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11月1日 森川すいめい医師 被災地へ行く

東日本大震災で、さまざまなものの価値観が変わりました。医師、ドクターの価値観もそのひとつかもしれません。心理的なショックを受けている被災者をケアするドクターを追いました。
これは6月7日に報道ステーションで放送されたものに加筆したものです。

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精神科の医師、森川すいめいさんは、この2ヶ月、岩手県に出向き、被災者の心のケアにあったっています。



この日訪ねたのは、夫と一人娘を目の前で、津波にさらわれてしまった女性です。

被災者の女性: 「目の前から一瞬にして消えた。最初のころは、捜索隊のご飯炊き、炊事をやってたから、一ヶ月ぐらい。そのときは無我夢中で、自分の娘のことも、とうさんのことも考えている暇はなかったの。」



被災者の女性:「娘が見つかったのが49日の日だったから、49日間、海の中にいたから、最初見たときには、もうほんとに鳥肌たって、もう震えがとまらなくて、このままおかしくなるんじゃないかって思うくらい、変だったって・・・・。ぜんぜん記憶に無いんです。
もう、最初は、一緒に死んでしまったほうがいいのかなと思ったときもあったんだけどね」

被災者の言葉に耳を傾ける「傾聴」は、長いときには、2時間を越えます。



傾聴

被災者の女性:「すごく、おかげさんで、お会いすると、気持ちがね、お世辞でもなんでもなく、素直になれるって入るのかな、前向きにがんばるつもりでいます。先生、見捨てないでください」

助言や、判断をするのではなく、森川さんは、被災者の人生をありのままに受けいれて、話に耳を傾けていきます。


  

宮嶋:「復興に向けた作業が着々と進んでいる岩手県の大槌町です。しかし災害で、心に傷を負った人々は少なくありません。彼らにとって何が必要なのか、そのケアをする医師を通じて考えてみました。」

本来の仕事場である東京を離れ、世界の医療団から派遣される形で森川すいめいさんは大槌の避難所を回って、被災者の心のケアを行ってきました。


 

多くの人々が強い恐怖と不安で日常生活が送れなくなるPTSD、心的外傷後ストレス障害に陥っています。阪神淡路大震災でもPTSDから自殺した人は少なくありません。




森川医師:「私は何で生きているんだろうとか、生きている理由を失うときが一番つらくてそうしたときに、第三者に話してくださることで、案外自分もがんばっていたんだなということを思い出すようなんですね。そうしながら回復されていく方がいますね」



森川さんはあまり人が訪れない避難所も丁寧に回っていきます。

森川医師:「夜は眠れてますか?」
患者妻:「眠ってないのよ。」
森川医師:「眠ってない・・・・怖い夢とか見ますか?」
患者:「たまに思い出す。夢で、夢でないな、思い出すな。」
森川医師:「眠れないとつらいですよね」

患者の背中をそっとさすりながら、その人にある処方を考えていく森川医師。
避難所での会話には、これまで想像もできなかったような内容のものがほとんどです。


  

「見つけさったってさ、」
「誰を?」
「早苗ちゃんが・・・・」

遺体が見つかるたびに重苦しい空気が避難所の人々の間に流れます。
緊張と不安で、多くの被災者の体がこわばっています。
森川医師は「からだを触らせていただいてよろしいでしょうか?」と聞いて、被災者の肩に手を置きます。

森川医師:「この辺ほぐれるともうちょっと眠れるかもしれませんね」



東洋医学の鍼灸師の資格も持っているだけに、身体をほぐすことで心もほぐれることを知っています。それは阪神大震災のときに学んだことでした。

当時、京都の鍼灸学校の学生だった森川さんは、阪神大震災の直後、何か自分にできることはないかと、避難所をめぐり、マッサージのボランティアを始めました。あるときは避難所に泊り込みながら、被災者に乞われるままに身体のケアを続け、気がつくと1年間が経過していました。

身体がほぐれると、みんなの表情も変わり、気持ちも軽くなります。被災者たちは、心の中で澱のようにたまっていた不安を、マッサージをする森川青年にポツリポツリと語り始めていました。

