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「福島」(2012/2/20)




「どうして、カタカナだったのですか?」

2012年1月1日。
午前5時。

生放送が終わり、スタジオを出る直前だった。
振り向くと、番組内で一度だけ発言した、若い男性が立っている。
視線を追うと、「朝まで生テレビ!元旦スペシャルinフクシマ」と記された
大きなパネルが、セットから外されようとしていた。

野田総理が、原発事故の収束を宣言した二週間後。
大晦日から元日にかけての『朝まで生テレビ!』は、福島県郡山市から放送した。
パネリストは、政治家、評論家、大学教授、元東電社員、
作家、俳優、専業農家の方。
スタジオには、福島県にお住まいの皆さんをお招きし、主張や疑問を伺った。



放射線被曝の新基準値。
今後のエネルギー政策。
いつ、故郷に帰れるのか。
議論した4時間半の内容が、逡巡する。

すぐには答えられないでいると、男性は、すまなさそうに笑った。

「すみません。番組、終わっているのに」

会釈を交わし、背中を見送る。
グレーのダウンジャケットのフードが、少し逆立っている。
何も終わっていない。

日の出の後。
東京行きの新幹線を、郡山駅のホームで待つ。
スタジオ内で、大きなパネルに記されていた文字。
声に出しても、記録しても、記憶しても。
福島はここにある。

震災以降、福島県から、約6万人が出て行ったという。
工場から立つ煙が、手を振るように揺れている。
手招きするようにも、揺れている。


(1月21日配信)   

   
 
    
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