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10月14日 プレイバック・アテネ


アテネオリンピックから早くも一ヶ月が過ぎようとしているのですね。
日本選手の大活躍にわれわれ報道陣も連日連夜遅くまでふらふらになりながら対応していたのが妙に懐かしく感じられます。
さて、ニュースステーションから報道ステーションに変わっても相変わらずシンクロ企画は健在です。プレイバックアテネと題して、アテネ五輪のシンクロナイズドスイミングを振り返ってみました。これは10月6日に放送したものの概略です。
いやあ、今回のアテネ五輪は、シンクロの歴史の中のとても大事な大会に位置付けられる可能性がありそうです。
 


 

 

シンクロナイズドスイミングが正式種目となってから6度目のオリンピック、アテネ大会。
シンクロは日々進化しつづけ、そして人々に愛される種目となってきました。
 

宮嶋:「数々の感動の裏で、シンクロナイズドスイミングでは前代未聞の採点をめぐる出来事が起こっていました。それはシンクロの歴史の中で、大きな転換点になとなる可能性を秘めた出来事でした。」
 

プレイバック・アテネ

8月23日、シンクロナイズドスイミング初日。
いよいよこの日からデュエットのテクニカルルーティーンが行われます。
決められた規定要素をいかに正確にこなしていくかを競うテクニカルルーティーン。

ライバル、ロシアの21歳、エルマコワとダビドワが日本より先に登場します。
去年世界チャンピオンになった二人です。

映画マトリックスのテーマ曲を使い、きつい表情でテンポの速い演技をするロシアの二人。中継の解説の神保れいさんが思わず口にします。
 

 

神保:「あっ、ダビドワ選手がちょっとよってきてしまいましたね。」
確かに、倒立姿勢で二人の間隔が狭まってきてしまいました。
神保:「ダビドワ選手沈みながら後ろに倒れました。」

その後、日本は20番目に登場。ロシアとの戦いであると同時にジャッジとの戦いでもあります。

実況森下:「世界の目がロシアと比較しながら注目しています。」
神保:「これは最後まで練習してきたエレメンツです。よくあっています。」
 

演技を終えたロシアと日本の得点をここで比較してみましょう。
技術力を見るエクスキューションでは、スウェーデンのジャッジ一人が、日本がロシアを上回っていると判断しましたが、その他のジャッジはロシアが勝っていると判定しました。
中には、日本に9.6を出したジャッジもいました。
 

EXCUTION

JUDGE

CAN

AUT

SWE

ESP

FRA

ロシア

9.8

9.9

9.8

9.9

9.9

日本

9.6

9.8

9.9

9.8

9.8

しかし、この日、放送の生中継していた解説者たちからはこんな声が聞かれました。
全米に中継をしていたNBCのトレーシー・ルイツさん、ロスアンゼルス五輪の金メダリストのコメントです。
「放送でも言いましたが、この採点はなんだか変ですね。ロシアと日本は少なくとも同点で決勝に進むべきでしたよ。」
 

トレーシー・ルイツ

 

カレン・リン・クラーク

カナダ放送の解説をしていたカレン・リン・クラークさん、アトランタ五輪の銀メダリストははっきりとこう断言してくれました。
「ロシアが唯一よかったのは空中に二本の脚がでる時にちょっと高かったと言うだけで、それ以外では日本のデュエットのほうがずっと同調していたし、タイミングも完璧でした。」

こうした反応に井村コーチは「私も日本のほうが良かったと思っています。採点競技の不明快さみたいなものにさからってやる者もおるんだぞと言うところを見せなくては・・」

このアテネ大会はジャッジの採点に対してコーチや選手の不満が多く聞かれた大会でした。
スペインのメングアル選手はおかんむりです。
「スペインは五輪では表彰台に上がったことがないから、審判にとって9.8という点をスペインにだすことは難しいのよね。」
 

メングアル選手

 

