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1月30日 新体操ニッポンの救世主になれるか 〜元女王 山ア浩子の挑戦〜
(報道ステーション・プレイバック)

このところ新体操をテレビで見ることがすっかりなくなりました。
1996年のアトランタ五輪で新体操の実況担当をした身としてはさびしい限り。
今新体操では北京五輪に向けて画期的な強化策が採られているのです。
これは2007年1月12日に報道ステーションで放送された企画をまとめたものです。
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美を追求するスポーツ 新体操。
世界のトップ選手たちが追い求める、技と柔軟性はとどまるところをしりません。 
その一方、日本は世界ランク16位となってアテネオリンピック団体出場権をのがすなど、著しい地盤沈下の只中にいます。

宮嶋:「日本の新体操は世界と大きく差をつけられ、
これまでないほどの低迷時期に入っています。
この状態を打破しようと一人の女性が大奮闘しています。」



 


新体操ニッポンの救世主になれるか
〜元女王 山ア浩子の挑戦〜

地盤沈下した新体操を立て直すべく、
北京オリンピックへ向けての強化本部長の重責を担うことになったのは、
山ア浩子さんです。



北京オリンピック強化委員会 
新体操強化本部長 山ア浩子さん


山ア:「本当はやりたくなかったんですよ。
だって落ちているときにどうしろって言うのって。」

今から22年前、ロサンゼルスオリンピックで8位入賞を果たした山アさんは
日本に新体操のブームを巻き起こしたあと、
タレントとして、さらにはスポーツライターとして、客観的に新体操を見てきました。



ロサンゼルス五輪 8位入賞
山ア浩子選手 当時24歳


雑誌ナンバーのライターとしても活躍


山ア:「外から新体操を見て、これはちょっとおかしいよということも見えたし」

山アさんはこれまでとはまったく違う強化方法をとることを決断。
学閥やクラブにとらわれずに
日本全国からオーディションで選んだ16歳から18歳の若い選手たちを
コーチと一緒に一つ屋根の下で住まわせ、
2年間の集中合宿を行うことにしたのです。



千葉県内のマンション


「普通の女の子たちが普通にできることはできないと思ってください。
みんなはただの選手ではないんですよ。
世界を目指している。厳しい道に入ったということです。」

初めて親元を離れる選手がほとんどで、
中には通信制の高校に転校した選手もいます。



岐阜からやってきた坪井保奈美さん(17歳)


坪井さん:「家族と別れることとか、
一人でやっていかなきゃいけないこととか、辛いです。」

これからは、選手同士3人一組になってのマンション生活が始まります。
「あっ、まちがえた」
「はなちゃん、この部屋じゃないよ」
「いっこ、まちがえた!」

こうして去年4月から、
選抜チームの長期合宿というはじめての試みが始まりました。



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新体操では2001年にルールが大幅に変わり、
柔軟性を重視するようになりました。
このときから日本は世界についていけなくなったと言われています。



山ア:「このように全部難度が細かくレベル分けされていて、
やっぱり柔軟性に重きがおかれている。
私たちが現役のときにやっていたのはAとかBとか。JとかKとかまであるのに。
団体でもE以上はやらないとなかなか勝てない。」

宮嶋:「E以上と言うと曲芸の世界ですね。」

山ア:「柔軟ではですね。」

全国からオーディションで選ばれたのは
いずれも柔軟性に秀でた選手ばかりです。
世界に少しでも近づくために、山アさんは、ターゲットを団体種目に絞りました。

レギュラーの5人の座を目指して選手たちはしのぎを削りあうことになります。
朝6時から午前中4時間。午後4時間。毎日8時間の練習が続けられます。(音)



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