それがきっかけとなり、森川さんは精神科の医師を目指すことになります。
さらに、バックパックで、アフリカなど世界の僻地を旅し、貧しい人々の生活を目にしてきました。



その後、池袋でホームレスの人々に炊き出しをする組織TENOHASHIを作り、活動を10年間続けてきました。これらの人生の節目で学んだことが、実は今回、東北の被災地で大いに役立ったのです。

池袋に定期的に通っているだけに、新顔のホームレスの人がいると、すぐにわかります。そうした人には、お弁当と一緒に、困ったときのために連絡先をそっと置いていきます。

「あっ、すみません、お休みのところ、毎週水曜日にやっていますので」


  

ホームレスを対象とした無料診療も定期的に行ってきました。

男:「俺もう、ほとんど寝ていないんですよ。足伸ばして。ほとんど朝一の電車で一周まわってうとうとするだけです。」

血圧を測りながら、相手の話をゆっくり聞いていく森川医師。
ここでは、医療だけでなく、ホームレスから脱して生活できるように、診察と同時に、福祉の制度も紹介してきました。
池袋では森川医師のお世話になっていないホームレスはいないといってもいいほどです。
森川さんが姿を見せると、みんなが次々に声を掛けてくるのですから、その信頼の厚さがわかるというものです。



池袋のホームレスの中には東北出身の人が少なくありません。彼らの激励を受けながら
3月下旬、森川さんは池袋から花巻行きの深夜バスに乗って東北に向かったのです。



岩手県には心のケアチームとして全国から医療チームがあつまっています。
そんな中で、森川さんは新しい方法を次々に提案していきます。

森川医師:「もうひとつお願いがあります。私が昨日お話をさせていただいた男性です。ご本人、自分は文盲であって、字が読めないとおっしゃっていたんですね。義援金の制度などをさせていただいたんですが、それによってずいぶん安心されたというのがありました。」

医師として心のケアをするだけでなく、どのような情報をどうやって伝えれば安心してもらえるかを考えていくことは、まさに、池袋で身に付けたものでした。



宮嶋:「被災地での心のケアで大切だと思うものは何でしょうか?」

森川医師:「患者とか、障害を持った人とか、そういう人は僕が見えている世界にはいないような感じがしているんですね。皆さん、一人の人間であって、その人が何か困っているものがあって、そのときにたまたまお薬がうまくいく人がいれば、それが手助けになるし、制度が必要であれば、制度が手助けになるという風に、より患者という枠組みに入らない形で人と出会えて行けるといいのかなと思います。」


  

一人の人間として、相手を助ける・・・
医師としてできることは、その人の病状に名前をつけることぐらいしかない。
それよりも相手が求めていることをやってあげたい。

これが森川医師の姿勢です。

避難所を次々に変わるように強制される被災者たち。
心も身体もぼろぼろです。
そっと、肩に手を乗せます。

87歳の女性:「まあ、気持ちよくて・・・前回も本当によく眠れました。」
森川医師:「眠れましたか?」
87歳の女性:「はい、行くとこないのに、あっち行け、こっちいけ、ってね。87歳にもなってこんな思いするのかなと思うと本当になさけない・・・・」
森川医師:「大分苦労されましたね」
87歳の女性:「ああ本当にいい気持ち・・・・」

医者である前に、一人の人間としてそっと寄り添っていきたい、その気持ちが、傷ついた被災者の心を優しく包むのでしょう。

やさしくされた人は、優しさをお返しします。
そっと森川医師の手を取ると、老婆は自分に言い聞かせるようにつぶやいたのです。
「またどこかでお会いいたしましょう」


  



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編集後記

取材をしてきて、これまで多くの人に出会った。
聞けば、森川医師は菜食主義者だという。
女性と見間違うほど細く華奢な身体だ。
しかし、その意思は誰よりも強い。

常に相手の立場からものを考え、どうすれば自分がそれを手助けできるかを考える。
アルコール依存症の治療。
ホームレスの人々を助ける活動。
被災地での活動。
貧困と闘う人々へのアプローチ。
精神病を患う人々の自立を考える活動。

やさしさのネットワークは次々に広がっていく。

森川医師のツイッターをみて、私自身も癒され考えさせられる日々が続いている。


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