試合直後の一言集

試合後の選手やコーチたちの一言が刷り物になって報道陣に配られるのですが、そこにも選手やコーチたちの不満がたくさん述べられていました。

「私たちはいい演技をしたのに、それが審判に理解されませんでした。」

「どんな審判も意識的にあるいは無意識に自分の国の採点を甘くしています。」

「将来もっと公平なジャッジが下されることを切に願っています。」

「審判が演技そのものを見ずに、国名でスコアーを決めているんです。」

「怒りで目がくらむ思いです。もっと高得点に値する演技をしたと心から信じています。」
 

「怒りで目もくらむ・・」

スペインのエリザベスコーチも私たちに懸命に訴えていました。
「もっといいジャッジングができるはずです。もっと教育すべきです。難しさや芸術面はどんどん変わっていきますから。」
 

 

コーチが追求しているものと、ジャッジが判定するものが違うのではないか、そんな疑問がコーチ陣に広がり、大会中に異例の申し立てが行われたのです。

これを重く見た国際水泳連盟シンクロ技術委員会は、ある決断を行いました。
アテネ五輪でレフェリーをつとめた技術委員会のステファニー・トゥディニさんによれば、
「国際水泳連盟は、来年2月にバンコクで行われるクリニックのテーマを変更して、ジャッジとコーチが直接話し合う場を作ることを決定した」とのことです。
 

ステファニー・トゥディーニさん

一方選手たちも立ち上がりました。
シンクロ競技が全て終わった日、選手村の食堂に集合して、ある手紙に署名をしていたのです。
 

 

フランスのロール・チボー選手はこう話します。
「私たちはシンクロをとても愛している。だからこそ厳しい練習もたくさん行ってきている。だからこそ、是非正しいジャッジをしてほしい。これからのシンクロの発展のために共に協力していきたいと書いたんです。」
 

チボー選手

アテネ五輪のシンクロ競技に参加した24カ国96人の選手たちのなんと9割近くがこの手紙にサインをしたといいます。そこにはロシアのブルスニキナやキセロワ選手の名前もありました。
 

チボー選手は続けます。
「このように選手たちがみんな協力して、シンクロの未来のために何かを行うと言うのは初めてのことです。」

こうした一連の出来事を井村コーチはこう解説してくれました。
「決して文句をいうとか、喧嘩を売るとかそういう意味じゃないです。採点競技の不明快さ、不可解さみたいなものを一新してよりスポーツとして前向きに進もうと言うのは、世界的な動きでしょう。体操でもフィギュアスケートでも皆一緒ですけれどね。」

シンクロナイズドスイミングがオリンピックに採用されて6回目のアテネ大会。
その6回のオリンピックにコーチとしてかかわり、過去すべての大会でメダルを獲得してきた井村コーチにとって、それはいかにジャッジたちの目を引き付け、心をつかむかと言う戦いでもありました。
 

8月25日、いよいよデュエットファイナルの日がやってきました。

宮嶋:「いよいよ集大成の時が・・・」
武田:「点数とか度外視して、達成感を得て帰らないと私も帰れないので・・ふふふ」
 

 

宮嶋:「どんな話をふたりにされるんですか?」
井村:「ふたりで一つにさせようと。完成品を見せようと私たち思っています。」

デュエットフリールーティーン決勝直前。
緊張感は見ているものにも伝わってきました。
 

 

それはこの作品を作った井村コーチのイメージをもはるかに越える演技だったのです。

「人間のすごさ、このふたり、このふたりそこまで行くか、行けと思いながらいくかと、もっといけと言う感じで、人間のすごさみたいなものを見せてもらいましたね。」
 

あえて同調させるのに難しい曲線的な動きやリズムに挑戦し、3次元のモーションを取り入れたジャパニーズドール。
 

 

 

立花:「井村先生からよく泳いだと言われてよかったです。」
武田:「すごいいいものが得られたと思います。得点など関係ないです。」
宮嶋:「8年間の集大成!」
武田:「デュエットふたりでやってきて今日出し切ったと思います。」
 

