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8月22日 日本育ちのケニア代表 エスタ・ワンジロ


14才の時交換留学生として来日

仙台育英高校の駅伝選手
として活躍

箸使いも上手。でも納豆は苦手

日本のマラソン3人娘でメダル独占!そんなマスコミの希望的観測をよそに、「ケニアで1位、2位、3位独占するからね。」日本語ではっきり言いきるのはエスタ・ワンジロ選手です。

意外と身近に強力なライバルがいました。

陸上競技ファンならもうご存じの元気娘。

14歳の時にケニアから仙台育英高校に交換留学生としてやってきてはや9年。その間、きりりと鉢巻きを締め、くりくりした瞳で颯爽と日本の駅伝に参加し、数々のシーンでヒロインとして活躍してきました。
仙台育英高校を連続優勝に導き、その後専門学校の菅原学園に2年間通い、現在は茨城県の日立製作所の陸上部に所属しています。

今年1月下旬の大阪国際女子マラソン、日本中の注目は弘山晴美さんとルーマニアのシモンの一騎打ちに集まりました。実はこの時、二人について自己ベストをマークし3位に入ったのがワンジロ選手だったのです。タイムは2時間23分31秒。これは今年のケニアの最高記録です。

「日本に来てよかったと思う?」と聞くと、「オリンピックに行けるから、よかったかな。・・・でも・・・」と言葉を濁します。

14歳の一番多感な時期にケニアを離れ、言葉の全く通じない日本にやってきただけに、最初はホームシックで大変だったそうです。故郷に対しては今でも大変強い思いがあるようで、ことあるごとに「帰りたい!」を連発しています。


標高1600メートル米国ボルダ―で合宿

将来はママさんランナー

日本に来て2年半後、高校3年生の時にケニアのお父さんが交通事故で亡くなりました。ケニアではお父さんの存在は絶対的なだけに、このショックは大きかったようです。
さらに、日本に来てから下宿先の父として面倒を見てくれていた、仙台育英高校の女子監督だった二階堂先生も3年前に突然この世を去りました。今、ワンジロ選手は心のよりどころを失って、ケニアへの郷愁をつのらせているのでしょう。

「日本には自由がない。
 もっと自由がほしい!」

23歳になり、自分でしっかり物事を判断できる歳になっても、日本の実業団でトレーニングする限り、集団行動はついてまわります。
トレーニングから食事、仕事の時間まで全て決められています。体調と相談しながら、独自の練習をするなどということはなかなかできません。端から見ると恵まれているように見える寮も、トップクラスの選手になれば、息苦しいことがたくさんあるのかもしれません。

今回ワンジロ選手の取材には有森裕子さんとご一緒したのですが、この点では有森さんとワンジロ選手は意見が一致。
有森さんも「だから私はアメリカに住んでいるのよ」
なんて言ってました。

ワンジロ選手の心には、すでにシドニーの後のプランがぼんやりとできているようです。


ケニアの3人でメダル独占したい!

茨城弁の日本語が上手

「私ママさんランナーになりたい。ママさんになったら、自分のためだけでなく、子供のためにもっとがんばれる。そしたらいい記録ももっと出せる。」

確かにこれまで女子マラソンの歴史を作ってきた選手は、エゴロワ、ドーレ、オンディエキ、マッコルガン等、ママさんが多いですね。

特に近年、欧米のロードレースで賞金を稼ぎながら生活しているアフリカ選手にはママさんランナーが増えています。一年の半分はアメリカやヨーロッパのの高地でトレーニングをしながら賞金レースで稼ぎ、半年は母国に帰って子供と一緒に暮らす選手がたくさん出てきています。そういう例を見ていると、自分もそんな暮らしをしてみたいと思うのでしょうね。

有森さんが「結婚したいの?」と聞くと「うん、今すぐでも結婚したい。でもこれが相手がいないんだな!!」と笑わせる23歳のお年頃。本当に明るくてちゃきちゃきのケニア娘です。

これまで、男子のケニア選手で、日本でトレーニングをし、世界の大会で素晴らしい成績を残してきた選手はたくさんいます。生まれ持った見事な素質に、世界に誇れる日本式の長距離教育が施されるのですから、これは強い選手が生まれて当然ですよね。

最初に成功した選手と言えば、1983年にヱスビー食品の故中村清監督を慕ってやってきたダグラス・ワキウリでしょう。中村清氏と言えば、瀬古利彦選手のコーチとして世界的に有名でした。当時瀬古番として取材をしていた私は、20歳で初めて中村邸にやってきたワキウリ選手の表情を今でも忘れることができません。大きな身体を持て余し気味にしながら、どこか恥ずかしそうにいつも下を向いていました。その選手が4年後、ローマで行われた世界選手権でいきなり優勝し、さらに翌年のソウル五輪では銀メダルを獲得してしまったのです。

そうそう、アトランタ五輪の銅メダリストであるエリック・ワイナイナ選手もコニカの陸上部所属の選手ですね。

シドニー五輪に出場するケニア代表で、日本でトレーニングしている選手は、前回の男子マラソン銅メダリストのワイナイナ選手、男子五千メートルのジュリアス・ギタヒ選手(日清食品)、そして今回ご紹介したエスタ・ワンジロ選手です。ワンジロ選手は日本でトレーニングしたケニア女性として初めて、五輪代表に選ばれました。

さあ、日本式長距離トレーニングメッソードによって磨きをかけられた天賦の才能はシドニーでどんな花を咲かせるのか、大変楽しみであります。しかしながら・・・・はっきり言って日本選手にとっては恐い存在ですね。


エスタ・ワンジロ
1977年3月27日生まれ
162センチ 42キロ
ケニアの首都ナイロビから60キロ離れたムランガ出身
3兄弟3姉妹の次女

マラソンベスト2時間23分31秒
初マラソン 19歳の時 シドニーマラソン経験
99 大阪国際 シモン、ロルーペに続いて3位
99 世界陸上 ケニア代表として出るが、前半のスローペースで攪乱され11位と大
失敗。
00 大阪国際 シモン、弘山に続いて3位 (自己ベストタイムをマーク)

大嫌いな食べ物 納豆

 
スポーツ古今東西
 
モスクワ大会に始まり、ロス、ソウル、さらには冬の大会も経験し、シドニー大会がなんとオリンピック取材10回目になる宮嶋泰子アナウンサー。取材ではその選手の持っている「根」を掘り起こそうと歳甲斐もなく?大声を張り上げて走り回り、スポーツを縦から見たり横から見たりと大忙し!他とは一味違うスポーツ企画をこのコーナーでぜひお楽しみください。
 
 
    
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