「君が見ているのは、過去なの?未来なの?」
写真家、荒木経惟。
丸いサングラス、突き出たお腹に赤いサスペンダー。
さっきから、窓向の女性に語りかけている。
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レンズの先に、何を見る?
カメラの前で、どんな顔する?
例えば、こんな日常で。
『一枚目「二次会」』
郵便受けには、春物のカタログと、二次会の知らせ。
風の便りには聞いていた。
切り分けられたウェディングケーキが、銀の皿に運ばれてくる。
5年ぶりに再会した新郎の友人は、転勤して、今は福岡で働いている。
「はい、撮るよー」
集合写真。
デジタルカメラと撮影者が、入れ替わり立ち代り。
「なんか、『お幸せに』なんて、照れるよね」
周りも自分も、あの頃のままのような気がして。
この場では、学生時代に戻った気がして。
でも、変わりゆくことを、みんな本当は分かっている。
「よし、三次会、行こう」
レンズの先には、過去が見える。
明け方には、それぞれの終わりなき日常へ。
『二枚目「散歩」』
冬晴れの日曜日。
カメラを片手に歩く。
「空は、反則だと思うんだ」
「何で?」
「どう撮ったって、きれいに決まっているもの」
そんなことはない。
空もきれいだけれど、空を見上げる人がきれい。
そういう気持ちになることが、きれい。
塞いでいたら、見上げることすらしないから。
レンズの先には、気持ちが見える。
歩き疲れた夕暮れ、温かいミルクを求めて。
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寝て、起きて。
服を脱いだり、着たり。
庭先の梅も、生け花も。
瞬きするように、日常がシャッターで切り取られるということ。
「アラキメンタリ」は、70分間のドキュメンタリー映画である。
今までは、アラーキーが撮った写真を見ることはあっても、写真を撮っているアラーキーを見ることはなかった。
会話をするように、呼吸をするように。
撮る方も撮られる方も、ごく自然にそこに居た。
と、いうことは。
生まれて死ぬまでが、ドキュメンタリーだ。
見つめてくれる人は、誰ですか?
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ヌードだとか、そういう枠を越えて。
「個」を許した相手にしか、外面も内面もさらけ出すことなど出来ません。
そのような関係を瞬時に作ってしまう、写真家・アラーキーの魅力(というよりは魔力)
に、とても惹きつけられた70分間でした。
でも、奥さんだけは彼にとって特別。
陽子夫人の写真を見て、思いました。
全身全霊で愛するって、こういうことなんだ。
…なんてことを、今、メイプルチョコレートを食べながら書いています。
とろけるわぁ。 |
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