 

井村「メダルの色が関係ないなんてそんなことホントかなと思ったけれど、本当ですね。」
私はいつも客観的にあの子達が泳いでいるのを見ているコーチだと思ったけれど、初めて一緒におよいだかな。」
 

世界のトップを競って闘った立花武田の姿を見ながら、井村コーチの脳裏には
11年前の出来事が去来していました。

井村:「自分の選手が今でこそ金を狙ってなんてそんな贅沢なこと言っているけれど、自分の選手の乗っていない表彰式なんてもういやって。」

それは1993年のローザンヌのワールドカップのことでした。
 

 

井村:「あの時、覚えているよね、覚えているよね」

井村コーチが同意を求めるように立花選手の方を振り向くと、立花さんはゆっくりとうなづいたのです。

井村:「暗くて後ろで片付けているのを引っ張ってきて、この表彰式を見なさいって言うた。自分がいない表彰式を見なさいって。
意地悪やなって自分で思ったけれど、この子にこれ見せなきゃだめだと思って。」

そう思い出す井村コーチの目には涙があふれていました。
 

井村:「なんか手がないかって模索しつづけてやりつづけた。何か方法がある、追求しつづけ、挑戦しつづけた30年だったかな。」
 

武田:「本当はもっと早くリタイアしていたと思うんですね。でもこのアテネまで続けてよかったと思います。シドニー以降の方が感じることがたくさんあって、あっこうすれば、今までなぜこうしなかったんだろうというのがすごくあったんですよ。この年までやったからこういう事も得られたしこういう演技がしたいと思って試合に臨めたし、」
 

立花:「ここまでシンクロやっていなかったら、自分を追及することもなかったし、追い詰めることもなかっただろうし、自分を知ることがなかっただろうなと思います。」
 

立花選手と武田選手がこのオリンピックを最後に引退することを知って、元ロシア代表現在アメリカ代表選手のコズロワ選手がこうコメントしてくれました。

コズロワ:「彼女たちが技のシャープさと本当の脚の締めかたをこのスポーツに持ち込んだと思います。皆がその脚の技術を真似しようとしていました。」

日本の強さの元は、その基本技術にあったのです。世界の選手たちがまねをしたと言う二人の技術の確かさ。立花・武田のデュエットのシンクロ界における価値を再認識させてくれる言葉でした。
 

元ロシア、米国代表コズロワ選手

ふたりから井村コーチへのプレゼントはデュエットの立体ポーズのペンダント
世界に一つしかないペンダントです。
 

 

6度のオリンピックでメダルを獲り続けた井村コーチ。
シンクロ界の新しい未来を信じながら、30年のコーチ人生にピリオドを打ちました。
 

 

カメラ:藤田定則、佐藤俊輔
音声:矢島崇貴
編集:山口祐子
選曲:伊藤大輔
MA:濱田豊
ディレクター:宮嶋泰子


シンクロで思い出すこと・・・

私がシンクロと出会ったのは今を去ること25年ほど前のことです。双子の藤原姉妹が出場したアメリカンカップという大会の実況をつけたのが最初でした。その放送の解説は現在日本水泳連盟のシンクロ委員長をされている金子正子さんでした。そして、その藤原姉妹のコーチだった方が井村雅代さんでした。藤原姉妹は井村コーチにとっては最初のナショナル選手だったと言うことです。

その後、テレビ朝日では毎年日本選手権を中継していました。その実況もほとんど担当させていただきました。目白の田中邸の後ろにある小さな屋外プール、富山空港の前にできたばかりのプール。プールの光景と共に当時の演技が思い出されるから不思議です。

