思い浮かぶのは、
週末の居酒屋で「昔は良かった」と感傷的にグラスを傾けるお父さんたちの姿だ。

同じく、金曜の夜。
私はカウンターに腰掛け、ファジーネーブルを片手に
「これからどうなるんでしょうねぇ」とつぶやいていた。
かつて他人事のように思い描いていた、典型的な独身女性の姿。
その渦中にいることに、戸惑いながらも身を委ねている。

店を出ると、冷たい雨が降っていた。
タクシー乗り場は長蛇の列である。
終電の時間を調べようと携帯電話を手に取ると、“新着メールあり”。
先日の、小学校の同級生からだ。
「昔話の続きは、みんなで会ったときにね」
そうか、会える人たちがいる。
過去へは戻れないけれど、記憶は確かにそこにある。
続いていく日々への架け橋となるのは、夕暮れに長く伸びた自分の影であり、
その影を踏みしめて、まだ見ぬ明日へと駆けたい。

秋は深呼吸する季節。澄んだ空気に、金木犀の香り。
アルコールの靄がかかったぎゅうぎゅうの車内で、まどろみながら思いを馳せた。

 
(「日刊ゲンダイ」10月15日発刊)
   
 
 
    
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