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Vol.55 『密約―外務省機密漏洩事件』 (2010/4/6)


「みつやくって、なに?」

平日の電車内。制服を着た、聡明そうな少年が母親に問う。
小さな手には、「『密約』ってなに?」と見出しのついた小学生新聞。
母親は、咄嗟の答えに窮する。改めて問われると…自分も然り。

【密約】
・国民に知らせず政府が結んだ約束(出典:朝日小学生新聞)

政権交代後、急速に政府の行ってきた「密約」の実態が明らかになりつつある。

<1960年の安保条約改定時>
・核持ち込みに関する「密約」
・朝鮮半島有事の際の戦闘作戦行動に関する「密約」

<1972年の沖縄返還時>
・有事の際の核持ち込みに関する「密約」
・原状回復補償費の肩代わりに関する「密約」

上記の密約問題に関する調査は、目下、外務省内で進められている。
日米の暗黙の合意が「広義の密約」と結論づけられるなど、その定義については未だ曖昧だ。先の少年だけでなく、外務省も、ひいては誰しもが、明言出来ない。
だが、この問題が、日本の安全保障や日米関係を左右することに変わりはない。

そんな折、沖縄返還時の密約を再現したフィルムを観た。1971年に起きた、外務省機密漏洩事件。当時の裁判を傍聴して書かれたノンフィクション作家・澤地久枝さんの原作を、テレビ朝日が開局20周年記念番組として制作したドラマである。

 


「アメリカが支払うことになっていた地権者に対する土地現状回復費400万ドルを、
実際には日本政府が肩代わりしてアメリカに支払う―」

その機密情報を報道した新聞記者の石山太一(北村和夫)と、資料を渡したとされる外務省事務官の筈見絹子(吉行和子)は、国家公務員法違反の罪で起訴された。



当初、石山がスクープした機密文書は大きな反響を呼び、世論は日本政府を強く批判した。マスコミも、報道の自由に基づく取材活動の正当性を主張した。
しかし、事態は起訴状に追記されたある一文で、一変する。

「被告人、石山太一は被告人筈見絹子とひそかに情を通じ…」

二人は男女の関係にあった。
筈見が既婚者であることを知りながら、石山は肉体関係を武器に情報を得ていたとして、世間から倫理的非難を浴びることになる。
裁判においても、審理は機密文書の入手方法のみに終始し、密約自体の追及は検察側からは行われなかった。そして二人は、有罪となる。



真に裁かれるべきものは誰か。
国民の知る権利か、国家機密の保護か。

「報道の自由」や「民主主義の本質」といった、あまりに重く大きなテーマを目の前に突きつけられる。その一方で、

ネタを取るために、どこまでやれるのか。
公私の境は、はたしてどこなのか。

取材者としての至極個人的なテーマも、身に迫る。

「多数の国民に真実を伝えるために、新聞記者として行った取材活動を、犯罪とする点においても…到底、納得できません」

石山太一は、法廷で主張する。
新聞記者として行った取材の結果、事実を突き止めたことは確かだ。
片や、アナウンサーとしての自分の取材を顧みる。常々、報道局のデスクは言う。「自分の目で確かめて来い。聞きかじった情報を鵜呑みにするな」。そのつもりで、取材には出る。だが、ままならず、己の無力を痛感することは多々ある。
石山の目的への執念に揺さぶられる一方で、その手段については別の意味で揺さぶられる。彼は、男女問題について一切を語らなかったので、情報を得るために筈見に近づいたのかどうか、真相は分からない。

「すべて、おっしゃる通りです…」

筈見絹子は、一貫して主張しなかった。
法廷ではハンカチで涙を拭い、終始俯いたまま。
どうして、事務官としての立場を忘れて、安易に資料を持ち出してしまったのだろう。忘れてしまうほど石山を愛していた…ということだろうか。
もし、「機密を公開する義務があった」「だから取材に協力した」と法廷で述べていたら。自らの意思で述べなかったのか、それとも、述べられない理由が他にあったのか。
―当事者以外知る由がないと分かりつつ、様々な思いが逡巡する。

「報道の自由がなければ、他のどんな自由も続かないんです」

石山の有罪判決が出た後、長年の部下である新聞記者が言った。
かくも断言するならば。
情の果てに、裁きが待っていたとして。
その中で、何を報じるのか。同時に、何を受け取るのか。
身につまされる思いがした。



密約の線引き、公私の線引き、男女の線引き。
広義と狭義の混沌の中、世の中は進む。
取材者として、女として、人として。
背景に息づく全てに、身を投じて、進む。

 


沖縄返還交渉を巡る密約文書については、現在も情報公開請求が不開示とされている。
その処分を取り消すよう、研究者やジャーナリストらが求めた訴訟の判決が、4月9日(金)に東京地裁で言い渡される。

「みつやくって、なに?」

少年の問いに、誰もが胸を張って答えられる日は来るのだろうか。


♪作品データ♪
『密約―外務省機密漏洩事件』
監督: 千野皓司
原作: 澤地久枝(岩波現代文庫)
出演: 北村和夫、吉行和子、大空眞弓 他

制作: S.H.P./テレビ朝日
提供: オフィス・ヘンミ
配給: アニープラネット
1978年/日本映画/カラー/スタンダードサイズ/1時間40分
※4月10日(土)より銀座シネパトス、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー
公式サイト
http://www.mitsuyaku.jp/
   
 
 
    
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