ニュースステーションという番組が始まってまもなく、ソウル五輪を前にした小谷実可子さんと田中京さんのデュエットの番組を制作しました。二人がいつも練習していたのは屋外の神宮プール。真夏は日焼けを目的に新宿二丁目からやってくるオカマのお姉さんたちがたくさんいましたっけ。彼女たち、トラトラの水着を着て、歓声を上げながらシンクロの練習をみていましたねえ。練習を撮影しながらも、二丁目のお姉さんたちの水着姿がやたらと気になったのを覚えています。

そうそう、今はもう閉鎖された修善寺の温水プールに照明をたくさんたいて、フルメイクの小谷・田中デュエットの撮影もしました。通しで演技をするとどれだけ乳酸が溜まるかも知らず、撮影のために「もう一度演技をしてくれませんか!」なんて勝手な申し出をして、二人を辟易させたそうです。最近になって田中京さんが笑いながら話してくださった当時の気持ちを聞いて愕然としてしまいました。本当に勝手でした。

92年のバルセロナ五輪では現地に入ってから、小谷、奥野、高山の3人のうちどの2人をデュエットとして選ぶかと言う選手たちにしてみれば胃に穴の開くような選考が行われました。試合当日の午前中に行われたこの秘密の選考会に潜入し、じっとその様子を撮影していました。あの時の金子さんと井村さんの苦渋に満ちた表情は忘れることができません。あの時の空気より重い空気を私はまだオリンピックでは味わったことはありません。

96アトランタ五輪では試合直後の中継用のインタビューをJC代表でさせていただきました。ちょっとみんなの表情が固かったのが印象に残っています。立花選手がよく語ってくれるアトランタの恐るべきミーティングがその後に行われていたのですね。

そして2000年のシドニー五輪。演技を終えた選手たちを迎える井村コーチの満面の笑顔が忘れられません。本当に素晴らしい空手と火の鳥でした。試合後ミックスゾーンで井村コーチとお話をしながら、ああ、もう一度シンクロの番組を作ろうと決心したのです。
 

「立花・武田の二人のラスト演技を佐川奈津子さんが描いてくれました。」

それからはもう、このコラムでもお伝えしてきたとおり、01福岡世界水泳、02チューリッヒのワールドカップ、03バルセロナ世界水泳、そして04アテネ五輪とデュエットを中心に日本選手と井村コーチのかかわりを見てきました。立花美哉選手と武田美保選手がこれまでの常識を破る挑戦を次々にしていく様を4年間にわたって間近で見る事ができたことは、私のディレクター人生にとって最も貴重な体験だったように思います。それは選手やコーチと一緒に悩みや喜びを感じながら、時に離れて俯瞰でシンクロを眺めながら一つ一つの番組を作っていく作業でした。この4年間に報道ステーションで作った特集は11本を数えました。どっぷりシンクロに浸かっていた4年間と言えるかもしれません。
その中で私自身も感じるところがありました。

この数年のシンクロの世界的な進化は言葉では表せないものがあります。
ただ二人があっていれば良いという時代は終わりました。
どうすれば少しでも魅力的なシンクロができるのか、コーチや選手たちは日々努力しています。今回のアテネ五輪では、選手やコーチたちの叫びが私たち報道陣の耳にも聞こえました。みんなが口をそろえて言った言葉は、特にこの2、3年、採点の仕方が理解できないと言うことでした。しかしその思いはこれまでジャッジやシンクロ技術委員会には届いていなかったようです。

昨年、シンクロの採点に関する番組を作った折に、日本のシンクロ関係者やジャッジの方々から、「専門家でない者が、外野からいろいろ勝手なことを言わないでほしい」と私自身忠告を受けたこともあります。しかし、今回のアテネ五輪ではっきりしたことは、採点システムに関してコーチや選手はほとんどが不満を持っているということです。

これが一つのきっかけとなって、新しいジャッジングシステムが構築されることをねがってやみません。
今、日本デュエットのCD「ジャパニーズ・ドール」を聞きながら、この4年を振り返ってそう感じています。
 

宮嶋泰子

   
 
    
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